十九話 一矢

  

 羽織を着た千依も二人に合わせて廊下へと出れば、どこからか騒ぐような声が聞こえてくる。


「実は屋敷を囲う結界が破られまして。今、一門の者で修復している最中なんです」


 拝上家の屋敷を囲っている結界がどのくらいの強度があるのか、千依も知っている。

 それを破ってしまうということは、相手は並大抵のものではないのだろう。


「やっぱり、さっきの妖って……」

「ええ、奥様もお察しの通りです。……結界を破る力、そしてその際に残した妖力の残滓から見て、例の妖で間違いないでしょう」


 どうやら千依が先程、殴った影の本体こそが三智鷹を苦しめている妖だったらしい。


 ……だから、私を憎むような言葉を言っていたんだ……。


 千依はなるほど、と納得するように頷いた。

 圧さえも感じたあの嫉妬は、中々のものだった。妖に慣れていない者ならば、きっと泡を吹いて気絶していただろう。


「ただ、屋敷を覆う結界が破られた後、僕達がそちらに気を取られている間にその妖の影は千依さんのもとへと向かったようでね。……しかも、結界を張って妨害するという小賢しい手で僕らを阻んでいたんだ」


 それゆえに駆け付けるのが遅くなってしまった、と三智鷹は詫びてくる。


「ああ、だからさっき、『ぱりんっ!』って何かが割れる音がしたんですね」


 部屋を見回した時、割れたようなものがなかったので、何だったのだろうと思っていたがあの音の正体がようやく分かった。


 あれは妖の影が千依の周囲に張っていた結界が割れた音だったのだ。千依が妖の影を撃退したことで、その結界は連動して破れたのだろう。


「……今だから話すけれど、この呪いのせいで僕は例の妖に『攻撃』出来ないんだ。それ以外の妖は問題なく祓えるんだけれどね」

「え……」

「拝上家の当主なのに、おかしいだろう?」


 三智鷹はそう言って、自嘲する。

 織人もそのことを知っているようで、苦しげな表情を浮かべていた。


「それってつまり……完全に例の妖が優位になる呪いじゃないですか」


 自分を呪った妖だけが祓えないなんて、千依だったならば悔しくて仕方がないだろう。

 むしろ、絶対に何がなんでも祓ってやると意気込むに違いない。


「……その身を例の妖から守ることは出来るんですか?」


 千依の問いに、三智鷹は肩を竦める。

 疑問に答えてくれたのは、織人だった。


「若と呪いで繋がっているからなのか、よりにもよって『拝上一門の当主』の陣を例の妖は看破しちゃうんですよ」

「あれには参ったね……。おかげでこの手で、屋敷を守る結界の陣が編めないし」


 三智鷹は困ったように頭を手で掻きつつ、溜息を吐く。


「今、屋敷を囲っていた結界だって、若の次にこの一門で『結界の陣』が上手い者が編んだやつだったんですよ。それなのに突破するなんて……!」


 織人は結界の陣を編んだ張本人ではないとのことだが、悔しそうに唇を噛んでいる。


「まぁ、それでも呪具や霊符を使えば、例の妖に対して何とか一時的な対処は可能だということだけは分かっているからね」


 三智鷹の言葉に、織人は同意するように頷く。


「うちはこれでも、陣に特化した一門ですからねぇ。せめて、陣の内側に例の妖が入ってくれれば、多少なりとも弱体化させることは出来るでしょうが……」

「相手を陣へと誘導させるのが一番難しいところなんだけれどね。こっちを警戒して、入ってこないだろうし」


 三智鷹も例の妖に直接、攻撃は出来なくても対処するための手を色々と考えていたらしい。


「ただ、奴を弱体化させても、あれを祓える技量の者が若の他にいないんですよね。中堅の者はしっかり育っているんですが、あの妖と戦えるかと言われれば、少し力が足りないでしょうし。それに俺は、戦闘は専門外ですから」

「何より他の一門には依頼できない案件だからね。弱みを握られてしまうことになるし」

「ふむ……」


 確かに今までの妖と比べて、先程の妖はただの影だったというのに、強かった。


 ……けど、奴の妖力はもう覚えた。


 千依は顔を上げ、真っ直ぐと三智鷹を見た。

 彼はどうしたのかというように、小さく首を傾げる。


「分かったことが一つ、あります」

「何だい?」

「先程、私を襲った例の妖の影はこの手で撃退できました。つまり、私の攻撃は相手に通るということです。なので、このまま私が囮となって、奴が接触してきた際には迎撃、もしくは弱体化させる陣へと誘導するというのはどうですか」


 例の妖の影を殴った右手をぎゅっと握り締めては何度も開く。あの感触はまだ手に残っている。

 今まで祓ってきた妖とは少し違い、一発を放った際にはとても重く感じられた。


「それにたとえ影だったとはいえ、遠隔で操作するために根幹は繋がっているはずです。ならば、多少は相手に損傷を与えられたと思いますよ」


 千依は三智鷹へと向けて、不敵な笑みを浮かべる。


「あなたの敵に一矢報いてやりましたよ、三智鷹様」

「……」


 三智鷹は目を見開き、それから強張っていた表情を和らげた。


「……そうか、奴に──やっと一発、返せたのか」


 彼は寝間着の襟元を掻くように握りしめ、ぽつりと呟く。

 きっと、本心ではその手で妖を討ちたいだろうに出来ないもどかしさを感じながら生きてきたのだろう。


 三智鷹は深く息を吐いてから、千依の方を向く。


「ありがとう、千依さん。……君のおかげで、光明が差してきた気がするよ」


 傾いた月明かりの下で、三智鷹が微笑む。

 そこにはいつもの胡散臭い笑みはなく、どこか眩しいものを見ているような──ほんの一筋の希望に縋るような、そんな切ない笑みに見えた。


 その表情に、千依の胸はどきりと跳ねてしまう。

 妙にざわついた心地がして、千依は誤魔化すように咳払いした。


「……と、とにかく! 妖の影とはいえ、一応、撃退したので! 臨時報酬はありますかっ」


 こんな状況で現金な奴だと思われるかもしれないが、他に話題が見つからなかったのだから仕方がない。

 何となくだが、心がざわついたことを三智鷹に覚られたくはなかったのだ。


 そんな千依に呆れることなく、三智鷹は苦笑する。


「そうだなぁ……。……じゃあ、今度、一緒に出掛けるかい?」

「……へ?」


 千依はぽかんと口を開けてしまう。

 それは生まれて初めての、異性からのお出掛けの誘いだった。

  

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