アフターストーリー:枯れた星砂
王都を追われ、リリス・星砂はあてもなく彷徨っていた。かつて、月の光を浴びて輝いていた故郷の月影の村も、煌びやかな王都も、もう彼女の居場所ではなかった。足元に広がる荒れた土の道だけが、ただ無限に続いている。
ゼルファス・闇鋼との日々は、夢物語だったかのように遠い。あの男が聖杯の力を失い、王国の法廷で裁かれる姿を目にした時、リリスの胸に去来したのは、安堵ではなく、空虚だった。彼の隣で得たはずの地位も、名声も、全てが幻だったのだ。手のひらからこぼれ落ちていく砂のように、あっけなく消え去った。
そして、アルバス・蒼月。彼の瞳に宿っていた冷たい光を、リリスは忘れることができない。涙ながらに許しを請うた自分を、彼は一瞥もせずに「君が選んだ道だ」と告げた。その言葉は、どんな罵声よりも、どんな刃よりも、深くリリスの心を切り裂いた。彼女の心に残っていた、わずかな希望の光も、その瞬間、音を立てて砕け散った。
アルバスは、もう昔のアルバスではなかった。優しく、控えめで、自分を盲目的に愛してくれたあの青年は、もうどこにもいない。彼の瞳に宿っていたのは、憎しみでもなく、ただ諦めと、そして無関心だった。それが、リリスにとって、何よりも耐え難い現実だった。憎まれる方が、まだましだった。憎しみには、まだ感情が残されている。だが、アルバスの瞳には、もはや彼女に対する何の感情も残されていなかった。
日々、歩き続ける。どこへ向かうという明確な目的地はない。ただ、この身をどこかに横たえる場所を探し続けているだけだ。道行く人々は、彼女の疲弊した姿を物珍しそうに眺めるか、あるいは無視するか、どちらかだった。かつて、村一番の美貌と謳われた面影は、もうどこにもない。髪は乱れ、顔は煤で汚れ、瞳の輝きは失われていた。
ある日の夕暮れ、リリスは小さな村の酒場で、わずかな金貨で手に入れたパンをかじっていた。耳慣れない旅人たちの会話が、ぼんやりと耳に入ってくる。
「知っているか? 王都では、新たな英雄が誕生したらしいぞ」
「ああ、月の精霊の加護を受けし者、アルバス・蒼月殿だろう? ゼルファスを討ち、聖杯を取り戻したとか」
「彼の治癒魔法は、枯れた大地すら蘇らせるという。王都の民は、皆彼を称えている」
アルバス。その名が、リリスの胸を鋭く貫いた。英雄。枯れた大地を蘇らせるほどの力。王都の民に称えられている。自分の手から滑り落ちた全てを、アルバスは手に入れたのだ。彼は、自分が捨てた輝かしい未来を、着実に掴み取っていた。
リリスは、その場で震えが止まらなくなった。口の中のパンは、まるで砂を噛んでいるかのように味気なく、とても飲み込むことができなかった。あの純粋なアルバスが、こんなにも強く、そして崇拝される存在になった。その事実が、リリスの心を深く深く抉った。
もし、あの時、ゼルファスの甘言に乗らず、アルバスを選んでいたら?
もし、あの時、聖杯を渡し、村を裏切らなかったら?
もし、あの時、自分の野心に打ち勝ち、平凡な幸せを選んでいたら?
後悔の念が、津波のようにリリスの心を押し流す。あの時、自分が抱いたささやかな揺らぎが、取り返しのつかない過ちとなり、全てを失う原因となった。
夜が深まるにつれて、リリスの心はさらに深く沈んでいった。空には、皓々と満月が輝いている。その光は、月影の村でアルバスと交わした「精霊の誓い」の夜を思い出させた。あの夜、彼の瞳に宿っていた、自分への無垢な愛。そして、自分が彼に誓った、永遠の未来。
全てが、幻だった。自分の手で壊してしまった。
リリスの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。それは、後悔と、自責と、そして何よりも、未来への絶望の涙だった。彼女の心には、もはや何も残されていなかった。希望も、愛も、そして生きる意味すらも。
荒野に咲いた一輪の野花のように、彼女の命は、静かに、しかし確実に枯れていこうとしていた。かつては美しく輝いていた星砂も、今ではただの、乾いた砂粒にすぎない。リリスは、この広大な世界で、永遠に、孤独な後悔の淵を彷徨い続けるだろう。
異世界幻想譚:裏切りの聖杯 @flameflame
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