第22話
王都の華やかな夜景に背を向け、私たちは『星の心臓』へと続く冷たい地下の闇へと足を踏み入れた。
ヴァレリウス様が指を鳴らすと、彼の掌に淡い光を放つ魔力の球体が現れた。その光が、私たちの進むべき長い螺旋階段を頼もしく照らし出してくれる。
「気をつけて進め。百年間、誰も足を踏み入れていない場所だ。どんな古代の魔法が我々を待ち受けているか分からない」
彼の言葉に私はこくりと頷き、彼の腕にぎゅっとしがみついた。
ひんやりとした石の壁に、私たちの足音だけが響き渡る。
どれくらい降りただろうか。
やがて螺旋階段は終わりを告げ、私たちの目の前に一つの巨大な空間が広がった。
「これは……」
思わず息を呑む。
そこは、ドーム状の天井がどこまでも高く広がる、円形の大広間だった。
そして、その壁一面がまるで満天の星空のように、無数の水晶で埋め尽くされている。
一つ一つの水晶が内側から淡い光を放ち、部屋全体を幻想的な青白い光で満たしていた。
「……宝物庫というよりは、まるで図書館のようですね」
「ああ。王妃のメッセージにあった通り、ここはアルテア王家の全ての記憶と叡智を封印した記憶の大書庫……『星の心臓』そのものなのだろう」
ヴァレリウス様が部屋の中央を指差した。
そこには、巨大な星の形をした黒曜石の台座が置かれている。
おそらく、この記憶の図書館を制御するためのコントロールパネルのようなものなのだろう。
私たちは、その星形の台座へと近づいた。
台座の表面には、古代アルテア語で一つの文章が刻まれている。
「『血のみが、星々を目覚めさせる』……か」
ヴァレリウス様がその文字を読み解く。
「やはり、ここでも血族認証の魔法が必要になるようだ。アネリーゼ、君の血が必要だ」
「はい」
もう私はためらわなかった。
これが私に与えられた運命なのだから。
ヴァレリウス様が私の指先を銀の小さなナイフでほんの少しだけ傷つける。
ぷくりと浮かび上がった赤い血の雫。
私はその指をそっと星形の台座の中央に押し当てた。
その瞬間。
部屋全体が、ゴーンという荘厳な音と共に震えた。
壁一面の水晶たちがいっせいにその輝きを増し始める。
そして、台座の真上の空間に無数の光の点が集まり、立体的な星図が描き出された。
それは、この大書庫のインデックスなのだ。
「……素晴らしい。これで我々は、アルテアの全ての真実にアクセスできる」
ヴァレリウス様の声が興奮に上ずる。
これほど感情を露わにした彼を見るのは初めてかもしれない。
「まず調べるべきは、王妃が警告した『影の一派』についてだ。アルテアを裏切った者たちの正体を突き止めなければならない」
私は彼の言葉に頷くと、意識を集中させた。
『裏切り者』『影の一派』
そのキーワードを心の中で強く念じる。
すると、目の前の星図の中の一つの星がひときわ強い赤い光を放ち始めた。
あそこだ。
「ヴァレリウス様、あそこの水晶です」
私が指差した壁の一点。
ヴァレリウス様は魔法でその水晶をそっと取り外すと、私の手に渡してくれた。
私は深呼吸を一つして、その記憶の水晶に触れた。
――流れ込んでくるビジョン。
それは百数年前の王宮の一室。
アルテア王国の宰相を務めていたヴェラン公爵が、一人の男と密会していた。
男は深いフードを目深に被り、その顔は見えない。
しかし、その男が身につけているローブは我が国の宮廷魔術師のものだった。
『……計画は順調ですかな。ヴェラン公爵』
フードの男の声は魔法で変えられていたけれど、その言葉は紛れもなく我が国の言葉だった。
『ああ、もちろんですとも、宮廷魔術師長殿。国王陛下はまんまと偽りの条約に署名なされました。これで貴国が我が国に攻め入る大義名分は整った』
ヴェラン公爵が卑劣な笑みを浮かべる。
『見返りは、お忘れではありますまいな。アルテアが滅びた後、私の一族を貴国で手厚く保護し、新たな爵位を与えるという約束を』
『ご心配なく。我ら『賢者の目』は、決して約束を違えませぬ』
フードの男……宮廷魔術師長はそう言うと、一つの指輪を見せた。
それは、自らの尻尾を喰らう黒い蛇の紋章が刻まれた不気味な指輪だった。
「……っ!」
私は水晶から手を離した。
めまいがして、よろめく。
その体をヴァレリウス様が力強く支えてくれた。
「しっかりしろ、アネリーゼ」
「……視えました。アルテアを裏切ったのは、ヴェラン公爵。そして彼と手を組んでいたのは、当時の我が国の宮廷魔術師長……」
「その人は『賢者の目』と名乗っていました。そして、黒い蛇の指輪を……」
私の報告を聞いたヴァレリウス様の顔が険しく歪んだ。
「『賢者の目』……。そしてウロボロスの黒蛇の指輪。……間違いない。それは歴史の裏で暗躍すると噂された過激派の秘密結社だ。自らの理想の世界秩序を実現するためなら、戦争すら引き起こすことを厭わない危険な魔術師の一派……」
「まさか、ただの伝説ではなく本当に実在していたとはな」
敵の正体が見えた。
それは私たちが想像していたよりもずっと根が深く、そして危険な相手だった。
「……よくやった、アネリーゼ。君はまたしても巨大な陰謀の尻尾を掴んだ」
ヴァレリウス様は私の消耗を見抜き、懐から小さな水筒を取り出した。
「これを飲め。君の消耗した精神力を回復させるために、私が特別に調合した栄養豊富な霊薬だ。万が一の事態に備えて用意しておいて正解だったな」
彼が差し出してくれた水筒を受け取り一口飲む。
優しい果物のような甘い液体が喉を通り過ぎ、疲れた体に温かい力がみなぎってくるようだった。
彼はいつだって私のことを完璧に予測して準備してくれている。
「敵の正体は分かった。だが問題は、その末裔が今どうしているかだ」
ヴァレリウス様は厳しい顔でそう言った。
百年前の裏切り者。
その子孫が今もこの国で権力を握っているとしたら。
私たちの戦いはまだ始まったばかりなのだ。
私たちは、歴史の闇のほんの入り口に立ったに過ぎないのかもしれない。
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