十八話 深夜の襲撃


 会合から帰ってきた千依は楽しみにしていたカレーを三杯食べ、それからゆっくりとお風呂に入り、寝床に就いていた。

 

 実家に居た頃や古い小屋で暮らしていた際に使っていた平べったい布団とは違い、拝上家で与えられている自分の部屋の布団はいつだってふかふかで気持ちいい。


 布団を干してくれていた女中たちに明日、感謝の言葉を伝えなければと思いつつも、千依の目蓋はすぐに下がっていく。


 元々、どこでも眠れる千依だが拝上家に来てから、布団の質が良いおかげで更に寝付きが良くなっていた。


「……」


 それでも培われた経験から、周囲に何か異変があれば、すぐに覚醒出来るのは今も変わらない。

 違和感を抱いた千依は薄っすらと目を開けて、まずは状況を確認した。


 ……声、が出ない。それに体も、動かない……。あと、重い……。


 まるで大型の犬が体の上に乗っているような重さを感じた。

 呼吸はしにくいが、何とか息を吐いては吸い込みながら、「そこ」にいるものを見た。


 黒い、黒い、塊だった。


 部屋が薄暗いから、影がそう見えるのではない。

 本当に「真っ黒」だったのだ。


 ……この気配は、妖……。


 だが、拝上家には妖が入ってこないように結界が張られていると聞いている。この妖は一体、どこから入ってきたのだろう。

 そして何故、千依を襲っているのか。


 もっと情報を得ようと千依は自分の上に乗り、喉元へと圧をかけてくる相手へと意識を集中させる。


『……さ、ない』


 その影は何かを呟いた。

 どうやら人語を話せる妖らしい。


 一つだけ気になるとすれば、目の前にいるのに遠くから声が響いてきているような、そんな感覚を抱いた。


『ゆるさない、ゆるさない……。よこせ、よこせ……!』


 怒りと嫉妬、それからどこか乞うような声音が千依の頭に反響していく。


 ……でも、その割には感じられる気配が薄い。ということは本体ではなく、影だけを飛ばしている──念の集合体みたいなものかな……。


 つまり、「呪い」ということだ。

 黒い影はひたすらに千依に暴言を吐き、喉元を押さえつけようとしている。


 破魔体質である千依に近付くだけでも妖は痛みを感じるはずだが、それさえも抗いつつ、どうにかこちらを害そうとするその気概だけは認めよう。


『我の……我の、もの……! やらぬ……やらぬぞ……。去ね……! 去ねぇっ……!』


 声はだんだんとはっきりしたものへと変わり、黒い影は形を成していく。


 長い黒毛のようなものを纏った何かが、そこにはいた。

 そして、ぎょろりと二つの目玉が千依を見下ろしてくる。


 年頃の女性だったならば、悲鳴を上げて気絶していただろう。

 だが、これまで何件もの依頼を達成してきた千依にとっては他の妖と大差ない。


 ただ、それでも慢心せずに機を見極めることだけは、間違えないように気を付けていた。


 ……うん、これ以上は危ないかも。


 この妖が呪いを完成させてしまえば、対処は面倒なものになるだろう。

 その前にさっさと祓ってしまおうと判断した千依は右手に霊力を籠め始める。


 先程まで体は思うように動けなかったが、目の前の妖について分析しながら、霊力を少しずつ腕から指先の一本一本へと流していたのだ。


 この身は頭から足の指先まで、すべてが妖を討つ刃だ。

 ならば、自分の思い通りに動けないものなど、ない。


 「ふんっ」と気合を入れ直せば、千依を呪おうと体に纏わりついていた妖気は一瞬で霧散していく。


 恐らく、こういうところが「規格外」だと三智鷹に評される理由だろうが、今は気にする時ではない。


 ……せーの! おりゃぁっ!!


 心の中で掛け声を発しながら、霊力を最大限まで籠めた一撃を妖の体に向けて、思いっきりに放った。


『ぎゃっっっ!!?』


 短い悲鳴と共に、何かが「ばりんっ!!」と割れた音が響く。

 黒い影は千依に殴られた場所から、しゅわしゅわと溶けるように消えていった。


「……ふー……」


 息を整えつつ、布団から起き上がった千依は念のために周囲を見回す。


 先程の妖が他に痕跡を残していないか探してみたが、やはりただの影──もしくは「呪い」が形となって現れたものだったのだろう。

 その場で消滅した以上、本体への追跡の術も効かないようだ。


 ……ふむ。中々の手応えだったけれど、あの妖はもしかして──……。


 先程の妖について思案していると、どたどたと大きな足音が聞こえてくる。



「──千依さん、失礼するよ!」


 一声かけられ、襖がばーんっと勢いよく開かれる。


 息を切らしながら立っていたのは、三智鷹だった。千依と同じで寝間着の姿なので、彼も寝ていたのだろう。


「怪我はない!?」


 普段とは違う三智鷹の焦りように、千依はふざけることなく真面目に返す。


「問題ありません。ただ、襲ってきた妖は影だったようで、本体を仕留めきれなかったことが悔やまれますが……」


 千依は妖を殴った右手をぎゅっと握っては開く。


 だが、もし本体に寝込みを襲われていたならば、さすがの千依も対処に遅れが出ていたかもしれない。

 取り逃がしたのは惜しいが、影が相手で良かったと思うべきだろう。


「そう、か……。無事で良かった……」


 三智鷹は安堵からか、その場に座り込んだ。よほど、心配していたらしい。


「それで一体、何があったんですか?」

「──俺がお答えします。その前に奥様、とりあえず何か羽織ってもらってもいいですかね?」


 開いている襖の陰から織人の声が発せられる。

 彼も三智鷹と一緒に千依の安否を確かめに来てくれたらしい。


 しかし、寝間着のままだったことを思い出し、今更だが羞恥が込み上げてきた。

 部屋が暗いとはいえ、見えないわけではないのだ。千依は手早く、近くにあった羽織に腕を通した。


「あと、若も奥様の部屋から出て下さい」

「契約とはいえ、一応、夫婦関係なんだけれど?」

「親しき中にも礼儀ありというでしょう。奥様に嫌われますよ」

「う……それもそうだな……。突然、押し入ってすまなかったね……」

「いえ、緊急事態だったと思いますし、仕方がありませんよ」


 取り繕った表情でそう答えるものの、内心は三智鷹に寝間着姿を見られたことを気恥ずかしく思っていた。

 何せ、結婚してから夜に互いの部屋に行くことなど今までなかったのだから。

  

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