第19話 愛馬から学んだ覚悟
厩の入口に立つ、宿の女将の形相は、夜の暗さも相まって恐ろし気だった。
「だから、次の町に行けって言ったじゃないか。軍人と揉めたくなかったんだ。」
女将は、人を襲っておきながらそんな事を言って来た。
「襲わなけりゃいい。ゆっくり寝かせてくれたら、それで済んだのに。」
「久し振りに、肉が食いたくなったのさ。馬の肉。軍馬は売れないからね。」
「はあ?」
悠可は呆れた。
だが、これで確実に、女将は悠可の口を塞ぐつもりなのだと理解した。他の盗人は武器を持っていなかったが、女将の手には、槍が握られている。
悠可は、ギラリと光る刃先を見据えて、間合いの距離の見当をつけた。
「馬1頭盗むのと、軍人1人殺めるのとでは、罪の重さが違う。
話が違う。俺は降りる。」
緊迫した空気の中、盗人の仲間の1人が宣言した。
「俺は、馬を盗むとだけ聞いたから雇われた。人を殺すつもりは毛頭ない。今ならまだ、罪は軽い。
そもそも、軍人殺しちゃ、俺達は割にあわない。降りる。」
雇われた側としては、真っ当な意見を言う奴だ。悠可はその彼に賛同した。
「その通り!私は王都の部隊に配置替えされて、4日後には王都に着いていなくちゃならない。遅れたら、恐らく探索の者が出る。」
「はあ?たかが軍人1人が、到着しないだけで探索される訳がないだろう。」
女将は鼻白んだように投げやりに言う。
「探すよ。無断で軍を抜ける事は出来ないからね。軍法会議に引っ張り出す為に、早急に探索部隊が出るんだ。」
「死んでたら、見付けられないね。」
「そうでもないよ。腕の1本でも、見付けるまで徹底的に探すんだ。早い段階から軍犬が捜索に加わるから、死体でも嗅ぎ当てる。」
女将の殺意の気配が変わった。
その様子に
「しかも、私は、巌一門の軍人だ。私が戻らなかったら、巌一門が動く。」
とどめに、悠可は巌家の威光を借りた。
「そういう事なら、俺はこの軍人に付く。傭兵稼業で巌一門を敵に回したら、生きていられないからな。」
馬泥棒は、傭兵でもあったらしい。あっさりと、悠可の味方に付く事にしたようで、女将に向かって、威嚇するように構えると、腰に隠していた折り畳みナイフを一瞬で右手に出現させた。その手慣れた仕草に、悠可は驚いた。
『武器を持ってないと判断するのは早計だった。組み合っていたら危なかった。』
悠可は、本心から、その手捌きに感心した。
手練れの傭兵と軍人、対、宿屋の女将。
いくら女将の槍捌きが見事であろうと、怪我せずに凌ぐのは難しそうだ。
「お前、もうその辺にしておけ。もう馬泥棒から足を洗う潮時だってことだよ。」
そう言って、女将の後ろから現れたのは、前の厩番の老人だった。
「……父さん……。」
女将が、弱々しく槍の先を下げた。
「軍人さん、申し訳なかったね。北寄国との交易が無くなって、この街道を行く人がめっきり減ってね。食うのにも困る日々だったんだよ。
この宿屋が無くなったら、北の要塞への中継宿が無くなっちまうから閉められなかったんだが。これを期に、廃業するよ。」
老人のその言葉に、女将はがっくりと肩を落とした。
その女将の肩に手を置いて、労わるように老人は続ける。
「お前も、よく頑張ってくれたな。でも、人を殺めてまで盗むのは良くない。
それに、儂の槍を、こんな事に使わんでくれ。戦場で共に働いた儂の伴なんだ。」
老人の小さい背中に、かつての武人の気概を感じた。
「よく手入れされている槍だと、思いました。貴方の槍だったのですね。」
悠可の言葉に、老人は嬉しそうに微笑んだ。
「儂は、背が低くてな。槍持ちだから生き残れたんだ。」
昔、崑国の第二王子が親善の証として北寄国に行くまでは、国境付近での小競り合いで争う事は度々あった。
駐留する軍属がその度に対応したが、住まう住民も、自分の家族を守る為に戦いに参加せざるを得なかった歴史がある。
民兵として参戦して、この国を、この地方を守って来たのだ。
「娘にも、槍は教え込んだ。儂に息子は授からんでな。
万一の時は、身を守ってもらいたい一心だったが、こんな事の為に使ってほしかった訳ではない。」
老人のその言葉に、女将は無言で俯いた。
悠可は、老人の言葉に、考えを巡らせた。
王都から北の要塞へ向かう最後の宿場の宿屋が、1軒も無くなるのは、軍にとっても不都合になる。これから冬に向けて、天候の急変時に泊まれる宿が無いのは、補給上、死活問題だ。
「わかった。
厩番のおじさんの、これまでこの地方を守って来た功績に、軍として報いるべきだと、私は考える。
よって、明日の朝一番に、この地を治める郡支に出向いて、軍に宛てての要望書をしたためてもらう。それを持って、王都に帰り、相応の温情を受けられるように、掛け合ってみよう。」
悠可のその言葉に、皆、ポカンと口を開けた。
すぐに反応したのは、傭兵の彼だった。ナイフを腰に仕舞いながら、
「あんた、さっき殺されかけてたよな。いいのか?それで。」
呆れながらそう言う。
「馬泥棒に関しては、相応の罰が下ると思うよ。正直に前科を白状して、明日一緒に私と出頭してもらおうかな。
傭兵のあんたも、どの時点から泥棒に加わったのか、聴取する。」
「はあ??」
「私は、傷一つつけられてないから、この際、目を瞑る。
皆、今夜のことは、一切他言無用。それでいいかな?」
「いいのか?!」
「いいも悪いも、それしかないだろう。軍人殺そうとしたなんて、斬首刑だ。」
一同、刑の重さに、ハッとした。
重い空気が漂う。
「この町に、宿屋が無くなるのは、軍としては困るんだよ。北の要塞は冬に向けて食料の備蓄を増やす。重い荷運びは日数がかかる。ここを中継しないと、補給に支障が出かねない。野宿するのは軍人は平気だが、商人は宿に泊まりたいだろうし。」
そう、悠可が考え考え言うと、更に重い空気が漂った。
そこから眠らずに、悠可は女将から馬泥棒の前科について調書を作成した。
軍人を殺めようとまでした割には多くない前科で、拍子抜けする程だった。
盗みのほとんどが、客から預かった積荷の一部(主に食料)を拝借する程度の盗みだった。客側にも認識できない程度の量で盗んでいた。
馬を盗めたのは2回。何と、解体して肉にして、隣町に売りに行っていた。
若い馬は元気があって抵抗されるので、老齢の馬を狙って盗んだそうだ。
老馬を盗まれた商人は、積荷を運ぶ為に地域の住人を荷運人として雇う形で対応したようで、雇われた住人側も収入に繋がる仕事を得られたので、馬泥棒の犯人捜しは誰もしなかったようだ。
悠可は、住民のしたたかさに舌を巻いた。
悠可が最初にぶっ飛ばした小柄な男は、女将の息子で、背負い投げされたのは女将の夫だった。彼等からも、事情聴取を行ったが、その隙に、あの傭兵は姿を消していた。さすがというべきか、いかにも偽名らしい名であったのが、憎らしい。
『逃げるとは思ってたけどね……。』
あの傭兵の見事なナイフ捌きを、もう一度ちゃんと見ておきたかったのだ。
日が登ってから、悠可の軍馬がゆったりと帰って来た。
何故か、もう1頭、馬を引き連れて。
立派な体躯の牡馬だ。栗毛が美しい。悠可の軍馬は黒毛の牝馬であった。
「え??お婿さん連れて来たの??」
悠可は軍馬の手綱を引いた。牡馬は、軍馬に悠可が近付くのを警戒して前脚を数回不機嫌に踏み鳴らしたが、牝馬が一息鼻を鳴らすと、大人しくなった。
気性の荒そうな牡だ。裸馬で、毛の擦れ具合から、鞍を置かれた事が無い様子だった。軍馬を厩に繋ぐのが嫌なようだ。
「一応、町中なので、その辺に馬をウロウロさせる訳にはいかないよ。」
悠可が牡馬にそう言うと、不満気に荒い鼻息を吹いた。
厩番だった老人が出て来て
「向こうの草原に、昔の戦の時に逃げ出した馬が野生化してるのは知っていたが、そうとう距離があるぞ。あんな所まで、遊びに行ってたのかい、この嬢ちゃんは。」
呆れて言った。
「まだ若い駿馬だね。初めての発情か?まだちゃんと自覚が無いようだな。」
「……そうかな??そうか……??」
悠可には未知の事で、自信無さげに答えるしかない。
「この体なら、群れを率いている牡だろうに。よっぽどこの嬢ちゃんに惚れたんだろうな。こんな所まで付いて来ちまって。」
「どうやったら、群れに帰るかな?」
「そりゃ、想いを遂げるまで、付き纏うだろうな。嬢ちゃんがその気になるまで。」
悠可は、頭を抱えた。
「なに、もう発情してるぞ。ホレ。」
何と、軍馬は、尻尾をちょいと上げて、発情時の特徴的な仕草をして見せた。それを見た牡馬は荒い鼻息で、脚を何度も踏んではじれったそうにしている。
悠可は、赤面した。
「今はまだいいが、暴れる事もあろうから、早めに乗っからせた方がいい。」
「乗っからせる?!」
「この牡なら、生まれる子は、きっといい馬だぞ。良かったな。」
悠可は、郡支に出向く時間を午後にして、軍馬に跨っていた。その傍には、立派な体躯の栗毛の馬が寄り添うように並走している。
雄大な草原が見えて来た。
草原の手前で、悠可は馬を降りた。
軍馬に着けていた鞍を降ろし、轡も外した。裸になった牝馬は、ちょっと不安そうに悠可を見た。
「ここで待っているから、遊んでおいで。そして、呼んだら、帰って来てね。」
寄せて来た鼻面に額を付けて、悠可が優しく顔を撫でてやりながら、そう言うと、安心した瞳で、見つめ返してくれた。
雄大な草原の中に、2頭の馬が嬉しそうに駆けだして行った。
じゃれ合うように体を寄せ合い、口付けを交わす。
やがて、牝馬は牡馬を受け入れた。
離れては、睦み、じゃれ合ってはまた睦む。
嬉しそうだった。お互いがお互いを、求めあっていた。
「馬は、いいなあ。素直で。」
声に出して言って、悠可は大きく伸びをした。そのまま、草の上に座って、空を見た。真っ青な青空に、真っ白で大きな雲が、幾つも流れて行く。
2頭の馬は、ゆったりと走って、何かを語り合っているかのようだった。やがて足を止めると、鼻面をすり合わせて、見つめ合った。
ふいに、牝馬が、悠可を見た。悠可と目が合った。
ふいっとそのまま、悠可の方に向かってやって来る姿を見て、悠可は立ち上がって、彼女を迎えた。
向こうには、動かないままの牡馬が、こちらに視線を向けたまま立ち尽くしているように見えた。
「お帰り。もういいのかな?」
悠可はいつものように、彼女の鼻面を撫でてから、そこに額を寄せた。
彼女の匂いが、前と違っていた。何がどうとは言えないが、明らかに以前の彼女ではなくなっていた。
彼女は、軍馬に戻っていた。きっと次の春には母になるのだと思う。その纏う気配は凛々しく、力強かった。
そして、彼女はもう、一度も牡馬を見なかった。
宿に戻ってから、大慌てで郡支に出向き、用向きを伝えて、書類を渡し、以後の対処を担当者に任せた。
一介の軍人に、口を出す権限は無いが、後日、王都の軍本部から、この件に関しての意見書なりの文書が届く筈だと、付け加えておいた。
「温情を持って、対処するように望む。調書は既に揃っている。以降、間違っても厳しい詮議は、私の調書への不満と取る。」
そうして、その上で、更に名乗った。
「私は、巌総領家の長子。左軍総監、巌 可貫の第一子、巌 悠可一等兵だ。」
渡された調書に無表情で目を通していた文官は、思わず姿勢を正した。
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