第20話
私の体に流れるアルテア王家の血。
その真実を知ってから、私のサイコメトリーの能力は明らかに変化していた。
以前は物に触れると無差別に記憶の濁流が流れ込んできた。
でも今は違う。
意識を集中すれば、自分が知りたい情報だけを選び取って視ることができるようになったのだ。
まるでたくさんの本が並ぶ図書館で、目的の一冊を探し出すように。
「素晴らしい進歩だ、アネリーゼ」
ヴァレリウス様の研究室で、私は彼が用意したいくつかの曰く付きの品を使って、新しい能力の制御訓練を行っていた。
「君の魔力の制御能力は、指数関数的に向上している。これは君自身の潜在能力と、私の魔術的加護との完璧なシナジー効果の結果だろう」
彼は私の訓練の成果を分析しながら、満足そうに頷いている。
その訓練という名の二人きりの時間が、私にとっては誰にも邪魔されない幸せなひとときだった。
彼が私のすぐそばで私の成長を見守り、そして褒めてくれる。
それだけで、私はどこまでも頑張れる気がした。
しかし、そんな穏やかな時間は長くは続かなかった。
私たちが禁足地である『王家の眠る谷』に侵入したという情報が、どこからか漏れてしまったのだ。
「ヴァレリウス宮廷魔術師長。宰相閣下が至急お会いしたいとのことです」
国王陛下の側近である秘書官が、深刻な顔でそう告げに来た。
「おそらく今回の件の説明を求められるのだろう。……面倒なことだ」
ヴァレリウス様は小さく舌打ちをした。
彼の政敵がこの機会を利用して、彼を失脚させようと動いているのに違いなかった。
「ヴァレリウス様……。私のせいで……」
「君のせいではない。これは私の政治的な問題だ」
彼は私の不安を見透かしたように、きっぱりと言った。
「君はここで待っていろ。何一つ心配する必要はない。私が全て対処する」
そう言って彼は私に優しい眼差しを向けると、部屋を出て行った。
その大きな背中が頼もしくて、そして少しだけ心配だった。
一人補佐官室に残された私。
ヴァレリウス様の帰りを待つ間、私はただ落ち着かずに部屋の中を歩き回っていた。
その時だった。
コンコンと控えめなノックの音。
「どなた様でしょうか……」
リナさんかと思い私が扉を開けると、そこに立っていたのは予想だにしない人物だった。
輝くような金色の髪。
空を映したような青い瞳。
そして人好きのする優雅な笑み。
「やあ。君が噂のアネリーゼ嬢だね? 初めてお目にかかる」
そこにいたのは、この国の第二王子であるアウグスト殿下だった。
彼の隣にはなぜか、あの騎士団長のギデオン様も控えている。
「で、殿下!? なぜこのような場所に……!」
私は慌てて、淑女の最上級の礼をとる。
心臓が飛び出してしまいそうだった。
「はは、そんなに畏まらないでくれ。僕はただ、噂の天才魔術師殿の新しい可愛い助手に一目会ってみたかっただけさ」
アウグスト殿下は気さくにそう言うと、私の手を取りその甲に軽く口づけをした。
貴族の正式な挨拶。
そう頭では分かっているのに、私の顔はカッと熱くなる。
「ヴァレリウスは本当に目が高い。こんな可憐な花を埃っぽい研究室に隠しておくなんて、罪な男だ」
「も、もったいないお言葉です……!」
「今度、城で音楽会があるんだ。もし良かったら、僕と一緒に行かないかい?」
王子様からの突然のお誘い。
どう返事をすればいいのか分からず私が固まっていると、隣にいたギデオン様が助け舟を出してくれた。
「殿下、あまり彼女を困らせてはいけません。彼女はあのヴァレリウスのお気に入りなのですよ」
「分かっているさ。だからこそ面白いんだろう?」
アウグスト殿下は悪戯っぽく笑った。
その人懐っこい笑顔に、私は少しだけ警戒心を解いてしまっていた。
ちょうどその時だった。
「――ここで何をされているのですか。アウグスト殿下」
氷のように冷たい声が部屋に響き渡った。
声のした方を振り返ると、そこには宰相閣下との会談を終えたヴァレリウス様が立っていた。
その紫色の瞳は、絶対零度の輝きを放っている。
「おおヴァレリウス、おかえり。いや、君の優秀な助手に少し挨拶をと思ってね」
「私の助手に個人的な挨拶は不要です。彼女の時間は国家の機密研究に充てられるべき、貴重なリソースですので」
ヴァレリウス様はアウグスト殿下の言葉を、ぴしゃりと遮った。
そして私の腕をぐっと掴むと、自分の後ろへと引き寄せる。
明確な独占欲の現れだった。
「……君も相変わらず堅物だな。まあいいだろう。今日のところは退散するとしよう。また会おう、アネリーゼ嬢。僕の誘いはいつでも有効だからね」
アウグスト殿下はひらひらと手を振ると、ギデオン様を連れて部屋を出て行った。
嵐のような二人が去った後、部屋には重い空気が流れていた。
ヴァレリウス様の機嫌が、明らかに急降下しているのが分かる。
「……ヴァレリウス様、あの、私は……」
「王子は信用ならない。あの人好きのする笑顔の裏で、何を考えているか分かったものではない」
「今後、私の許可なく彼と葉を交わすことは禁ずる」
あまりにも理不尽な命令。
でもそのむき出しの独占欲が、私の胸をきゅんと締め付けた。
彼は私に嫉妬してくれているんだ。
「……それから」と彼は続けた。
「君が他の男に言い寄られたという、精神的ストレスに対する緊急の補償措置を実行する」
そう言うと彼は、部屋の隅に置いてあった大きな箱を指差した。
いつの間にあんなものが。
中から現れたのは、息を呑むほど美しい深紅のドレスだった。
夜会に着ていくような、華やかで大人びたデザイン。
「これは……?」
「我々の次の潜入調査で君が着る戦闘服だ。君のその美しさを最大限に活用し、敵の注意を引きつけるための合理的な装備でもある」
彼はまたそんな言い訳をしながら、私にとびっきりのご褒美をくれた。
この人の溺愛は、本当にどこまでも斜め上だ。
私の手に触れようとする全ての男たちから私を守るために。
彼はきっと、どんな手段でも使うのだろう。
その強くて、少しだけ歪んだ愛情が、たまらなく愛おしかった。
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