第20話 一族の七光り
悠可は、王都への道を馬を急かしながら、さりとて無理はさせないように、急いだ。のんびり行く予定の旅は、宿屋での馬泥棒の件を片付けなければならないので、次回にお預けとした。(次回があるとは思えないが)
王都に到着し、まずは叔父の貫凱の居る場所に駆け込んだ。配属先の部隊に行く前に、宿屋の件を叔父に相談しようと考えたからだ。
一度配属先に出向いてしまえば、自分勝手な行動は出来ない。軍属の厳しさを知っているからこそ、そう動いた。
叔父の貫凱は、左軍総監の父の可貫の実弟で、悠可が幼い頃から剣の手解きをしてくれた師匠でもある。戦場で生死の境を彷徨う程の大怪我を負い、可貫の意向で戦場に出る事を禁止されたのだ。
現在は王都にて、総領家の細々した業務の采配を、母の麻那と共に担ってくれている。その中でも最も重要な役割は、崑国聖国教修道会を陰から支える事であった。
聖国国教会の修道士の修練場に、叔父は居た。修道士達に武術を教えている最中だった。教練が一段落するまで、悠可が待つつもりで修練場の入口に立つと、それに気付いた叔父が、すぐにこちらに歩いて来た。
修道士達はおのおのが修練を続けている。
「やあ。久し振りだな。愛可(悠可)。今日が戻る日だったか。」
貫凱が、相好を崩して、久し振りに会う姪を抱きしめた。
悠可(愛可)は、叔父が大好きであった。昔から自分を甘やかすのは、この叔父だった。甘味の菓子や果実水を持って、愛可に武術を教えにやって来ていた。楽しく遊びながらも、実はそれが鍛錬であり練習であったのだ。
鬼ごっこや、かくれんぼ、棒鬼、球技、全身を使って遊んだものだ。
実にユニークな教え方をする人で、鍛錬が苦しくて嫌だと思う事は全くなかった。遊んでいるうちに基礎体力が上がり、筋肉が着き、剣を自在に扱う事が出来ていったのだ。
大怪我を負って以降は、走る事は無くなり、基礎的な剣術指南に移行したが、それでも叔父から習った剣術は、軍の幼年学校よりも学びが多かったのだ。
叔父の剣術…いや、巌総領家の剣術は、戦で勝ち抜く、実戦向きの剣術だった。あらゆる角度からも切り込み、突き、防御する。
北奇国との戦でその剣術の重要性を実感した。
油断から背中に傷を負ってしまったが、命が助かった今は、次にはそんな失敗は無いと確信している。
『飛び道具の負傷以外で命を落とす事があってはならない。』
それは巌総領家の無言の掟だ。背中の刃傷など、恥でしかない。その傷を悠可は初陣で負った。自分への戒めだと、悠可は悔しさを奮起の材料にした。
「叔父様、ご無沙汰しています。戻って来て、真っ先にここに来ました。」
「ほう。それは嬉しい。……何か相談事かな?」
「耳の無い所で、お話があります。」
「……では、石の部屋がいいかな。」
「はい。」
修道会の地下には、密談を聞かれない為に用意された石で囲われた部屋が幾つかある。『壁に耳あり』を防ぐ為の、防音室だ。
地下の、歴代の聖国教会の教主の棺と棺の間に、その石の部屋は隠されている。万一その石部屋を急襲されて逃げる場合は、両脇の教主の棺の、どこかから出られるようになっているらしい。(実際に使われた事はまだ無い。)
その石部屋は、白い石灰石で組まれた部屋だった。中央のテーブルの上に灯りが置かれ、部屋の隅の燭台に灯りを分けると意外に明るい室内になった。
どこかから、風を感じる。恐らく、抜け穴の壁の隙間から吹いて来る隙間風だ。
壁側に立てかけられていた、1本脚の椅子をそれぞれが手元に引き寄せて、バランスを取りながら座った。
「着いて早々、すみません。急いで軍に戻らないといけないので。」
「分かっているさ。……で?」
「北の要塞に最も近い宿場町の宿屋が、このままでは全て閉じる事になります。」
悠可はそこから話し始めた。叔父の貫凱は、悠可が話し終わるまで、口を挟まず聞き役に徹していた。
「話は、分かった。要塞への補給路の確保は重要だ。軍にも掛け合おう。
それと、馬泥棒の件は別だ。ましてや、愛可を危険にさらした宿屋の主人は交代する方がいい。信用に値しない。宿屋の運営は、修道会が動こう。」
「ですが、あの地方を個人の立場から守って来た功績を考慮に入れて欲しいのです。」
「それは無い。自分の財産を守るのは、国中の民がしている。客足が途絶えたからといって、軍人の馬を傭兵を雇ってまで盗もうとするなど、短慮が過ぎる。」
叔父の意見に、悠可は黙るしかない。
「悠可は、自分の軍馬を奪われていたら、どう動くつもりだったんだ?戦時下でもない町中で、軍馬を盗まれた軍人が、軍営に戻って一人前に扱われると思っているのか?」
悠可は、青ざめた。
「ざっと話を聞いた限りでも、その宿屋の主人は信用出来ない。お前は、自分が世間知らずだという事を、もっと自覚した方がいい。
辛酸を舐めながらも、必死で生きている人々は沢山いる。」
叔父は、いつになく、厳しい意見を言った。
「お前は、巌総領家の者だ。一族の七光りに甘んじていては、足元を掬われるぞ。巌の名を持つ以上、利用しようとする者は寄って来る。話しの裏の裏を読め。すぐに信用するな。」
悠可は、頭を殴られたような気がした。
言いようのない絶望感に襲われた、とでも言おうか。無自覚の甘えを自覚したとでも言おうか。
言葉も出ない程にショックを受けている悠可に、叔父は更に付け加える。
「逃げた傭兵も、追う。逃がさん。
悠可に槍を向けた女将には、相応の罰を与えよう。斬首よりも過酷な罰がいいな。財産を没収して、流刑が相当だろう。
巌一門の者に、国内で矛先を向けたんだ。敵であるならいざ知らず。甘い処置は後々禍根を残す。国の軍人と分かっていながら害そうとしたのは見過ごせない。」
叔父、巌総領家の当主の実弟の貫凱は、厳しい表情でそう言って席を立った。
「お前の顔を無事に見られて良かった。早めに時間を作って、麻那殿に顔を見せてやりなさい。随分心配していたよ。」
悠可(愛可)の肩に優しく手を添えて、叔父は部屋から出るように、即した。
初めての一人旅に浮かれていたのだろう。
自分が判断して下した答えは、反対されない、と思っていた。
宿屋の女将の行いは、自分さえしっかりと事後処理をすれば大丈夫だと思っていた。私に怪我が無かったのだからと。
全てが間違っていた。
国の軍人の軍馬を盗もうと思った時点で、ダメだったのだ。
宿泊客の荷に手を付けた時点で、ダメだったのだ。
もう、とうの昔にあの宿屋は、宿を営む者の矜持を捨てていたのだ。
その宿屋の女将を、宿屋が続けられるように、何とかしようと思っていた。
自分なら、何とか出来ると思っていた。左軍総監の娘だから。だから、郡支の文官に偉そうに名乗ったのだ。父の名前まで出して。
穴があったら入りたかった。
自分はなんて恥ずかしい事をしたのだろうか……。
軍営に向かう王都の道を、馬の背に揺られながら、様々な後悔に苛まれ続けた。
情けなさ過ぎて、泣きたくなった。
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