罠(2)

 忌々しそうに、後藤が呟いた。

「……まさか本当に、空間魔法使いが存在するとは……」

 姿勢を低く保った後藤は、莉央に注意を向けながらも、警戒深く周囲についても目を向けた。後藤の言葉に、誠人もこの風景をどこで見たか思い出した。莉央の影を読んだときだ――。莉央はここで、母親と、そして母親の支援者達と、幼少期を過ごしている。


 後藤もこの空間がどう成立しているか知っているような口ぶりだった。

 体の正面は常に莉央に向きながら、後藤は右に左にと、落ち着きなく歩き続けた。


 莉央の方は動かなかった。

 後藤をつかんでいた右手を、軽く払い、街中に立っている時と変わらない自然体で、口元だけ笑って答えた。


「場所を借りてるだけだから、そう心配すんなよ。ヤるのは俺だけだ。事が済んだらちゃんとここから出してやるし。まあ……出る以外のことは保証しないが」


 後藤の目が血走った。

 信用するか、と目が言っている。

 だが、ここから出る方法を、当然後藤も知らないのだ。出られないなら、やるしかないと目が物語り、後藤は身体を低く構えた。


「……お前を呪うほど探したぞ」

 莉央は呆れたように、ため息をついた。


「知ってる。俺もお前にうんざりしていた」

 聞いたことがない冷たさをはらむ声だった。誠人はすっかり怖くなって、息を潜めて後退した。


 誠人の後方には隠れるところが何もなかった。靄に触れることも怖い。この空間で、問題とならない行動自体が分からない。仕方なく、靄に触れる直前で止まり、せめてとしゃがみ込んで二人を見た。幸い、莉央も後藤も誠人になど興味はなく、お互いを監視しながら話していた。


「昔から俺のこと、物欲しげな目で見てたよな。気色悪ぃんだよ、ペド野郎。追っ手がお前になったのは有り難かったけど。おかげでこの十一年、をする暇があった。――見当違いのとこばっか探して……ほんと才能なくて笑えるわ。何度お前の前を通ったと思う? あ、それともアレ? 俺を追いかけるのが生き甲斐だった?」


 挑発的に莉央が前髪をかき上げた。

 いつもと異なり、ずいぶん口調が荒っぽい。誠人は少し驚いた。莉央に幻想を抱くパートのおばさま達に、ぜひこのヤンキーまがいの『神』を見せたい。そんな悠長なことを考えて、考えられる自分の余裕にも驚いた。


 後藤は怒りで顔を真っ赤に染めた。

 屈辱に唇を噛み、顔を歪めて莉央を睨む。

「……育ちすぎて好みじゃないが、相手してやる」


 絞り出すように唸ると、後藤は自身の懐に手を突っ込んだ。何かをつかみ、引き出す。じゃらりと音が鳴る紐のような物に、誠人は目を瞠った。鎖だった。赤ん坊の腕ほどの、太い鎖だ。その鎖を、後藤はまるで釣り竿でも振るように、懐から引き抜き、地面に向かって叩きつけた。

 激しい破裂音と共に、草と土が大きく飛び散る。

 思わず、誠人は両手で耳を覆って背骨を丸めた。

 深くえぐれた大地の中に、沈み込むような鎖が見えた。

 長い鎖だ。後藤の身長よりも長く見えた。

 どう見ても重量がある。

 とても、やせ細った後藤の手で扱えるような代物に見えない。

 先程誠人の腕を捕まえた時のように――あるいは、ダンベルを握りつぶした莉央のように――後藤はやすやすとその鎖を扱っている。


 そのさまを見つめる莉央は、相変わらずの無表情だった。驚く様子もなく、しかし計算高く目を光らせながら、後藤のことを眺めている。

 後藤は両手で鎖を掴むと、大きく腕を振り回した。動きが伝わり、ヘビのように鎖も波打つ。鎖は弧を描きながら、莉央めがけて振り下ろされた。


「蒐宮っ……!」

 思わず誠人が名前を呼ぶ。

 呼びながら、「なんで俺はこいつを心配してるんだ?」と冷静な自分が疑問に思った。理性に反して、感情の不安は止められなかった。莉央の影を読んでしまったから――他人なのに、割り切れない。


 振り下ろされた鎖は、誠人の視力では捉えきれないほどの高スピードで莉央の首に巻き付いた。

 咄嗟に、莉央は首と鎖の間に自らの左手を挟んだらしい。窒息はなんとか免れたか。しかし、にやりと笑った後藤は鎖を引く腕に力を入れた。すると、巻き付いた鎖が、ギチギチと音を立てて締まるのが見えた。さすがの莉央も軽く目を見開いた。「魔道具か」莉央が小さく呟く。後藤は勝ち誇って騒いだ。


「お前は力が強いって聞いていたからな。少し値は張ったが……。馬鹿力相手にぴったりだろう? お前の首の骨が砕けるまで、ゆっくり締め上げてやる」


 言葉通り、鎖はゆっくりと締まり続けている。差し込まれた莉央の左手首が赤くこすれる。

 誠人は混乱して揺れ動いた。

 何をどうしたらいいか分からない。

 莉央を助けた方が良いような気もするが、自分に出来ることも分からなければ、本当に莉央を助けて良いかもわからない。


 立ち尽くす誠人に反し、莉央は変わらず冷静だった。

 締まり続ける鎖を面倒そうに一瞥した後、「まあ、俺も使から好きにしたらいいけど」とつぶやき、あろうことか、ため息をついた。


「目もついてなきゃ、耳も聞こえねぇ野郎だな」


 ぎりぎりと鎖で声帯が押されたせいで、後半の莉央の言葉は小さかった。

 しかし後藤の耳には届いたらしい。

 莉央が焦りもしないことに疑問を抱いた後藤は、罠や仲間の存在を疑って、抜け目のない目で周囲を見渡す。


 そして肩越しに後ろを振り向いた時。後藤は、自身の背中に生える、大きな翼に気が付いた。


「うわっ!」


 後藤が悲鳴をあげる。誠人も目を疑った。もう今夜だけで、何度自分の目を疑っただろう。 


 翼は文字通り、後藤の背中から生えていた。

 細胞が分裂するようだ。後藤のトレンチコートと鳥の翼が融合している。

 鳥はそのまま、背中から生まれ落ちるように羽ばたいた。後藤には見えないだろうが、鳥は背中に三羽おり、いずれもそこから飛び立とうと抜け出ている。


「なんだこれは?!」

 後藤の疑問に同感だった。

 鳥が姿の全てを表す。

 黒い頭、灰色の胴体、羽先と尻尾が美しい青色――オナガだ。

 ひと月前、誠人の部屋に現れた、莉央に従う魔法の鳥。それが後藤の周りを旋回している。


 三羽のオナガは「ゲーイゲーイ!」とけたたましく鳴いた。

「うるさい!」

 後藤は右手で頭を覆い、左手を振り回して自身を突くオナガを追い払う。

 オナガは小馬鹿にしたように後藤を足で蹴った後、「ピュイッピュイピュイ」と鳴きながら、莉央の周りに集まっていった。


 三羽の鳥を従えた莉央の表情は氷のように冷めていた。

 オナガを一瞥すらせず、自らの首と左手を絞めつけている鎖の先を、無造作に右手で掴んで引いた。


 小さな動きだった。手首だけ手前に引くような、柔らかい挙動。

 途端、張られた鎖に、ヒビでも入ったような軋み音が鳴り響く。

 その音は雷のように、莉央の手から後藤の手まで、鎖の上を駆け抜けた。ぎょっとした後藤は手を離しそびれた。その結果、爆発的なパワーが後藤の右手に到達し、瞬間、後藤の身体が宙に向かって跳ね上がった。


「わああっ!!」


 空に上がってようやく、握力の限界に達し、後藤の右手が鎖から離れる。後藤はそのまま重力に従い、大地に向かって降下した。

 両手で頭を抱えて、背骨を丸めて受け身を取ったところはさすがと言える。しかし落下時に右脇腹を強かに打ち付けたようだ。大地を潰してまで落ちた後藤は、うめき声をあげながら転がった。


 そこに莉央が跳躍する。

 二人の距離は、少なくとも三メートルは開いているように見えたのに、莉央は助走することもなく、二歩目には飛んでいた。二人の間を軽々と越え、転がる後藤の足に飛び乗る。


 後藤は避けることも出来なかった。

 膝から下が本来とは逆の方に折れ曲がり、絶叫があたりに響き渡った。

 それを止めるように、大きな右手が後藤の首を覆った。

 莉央の意図を察してか、辛うじて、後藤は自身の右手を間に挟むことに成功したものの、奇しくもその格好は、後藤が先ほどまで、鎖を使って莉央にしていたことと同じだった。


「俺の能力が怪力と聞いて、魔道具を用意しようと思ったこと――。お前を評価できるのはそれだけだな」

 後藤が反論しようと歯を剥き出しにする。

 それを待たず、莉央は戒められた左手で、外方向に向かって鎖を押した。

 あっけなく、首に巻きついた鎖が引きちぎられる。密度のある鉄の塊が、半紙のように砕け散って後藤の上に降り注いだ。


 後藤は驚愕した瞳で莉央を見た。

 見返してくる莉央の瞳は無機質だった。その頭上を、ハゲタカのように三羽のオナガが旋回している。

 後藤の顔が、はじめて恐怖に青く染まった。


「――この日を十一年間待っていた」


 ゾッとするほど冷ややかな声が、後藤の上に降り注ぐ。

 ゲエゲエと鳴くオナガも相まって、まるで地獄の風景だった。


「十一年も時間があったのに、お前は俺の能力を調べなかった。――一度でも時永グループに問い合わせていれば、俺には勝てないと分かったはずだ。だが、お前は、自分が処分対象になるかもしれないと恐れ、その努力を怠った」

 だからお前は、無能なんだ。

 睦言でも囁くように、莉央が小さく、その言葉を後藤に吐く。

 甘い口調だった。だが、無情な口調だった。


 莉央の手から逃れようと、後藤が必死になってもがいている。

 しかし後藤が全力で押しのけようとも、莉央の指は揺れることさえしなかった。それどころか、莉央が右親指を少し折り曲げただけで、掴まれた後藤の右手が不自然な形で潰れていった。

 後藤の汚い悲鳴が上がる。誠人は思わず、目を瞑って顔をそらした。その分、誠人の耳に、肉と骨が潰れる音がリアルに届いた。

 莉央の表情は変わらなかった。

 後藤を物体だと思っているかのように、なんの感情もない瞳で見下ろしている。


「そのぶん俺は、十一年間、ずっとお前を観察できた。自分が魔道具で監視されているだなんて、少しも想像しなかったろ?お前は俺がお前の髪に触れるほど近くに現れた時でさえ、気付きもしなかった。お前の趣味も、特技も、能力も――。お前がいつ、どこで誰と話し、どこでクソして何食って寝るのか。気色悪いことこの上ないが、全部見てた。おかげでが思いついた。言っただろ、お前のことは、全部『知ってる』って」


 それでもまだ、その時の後藤には反発心が残っていた。

 怒りで瞳を轟々と燃やし、呪いの言葉を吐きながら、莉央のことを睨んでいた。

 表情が変わったのはそのすぐ後だ。

 目を瞑っていた誠人は気付かなかった。

 燃えたぎるマグマのようだった後藤の表情が、一瞬、空白になり、怪訝そうに目を揺らした。

 後藤は自らに何かが起こったことを感じたが、それがなにか分からなかった。その「不自然」のわけを見つけ出そうと、疑問の浮かぶ表情で、視線だけ、自分自身に向けて落とした。

 後藤はおそらく、答えを見つけることが出来なかった。


 ふいに莉央が左手を振り上げる。力の抜けたスイングで、後藤の胴体を、軽くはたいた。

 後藤の身体が大きくくの字に沈み込む。

 激しい衝突音があたりに響いた。

 腰骨が大地に深く埋まり、後藤は大きく口を開け、白目をむいた。土と草が跳ね上がる。


 そして、動かなくなった。

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