第7話 デートのおやくそく



「先輩、これ美味しいですよ」

「あ、ありがとう」


 殺気立った食堂から逃げ出して俺は巨乳低身長で美人な朝日あさひちゃんと会社の中庭のベンチで飯を食べている。


 ただの飯じゃないぞ。

 朝日ちゃんの手作りお弁当だ。

 ちょっと大きめの曲げわっぱに、ほうれん草の胡麻和えやシャケの切り身、だし巻き卵にちゃんと梅干しも添えている。


 なんというか、デキる女子のお弁当って感じだ。

 男だったらこうはならない、茶一色の雑弁当にしかならないのだ。


「はい、これ食べてみてください」

「えっ!? い、いや、自分で食べられ——」

「えいっ」


 無理やり口の中に何かを放り込まれた。

 正直、緊張しすぎて何を食ったのかすらわからん。


 くっ、若さが眩しい……!!

 これが若さ……!!

 朝日ちゃんはたしか今年で22歳だったか……!!


 と、とにかく噛め! 噛み締めろ!

 会社でもプライベートでもモテモテな(だろう)朝日ちゃんの手作り弁当だぞ! 美味しくないわけがない!

 口の中も心も全てが幸せだ——!!


「先輩、なんか、ずっともぐもぐしてますね」

「あっ、ごめんね、朝日ちゃんの手作りお弁当マジで美味しくて……」

「ただのほうれん草ですよ? ふふ、先輩おかしい」


 ああ……心地良い陽の光にさわやかな風が中庭に流れている。この時間が永遠に続けばいいのに……。

 あれ? というかなぜ俺はこの会社のマドンナちゃんと幸せな昼食を過ごしているんだ?


「そういえば朝日ちゃん、俺に話したいことって?」

「んっ、そうでした」


 朝日ちゃんは200ミリリットルのペットボトルでご飯を急いで流す。


「先輩って昨日港街のほうにいませんでした?」

「あ、いたいた。朝日ちゃんも?」

「そうなんです! 友達とショッピングに行ってたんですけど、モール内で先輩に似た人がいたな〜って思って、それで聞いてみたかったんです!」


 うわーまじか、全然気づかなかったな。

 せっかく朝日ちゃんと休日に会えるチャンスだったのにもったいなかったな。いやでも友達といたなら気まずいだけか。


「俺さ、ちょっとした臨時収入があってね。最近新しく洋服を買ってなかったから、ファッションにお金かけようかなって思ってさ」

「えー! 奇遇ですね! 私も洋服を買いに行ってたんですよー! 私の友達にも誕生日が近かったんでプレゼントしようかなって思って!」

「あーそうなんだ、俺はファッションに疎いから朝日ちゃんに選んで貰えばよかったかな、はは」

「え、それすごくしたいです!!」


 え、マジ?

 冗談で言ったんだけど、思った以上に朝日ちゃんの食いつきがいいな?

 でも騙されるな逸人おれ、こういうのって単純に自分が頼られると嬉しいなって気持ちで、完全に善意でやってくれるもんだぞ。変な期待なんかするんじゃないぞ!


「今週の土曜日って昼間空いてませんか?」

「えっ!?」


 えっ、えっ、これどう考えたらいいんだ?

 女性との経験なんてわからないよ、どうしたらいいの!? デート!? デートってことだよね!?


 ちなみに今週の土曜日は休みの日だ、よくあるアルバイト同士のような『シフト変わってよ』なんてことは起こらない。


「私が選んだ洋服を着て欲しいな、なんて……」

「め、めちゃくちゃ嬉しいよ! ぜひ選んでくれないかな? 俺じゃその、無地のシャツくらいしか選べなくて……」

「やった! それじゃ決まりですね!」


 朝日ちゃんが大きく喜んだタイミングで昼休憩の残り時間が短いことを知らせるチャイムが鳴る。


「あっ、それじゃ、私は歯磨きして部署に戻りますね」

「ああ、俺も……お弁当ありがとうね、本当においしかった」

「先輩に食べてもらえるなら嬉しいです!」


 朝日ちゃんが部署に戻ってからも呆然としてしまう。今までこんな風にあの子と喋ったことなんてなかったのに……それに、デートの約束まで。


 あぁ〜……朝日ちゃんすごい良い笑顔だったな。

 しばらくベンチに座っていたら、もう昼休憩はほとんど残っていなかった。


「やっべ、早く戻らなきゃやばい!」



◇◆◇◆◇◆◇


 まだ逸人が朝日の弁当を食べていたころ。


 逸人と朝日が座っていたベンチから約30メートルほど離れた場所に、仕切り板で簡易的に区切られた喫煙所があった。


「……ちっ。社内恋愛か? ふざけやがって」


 この日は珍しく食後に喫煙する従業員が他におらず、喫煙所内には腹の大きく出たツナギ姿の班長だけが。


「うるせえ声が聴こえてきてんだよ、落ち着いてタバコも吸えやしねえ。迷惑なやつらだ」


 右手にはブラックコーヒーを握りつつ、タバコを口にあて煙を吐き、コーヒーで口内のヤニを流し込む。

 彼はこの所作で喫煙臭が消えると信じていた。


「中庭のベンチで飯を食うバカどもを見てやるか——」


 班長は雑に組まれた仕切り板の隙間から覗き込んだ。

 ニタニタとした下衆な笑みを浮かべながら。


「はあ? はあ? はあ? はあ?」


 それはちょうど、逸人が朝日の手作り弁当を食べさせてもらっているシーンだった。


 デブの班長はガリガリと頭をかいた。

 白いフケが空中に舞う。


「朝日何やってるんだ? なんであいつが? なんであいつが? なんであいつが? なんで? なんで、あのウスノロで生意気な逸人が? 何がいいんだよ、あんなやつ」


 心地よい陽気に似合わないほどに、班長は不自然に全身に汗をかきはじめた。

 それはまるで失禁をしてしまった時のズボンのように、背中や腋などの部分が色濃く変わっていく。


「ふざけんな、僕の方がずっと優秀なんだ。ふざけるなよ、絶対に教えてやる、朝日、お前は僕のだ」


 ぜぇ、ぜぇ、と息を切らしながら、目を血走らせてベンチに座る二人を睨みつける。


「逸人、お前、絶対に許さないからな」


 糸のようだった班長の目は大きく見開き、下の唇を前歯で強く噛み締めた。歯が皮膚を食い破り、それでも勢いは止まらず血は流れ出る。


「朝日もなんで僕以外の男にそんな顔をしているんだ、お前も絶対に許さない、絶対に許してやらない、謝ったって許すもんか」


 午後の始業開始を知らせるチャイムが鳴る。


「ああ……仕事か。あと一本だけ……吸っていこう」


 火をつけたタバコを口に咥えたまま、深呼吸をした。

 ジリジリと音を立てながらそれは全て灰になり、口と鼻から蒸気機関車のように煙を吐き出す。


 喫煙を済ませ、落ち着いた班長の服は。

 いつのまにか全て乾いていた。


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