第18話 抱き付き令嬢倒れる

 その後も何日かに一度はつい壁に抱き付いてしまう日々を過ごしています。寝室の奥のドアとドアの間の壁が一番のお気に入りです。離れの庭の奥に良さそうな木があるのですが、敷地内と言え一人で散策させてもらえないので、あの木に抱き付くのは我慢しておりますの。令嬢が木に抱き付くなんて奇行が発覚したら、それこそ婚約破棄になってしまいますわ。


 そんなある日いつものように寝室の壁に抱き付いている所を、マリリーズに見つかってしまいましたの。


 「お嬢様どうされましたか?」マリリーズがあっわてた様子でこちらに向かって走って来た。そのまま私を支えて背中をさすりながら「大丈夫ですか」と声を掛けてくれる。

 「大丈夫」と言おうとして、吐いたため息を吸い込んでしまい、吐き出した何倍もの重みが肩だけでなく体中にのしかかって来たように感じて、立っていられなくなりその場にずるずると座り込んでそのまま意識まで手放してしまいました。


 そして私は眠りの中で夢として前世の記憶を思い出したのです。少しは転生とか知識チートなどの言葉も思い出しましたので、今の状況がすんなり受け入れられました。ただ私にチートの能力は無いように思われます。大変残念でございます!多分無理でしょうけれど、これから覚醒するのに少し期待ですわ。


 目を覚ました私は、こちらに来て、環境に慣れる前に勉強の詰込みをしてしまい精神的にも肉体的にも頑張りすぎたのでしょうという事で、過労と診断されました。十分に休養して、自分のペースで環境に馴染みましょうとお医者様に言われてしまいました。別に無理をしたとは思っていませんが、ロッテンさんにそういえばマクシミリアン様のお兄様の婚約者教育の時は四か月以上かかりましたと言われて、少し無理をしたのかもしれないと思いましたの。


 取り敢えずは一週間はお勉強も刺繍もお休みにしますと言われてしまいました。刺繍以外はほとんど復習という名の実践という感じで、この五日程は日々の生活の中で気になる所作があれば注意されたり、離れの家政の采配の練習として朝食の時に私がその日の皆の予定を伝えて不都合があれば意見を貰って修正するというほぼ何もしていない状態でした。


 暇だったから駄目だったのですよとは言えず、大人しくしていることにいたしました。その間に思い出した前世の事を色々考えてみようと思います。


 前世の私、東山有紗は中学から大学まで女子校で父親と先生くらいしか男性と関わる事も無く、学校の先生曰く『君たちは温室育ちだから』という言葉の通り、学校で女子特有のいじめも経験することなくのほほんとのびのび十年間女子高を満喫しました。細かい事はあまり思い出せませんが、楽しく充実した学生生活だったと思われます。


 就職先も配属された部署には部長以外男性がいない変わった部署でお局様にいびられることも無く皆で協力してプロジェクトを推し進めるような平和な部署でした。


 但し、会社の中では男性と接することが無いわけではなく、他の部署とのやり取りや会社の行事など、それなりに交流はあったのです。周りからは喋り方も表情も硬すぎると何度も注意されました。そのせいか、誰ともお付き合いをすることも無く一生を終えることになってしまったのですけれど。


 それでも会社では、お一人様もそれなりにいたので、そんなに悪目立ちすることも無く過ごすことが出来ました。

 でも家に帰ると、母が結婚しろとうるさかったのです。家は、都会からちょっと離れた元田舎で、ベッドタウンとして新しく開発されていました。よそから入った人はどちらかというと都会の人でしたがうちは元から住んでる田舎気質の一画でした。その為結婚に関しても、せめて三十になるまでには結婚して子供を産むのが当たり前という世界観の人達が多かったのです。それはセクハラだしパワハラだと声を大にして言えたら良かったのですが、そういう訳にもいかず、近所の手前肩身が狭かった母には『戻ってきたらいいからせめて一度は嫁に行ってくれ』と言われる始末です。勿論ご近所の方からお見合いのお話もいくつも頂きました。どちらかというと、お断りされる方が多く(ご近所の方にこちらから断りにくいので有難いという事が多かったのですが)中には、最初に合った日に手を繋いでくる方がいて、最初は避けられずつないだのですが次はそっと避けたら、『僕の事好きじゃないみたいなのでお断りさせてもらいます』って言ってきました。こっちはずっと女子校で男の子と手をつないだ経験も無いのに、好きかどうかも分からない人と出会った日に手をつなぐなんてありえないと思ったのですが、それは一般的ではなかったのでしょうかね。


 そんなわけで、前世の私はちゃんとしたお付き合いをすることも無く三十七歳で幕を閉じ、そして今世も、今の所誰ともお付き合いすることなく突然の婚約、それもお飾りの妻が濃厚です。本当に恋愛には縁が無いのだとしみじみ思います。

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