宣戦布告(1)
息を潜めて事態を見守っていた誠人は、細く長い息を吐いた。
心臓が耳のそばで鼓動しているようだった。
ゆっくり、莉央が立ち上がる。彼の着ているTシャツの背中が、風にはためいているのが見えた。
莉央はじっと、後藤を見下ろしているようだった。
後ろ姿しか見えない誠人には、彼がどんな表情をしているのか分からなかった。達成感なのか後悔なのか――莉央の周りで鳴くオナガは、莉央を気遣っているようにさえ見えた。
ふいにオナガが煙のように姿を消す。莉央は顔を上げなかった。
オナガが消えると、耳に入るのは風の音だけとなった。莉央のさらりとした髪が、彼の耳にかかるように揺れた。
(終わった……)
静けさが実感に置き換わり、誠人もようやく、肩の力を抜く。
縮こまっていた背中を伸ばすと、肺の奥まで、冷たい酸素が入り込んだ。
怒涛の時間だった。
後藤のことも、莉央のことも。受け止めきれているかと言われると、当の誠人にもよく分からない。
彼らの能力や関係性について、予想するところはあれど、答え合わせをする相手もいないし、その必要性も誠人にはない。
ただ、終わったことに、ほっとした。
突然始まった『なにか』は、今この瞬間、終わったのだ。
(……バイト、どうなってんだろ)
気持ちが落ち着くと途端に現実が不安になる。
思い起こすと誠人は退勤数分前で失踪したことになるのではないか?
突然誠人がいなくなったことを心配され、親や警察を呼ばれていたら厄介だ。あるいはタイムカードも押さず、ろくな引き継ぎもしないで退勤したと思われていたらどうしよう。あとで先輩達からヤキを入れられる程度ならまあ良い。万が一早退だと思われて、後で徳田からネチネチ小言を言われたり、細かく給料を減らされることだけは、絶対に勘弁願いたい。
(マジで、今すぐ、帰ろう!)
決意した誠人は莉央に話しかけようと立ち上がった。
「えーと、その……蒐宮、さん?」
いきなり殴りつけてくるなよと、やや警戒しながら彼の方に近寄る。
先程まで立っていた莉央は、今はしゃがみ込んで腰を屈め、足元にいる後藤の身体の上で何かをしていた。
「あのー終わりましたかね……? その……終わったんなら、ちょっと俺、帰りたいなーって……思ってたりして……」
言い終わる前に、莉央がスッと立ち上がる。そして誠人の方に振り向いた。
思わず誠人は背筋を正した。
影を読んで莉央の人となりが多少分かった気になったのだが、突然殴り殺される未来もゼロではない。
誠人の怯えは杞憂のようだった。莉央はいつも通り、来店した際の笑顔を浮かべていた。
ほっとして、誠人は再度、帰り方について問いかけた。
「あの、元の場所に帰してもらいたくってですね……」
「まあ、こんな感じなんだけど」
あれ、会話が成り立ってなくないか? 誠人は怪訝そうな目を向けた。誠人の表情筋の動きになど一ミリも興味を示さない莉央は、続きを話しながら誠人のそばに歩いてきた。
「あのペド野郎のことはよく知ってたし、能力の相性もあったから、俺一人で楽勝だったけど。ここから先はそうもいかないからさあ」
こんなに人の話をガン無視して自分のしたい話を始める奴がこの世にいるのか? いるな、この男だ。
誠人のそばまでやってきた莉央は、なぜか急に、誠人の服についていた草を丁寧な手つきで払い落とした。
不気味な親切さだ。
なんだか妙に恐ろしい。
こういう時の自分の勘は、いつも大体正しかった。
誠人は無言で後退りをしようとした。どこに逃げられるわけでもないが、とにかく今は、逃げるべきだ。
その誠人の右肩を、サッと莉央が左手で掴む。
そして溌剌とした笑顔で、誠人に言った。
「この調子で、あいつら全員ぶっ殺そ?」
誠人は風船から空気が漏れるようなか細い声で答えた。
「……無理デスゥ……」
何故誠人が手伝うと思ったのか、逆にそれを教えてほしい。
誠人に出来る最大限で拒絶を示したつもりだが、勿論、莉央は物ともしなかった。
「答える前に、まあこれを見てよ」
誠人は答えている。莉央が聞いていないだけで。
反論する勇気もなく、誠人は差し出された莉央の手の中を見た。
見覚えのある黒い塊だった。ハンディカメラだ。なんだか血がついている気がする……そしてつい最近、これと同様の機種をみた気がする。
「ま、まさか……」
莉央がカメラを操作する。
するとそこには、見慣れたモイリーショップ石川店で、凶行に走る血まみれの誠人が映っていた。
後藤のカメラだ。
誠人は悲鳴を上げかけた。唇の形としては、ほとんど悲鳴をあげていた。
なんとか無理やり唇を閉じ、音が外に漏れることを踏みとどまる。
(騙されるな、大丈夫だ!)
確かに画面上では、誠人は後藤とバイト仲間を殺している。
だが、現実世界では彼らは生きている。当たり前だ。殺していないのだから。元気に退勤したか、死人の顔で働いているか、だ。これ以上の無実の証明はない。映像がフェイクだとすぐに気付いてもらえるはず。問題ない。
呼吸を荒くしながら何事か考える誠人を見て、莉央は笑みを深くした。
右手だけで器用に後藤のカメラを操作する。
そして、誠人が後藤を殴っているシーンで、映像を停めた。
「これと」
すいと、彼の長い人指が、倒れている後藤を差す。
「これ。――一緒に警察に届けようかな?」
悪魔が笑ったら、きっとこんな顔だろう。
「協力、してくれるよね?」
誠人はもう、頷くしか出来なかった。
***
「分かってくれてうれしいよ」
白々しく、莉央はにっこり笑い、丁寧な手つきでカメラをポケットにしまった。
つい、未練たらしくカメラを目で追ってしまう。もしかして全力で襲い掛かれば、奪えずとも壊せるのでは――? そんな無謀が頭を過り、誠人は自ら、頭を振ってそれを否定した。
(いや、ない。良くて死ぬ)
頭頂部とつま先を両側から莉央に掴まれ、ぐしゃっと圧し潰される未来しか浮かばない。誠人も命が惜しかった。
「いてっ」
そんなことを考えていたので、咄嗟に抵抗できなかった。
突然、頭部に鋭い痛みが走り、頭を押さえる。
針で刺されたような点の痛みだ。
振り返ると、一本の髪の毛をつまんでいる莉央がいた。その髪の毛は勿論、誠人の頭部から引き抜いたものだ。
「な、なんで……」
突然の暴行かつ怪奇行動に、誠人は当然恐怖したが、莉央は全く気にしなかった。誠人がどう反応するかなど、興味の範疇にないのだ。
ポケットに手を突っ込んだ莉央は、カメラとは違う何かを取り出した。
それは安っぽい、木製で出来ていた。
幼児が使うような積み木に似ている。
直径はおそらく五センチほど。厚みのある円盤状で、上部分をスライドさせると蓋が開いた。
中にはこれまた安っぽい、一センチ四方の青色ガラスがはめ込まれている。装飾はたったのそれだけだ。百円均一に行けばすぐに似たような物をもっとマシな形で作れそうなそれだった。ガラス細工の下には、石ころがせいぜいひとつ入る程度の、小さな窪みがあいていた。
莉央はその窪みに、誠人の毛髪を入れ込んだ。
目の前で自分の髪を収集される様を見て、平然としていられる者が何人いるのか。
今までとは違う意味で、誠人は恐怖心に足を揺らした。
淡々とした莉央は蓋をスライドさせてそれを閉じる。両手で包み込むように握り、視線を落とした。
沈黙――。
少し強い風が二人の間を通り抜ける。
髪が風にかき乱され、誠人は頭を振って髪を直した。
その時、胸にわずかな違和感を覚えた。
痛いとか痒いとか、そういう感覚があるわけではない。
ふと嫌な予感がして、誠人は胸元に視線を下ろした。
「わあっ!」
思わず大きな声を出して胸を払う。
ソレは誠人の手が触れる直前に、誠人の胸から飛び立った。
「なっなんっ……なんっ?!」
言葉にならない誠人を無視して、ソレは誠人を小馬鹿にするように一度高く飛び上がると、莉央の肩にちょこんと止まった。
黒い頭、灰と青の羽、カラスにしては長い尾――。
オナガだ。
なんと誠人の胸から、一羽のオナガが抜け出たのだ。
それはつい先程、後藤の身体から三羽のオナガが出た時と、まったく同じ現れ方だった。
先程見た光景であったとしても、自らの身体から何かが飛び出てくる異様さは比べようもない。思わず、自身の胸を抑えて無事を確かめる。確認した限りでは、自分自身に異変はなかった。出てきたオナガも一羽だけだ(いや、一羽でも十分なのだが……)ほっとする思い半分、残りの半分は、より疑心暗鬼に陥った。誠人が気が付いていないだけで、なにか異変が起きていたらどうしよう。
一人百面相している誠人を無視し、莉央はちらりとオナガを見やった。
オナガも黒い瞳で莉央を見る。
出来栄えでも確認出来たのか、ふいに莉央は、誠人の左腕を掴んで引いた。
友達でもない同性に腕をつかまれるのは、想像以上に気持ち悪い。
次々と起こる出来事に脳が処理できず、誠人は莉央のさらるがままに上体を起こした。
誠人を掴んだ莉央は、僅かに眉根を寄せ、「本当に魔法使いじゃないんだな」と今更ながら呟いた。
直後、誠人は左人差し指に鋭い痛みを感じて飛び上がった。
「いってっ!」
「大げさだな」
デジャヴだ。
つい先程も似たような目にあった。今度は頭部よりもう少し痛い。
見ると莉央が誠人の指に安全ピンを刺していた。
(まじか、こいつ……)
全く信用出来ない男であるとは思っていたが、少なくとも無抵抗の相手や無関係の相手に暴力を振るうことはしないだろうと思っていたのだが――どうやら誠人の過大評価だったらしい。
ゾッとして手を引っ込めようと引っ張る。全力で引いたはずだ。だが、毛ほども動かず、莉央はそのまま、血が浮かび上がった誠人の指を、先程の小物入れまで引っ張っていき、ガラスに無理やり押し付けた。
血がガラスに触れる。
青色のガラスが、中心から広がるように、赤紫に染まって一瞬光った。
そしてすぐ、元の青色に戻る。
莉央は雑な手つきで誠人から手を離し、再度ポケットから、ジップパックに入った白い粒のようなものを無造作に取り出した。
誠人はそれが何なのか知らなかったが、料理をするものが見れば、それが氷砂糖だと分かっただろう。
莉央はそれを木製のケース内に注ぎ込んだ。入り口が小さいのに、量を考えずに注ぎ込むせいで、入り損なった氷砂糖がいくつも地面に落ちていった。
莉央の肩に停まっていたオナガが我慢できず飛び降り、嬉しそうに氷砂糖を突付きはじめる。
一種異様な光景だ。
平和と狂気が混在している。
誠人は恐ろしくなって、彼から一歩後退した。
(ほんともう帰りてー……)
黙々と意味不明の作業を続ける莉央は不気味だ。一心不乱に氷砂糖を啄いているオナガのことも、自分から出てきたという事実を踏まえると気持ち悪い。
一刻も早く、一秒でも早く、ここから出て帰してもらいたいと願っているが、もはや本当に家に帰してもらえるのかさえ怪しい。絶望的なことだ。この空間から帰るには、莉央の協力が必須だが、誠人をここに閉じ込めているのも莉央なのだ。
ストーカーに拉致監禁されているのと一緒だ。誠人はどうにかして、この美貌の狂人を説得し、無事家に帰してもらわなければならないのだ。
そんなことを必死に考えているうちに、莉央の手元のジップバッグが空になる。
入りそこねた最後の一粒が、オナガの目の前に転がっていった。
嬉しそうに、オナガが「ピュイ」と小さく鳴いた。
「……え……?」
衝撃が走るとはこのことだ。
誠人の身体が固まる。
勘違いや聞き間違いかと思い、恐る恐るオナガを見つめる。
とても恐ろしい感覚だった。
何故だか誠人は、オナガが氷砂糖を「美味しい」と言ったような気がしたのだ。
「今日からこいつはお前についてる」
容器の大きさに合わない量の氷砂糖を注ぎ込んだ莉央は、空のジップパックを適当に放りながら誠人に言った。
「は……?」
「こいつは魔道具といって……ま、いいよ」莉央は説明のほとんどを割愛することに決めたらしい。
「さっき俺達の話を聞いてたから、少しぐらい分かるだろ? こいつが見聞きしたものは、全部俺に伝わる。お前がどこにいようと、何をしてようと、俺から逃げたり裏切ろうとしたら、つまり――分かるよな?」
莉央はにっこり微笑んで、ゆっくり両手で何かを圧し潰す仕草をした。
脳血管上を電流が走るように、一つの光景が誠人の脳裏に浮かび上がった。
鉄塊となったダンベル――。
今も誠人の部屋の隅に落ちている。誠人は高速で頷いた。
「そんで、今、お前とも繋がった」
「ど、どういう……」
「言葉にしなくていい。こいつに『伝える』と意識して考えれば、そのまま俺に伝わる」
複数の『まさか』が頭の中を駆け巡った。
まさか、そんな魔法みたいなこと(いや魔法使いではあるのだが……)先程オナガの言葉が分かったような気になったが、まさか、そんなはずは……。たまたまそれっぽく聞こえただけではないか?……伝えると意識したら伝わると言うが、まさか頭で考えたことが全部筒抜けになるんじゃないだろうな?
複数の『まさか』が頭を過ぎり、事態を判断するため、誠人は即座に莉央に対する罵詈雑言を頭の中で浮かべてみた。
これ以上のない悪口を並べ立てたつもりだが、オナガは一切話さない。
次に『オナガに伝える』と念じながら、「ふざけんなよサイコパス。てめーの好きなサラダチキン、全国から消え失せろ」と考えてみた。
「ギュイギュイギュイ!」
「うわっ!」
瞬時にオナガが激しく鳴いて翼を広げる。思っていたよりずっと大きな声だった。
三度目の『まさか』を考え、怯えながら莉央を見ると、彼は鳴いたオナガを見た後に、冷ややかな視線を誠人に向けた。
「……元気そうだな、バイト君。くだらねえこと考える暇あったら、せいぜい俺の役に立てよ」
誠人はオナガを意識するのは金輪際やめようと思った。
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