第19話
ヴァレリウス様の腕の中で意識を失った私が次に目覚めたのは、自分の部屋のベッドの上だった。
窓の外から差し込む柔らかな朝の光が、部屋を優しく照らしている。
私が眠っている間、ずっと彼がそばにいてくれたのだと、部屋に残る微かなミントの香りから分かった。
「……目が覚めたか、アネリーゼ」
私が身じろぎしたのに気づいたのか、部屋の扉が開きヴァレリウス様が入ってきた。
その顔にはいつもの冷静さに加え、深い安堵の色が浮かんでいる。
「気分はどうだ。身体の魔力循環に異常はないか」
「はい……。もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「当然の措置だ。君は私の最優先保護対象だからな」
彼はそう言うと、侍女のリナさんが運んできた朝食のトレイを私のベッドサイドのテーブルに置いた。
そこには栄養バランスが完璧に計算されていそうな、温かいスープやふわふわのパン、色とりどりの果物が並んでいる。
「まずは食事を摂れ。君の精神は膨大な情報の流入によって著しく消耗した。回復には良質な栄養素の摂取が最も合理的だ」
どこまでも彼は、彼らしい言葉で私を気遣ってくれる。
その不器用な優しさが、私の胸を温かくした。
食事を終えた後、私たちは改めて向き合っていた。
私の正体についての、話をするために。
「ヴァレリウス様……。私は、これからどうなってしまうのでしょう。アルテア王家の末裔だなんて、私にはあまりにも重すぎて……」
不安に揺れる私の声。
そんな私に彼は、力強い真っ直ぐな視線を向けた。
「何も変わらない」
きっぱりとした、その言葉。
「君が誰であろうと、君は君だ。私の唯一無二の助手であり、私がこの手で見つけ出した最高の宝物だ。その事実は何があっても揺るがない」
「でも……」
「君がその血筋のせいで危険な立場に置かれるというのなら話は別だ。その場合は私のprotective measures……すなわち、保護措置のレベルを最大級に引き上げるまでだ」
彼はあくまで合理的な判断としてそう言った。
でもその言葉はどんな甘い言葉よりも、私の心を強く打った。
彼は私の血筋や立場ではなく、私自身を見てくれている。
そして、何があっても守り抜くと、言ってくれているのだ。
「ありがとうございます……ヴァレリウス様……」
涙がまたこぼれそうになるのを、私は必死で堪えた。
もう泣いてばかりではいられない。
この人にふさわしい助手でいるために、私も強くならなければ。
「さて」とヴァレリウス様は言った。
「感傷に浸るのはここまでだ。我々には解き明かすべき、新たな謎がある」
彼は私を連れて、彼の執務室のさらに奥にある厳重に管理された、彼の私的な研究室へと向かった。
そこは錬金術の道具や用途不明の魔法の装置が所狭しと並ぶ、まさに天才魔術師の秘密の城だった。
その部屋の中央に、それはあった。
『銀の揺り籠』
私たちが命懸けで手に入れた、伝説の秘宝。
今はその輝きを少しだけ潜め、ただそこに存在している。
「君が気を失った後、私が王家の谷から回収してきた。現在は完全にその魔力活動を停止している。おそらく正当な後継者である君を見つけ出したことで、その第一の役割を終えたのだろう」
「第一の役割……?」
「ああ。私はこの揺り籠には、まだ別の役割が隠されていると推測している」
ヴァレリウス様の言葉に、私はごくりと唾を飲んだ。
私は改めて、銀の揺り籠の前に立つ。
自分の本当のルーツ。その証であるこの秘宝に、私はもう一度そっと手を伸ばした。
今度はもう怖くはない。
私の指先が、ひんやりとした銀の表面に触れた。
その瞬間、私の頭の中に優しい温かい光と共に、一つの声が直接響いてきた。
それは間違いなく、アルテア王国最後の王妃様の声だった。
『……我が愛しき末裔よ。よくぞここまで辿り着きました』
その声はビジョンではない。
王妃様が百年以上も前に、この揺り籠に遺した残留思念によるメッセージだったのだ。
『この揺り籠はただ後継者を示すだけのものではありません。これは我がアルテア王家の全ての叡智と歴史の真実を収めた、『星の心臓』と呼ばれる秘密の宝物庫の鍵なのです』
「宝物庫の……鍵……」
私の呟きに、ヴァレリウス様が息を呑むのが分かった。
『星の心臓には、我が国の本当の歴史。そして我らを裏切った者たちの名前も全て記録されています。ですが気をつけて。我らを陥れたのは隣国の卑劣な策略だけではありません。我が王国の中枢に深く根を張っていた、影の一派の手引きもあったのです』
王妃様の声に、悲しみと怒りの色が混じる。
『その者たちは今もこの国で権力を握っているやもしれません。決して油断してはなりません』
そして王妃様は最後に、宝物庫の場所を私に告げた。
『星の心臓は王家の谷にはありません。それは敵の目の一番届かぬ場所……。王都の最も華やかなる場所に眠っています。……『双子の姉妹の噴水』の下に』
そこで王妃様のメッセージは途切れた。
私ははっと我に返り、揺り籠から手を離した。
そして今聞いたばかりの衝撃的な内容を、ヴァレリウス様に伝えた。
全てを聞き終えたヴァレリウス様の紫色の瞳が、氷のように冷たい輝きを宿した。
「……なるほど。歴史の改竄に加担した裏切り者が、この国に今も存在していると。実に興味深い」
「そして『双子の姉妹の噴水』か。それは王都の芸術地区にある有名なランドマークだ。灯台下暗しとは、まさにこのことだな」
彼は私の肩を強く掴んだ。
「アネリーゼ。君はまたしても巨大な陰謀の核心に触れた。その重い宿命を一人で背負う必要はない。君が見つけたその真実は今、我々二人の共通の任務となった」
「私が君の剣となり盾となろう。君はただ、その光で私を導けばいい」
力強い彼の宣言。
それだけで私の不安は綺麗に消え去った。
「君の魔力の質が変わったようだ。アルテアの血が目覚めたことで、より精密で強力なものになっている。これまでの守護のチャームでは出力不足になる可能性があるな」
彼はそう言うと、研究室の棚から一つの美しいペンダントを取り出した。
それは月の雫を固めたような、乳白色の宝石だった。
「これは私が個人的に研究していた試作品だ。持ち主の魔力の性質に合わせ、自動的に守護障壁を最適化する機能がある。君の今後の活躍に対する先行投資だ。受け取るといい」
また彼らしい理屈をつけて、私に最高の贈り物をくれた。
私はその新しいお守りを胸に飾る。
彼からの温かい魔力が、優しく私を包み込んでくれた。
ヴァレリウス様は執務室の大きな王都の地図の前に立った。
そして、芸術地区の一点を指差す。
「我々の次の目的地は、ここだ」
その横顔は既に次の戦いに向けて、完璧な思考を巡らせている宮廷魔術師長の顔だった。
私の本当の過去と向き合うための、新たな冒険が今始まろうとしていた。
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