第9話

 夢の世界から戻ってくる。

 寝惚けている自覚があった。頭の中がぼわぼわして、血液がどろどろと停滞している。背筋を伸ばし、重たい瞼を無理矢理こじ開け、流れの悪い血液を頑張って回す。

 徐々に思考が晴れてくる。


 「宮坂おはよ」


 目の前にいる金髪美女。堀口夏希から挨拶をぶつけられた。

 私はこくりと頷く。言葉を発するほどの元気はなかった。

 頷いてから、ぼーっとして、それからあれ? もう起きてたんだ。ってなる。


 五分だけ眠るつもりだった。

 堀口が起きる前に起きて、勉強を再開するつもりだった。


 でも起きれなかった。


 外はもう真っ暗。

 夏が少し近付いて、冬と比べて日は長くなった。それなのに外はもう暗い。太陽はどこにもいない。

 図書室は明るいけど、廊下やその先も暗い。

 なんとなく嫌な予感がして、柱にかかっている時計を見る。


 ――十八時三十分。


 最終下校時刻から三十分近くオーバーしていた。

 眠気は完全に吹き飛んだ。つらつら寝惚けている場合でもない。


 「私めっちゃ寝てた?」

 「まじ寝てたよ。すんごい気持ち良さそうに寝てた」


 堀口に問うと、生暖かな視線とともにそんな答えがやってくる。


 「…………見た?」

 「なにを?」

 「わたしの寝顔」

 「そりゃー、見ないと。気持ち良さそうに寝てるかどうかわかんないでしょ」


 至極真っ当な答え。

 頬の体温がほんのりと上がる。


 「なんで起こしてくれなかったの。恥ずいし……寝顔見られるの」

 「あんな気持ち良さそうに寝てて起こせってのが無理だよ」

 「そんな気持ち良さそうに寝てたんだ……私」

 「うん。まじめっちゃ」


 こくこく頷く堀口を見て、より一層恥ずかしさが湧き上がる。

 どうやったら堀口の記憶を抹消出来るかなとか考え始めるレベルで。


 「てか、最終下校時刻過ぎてるじゃん」

 「そうだね」

 「先生の見回りとか来なかったの?」

 「来たよ。来たけど、誤魔化した」

 「ご、誤魔化した?」

 「うん。『ギリギリになったら宮坂起こして帰ります〜』って言ったらすぐに居なくなった。司書さんも用事あるからって帰っちゃったし」


 だから最終下校時刻過ぎているのに、ここに居座ることができているのか。

 司書さんから小言を言われることもなく。

 図書室の電気が点いているのは司書さんが図書室でなにかしていると思われているから、教師陣たちも入ってきたりしない……ということか。

 なんというか。偶然に偶然が重なった結果、最終下校時刻を過ぎてなお居残ることができているという感じだな。


 それはそれとして。


 「バレたらやばいってことじゃん」


 結果的に残ってしまったわけで。誰かの許可を得て、残っているわけではない。

 つまり、教師にバレでもしたらお説教コースというわけだ。


 「まあそうなるね」


 堀口はくすくす笑う。

 彼女は不良だ。校則を破って金色に髪の毛を染めてしまうくらいの不良っぷりだ。だから怒られることに対して、恐怖のようなものはないのかもかもしれない。下手したらそれすらも日常だと思っている可能性がある。

 だがしかし、私は違う。自称優等生だ。

 少なくとも真面目。怒られるようなことはしないし、しようとも思わない。怒られたくないから。怒られるようなこととは一線を画し、遠ざけて生きてきた。


 「怒られるかな」

 「見つかったら怒られちゃうかもね」

 「……」

 「宮坂、怒られたくない?」


 堀口は荷物を片付けながらそんなことを訊ねてくる。


 「当たり前じゃん。怒られたくないよ」


 私も手を止めることなくその問いに答える。


 「そっかー。まあ積極的に怒られたい人なんていないよね」


 堀口はそう答える。

 へー、堀口もそんなこと思うんだ。

 少なくとも嫌なことという認識はあるんだ。それなのに髪の毛を金色にして、虐めなんかとして。なんというか……変なの。


 「なにその目。私だって別に怒られたくないよ。そりゃ慣れてるけどね。怒られることには。でも怒られたら気分悪くなる」


 どうやら顔に出ていたらしい。


 「ほら、宮坂。早く準備してね」

 「うん」

 「怒られないうちにさっさと出よ?」


 気付けば堀口はもう片付け終わっていた。机の上に出ている筆記用具なんかはぜんぶ私のものである。

 急かされて、置いてかれないように乱雑に片付けていく。ほとんど突っ込むような形で荷物を片付けて、バッグを持って席を立つ。


 「それじゃ、行こっか。ここから逃げよう」


 私の手を掴んだ堀口は微笑み、ゆっくりと歩き出す。

 堀口の体温が私の手のひらに伝わった。体温がこれは夢じゃないんだって教えてくれる。

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