第18話
ついに、私たちは『銀の揺り籠』の目の前まで辿り着いた。
しかし、その伝説の秘宝は清浄な魔力の結界に守られ、私たちを拒んでいるようだった。
「この結界……。アルテア王家の血筋にのみ反応する、血族認証の魔法だ。外部からの物理的、あるいは魔術的な干渉を一切受け付けない。極めて高度な守護魔法だ」
ヴァレリウス様が、悔しそうに唇を噛んだ。彼の王国最高の魔力をもってしても、この血の盟約だけはどうすることもできないらしい。
あと一歩なのに。歴史の真実が、すぐ目の前にあるのに。
私たちは、ただそれを見つめることしかできなかった。
その時だった。
私は、その銀の揺り籠から不思議な感覚を受け取っていた。それはいつものサイコメトリーとは少し違う。揺り籠そのものが、私に何かを語りかけてくるような、そんな感覚。
『……おいで』
優しい、温かい声が聞こえるような気がした。私を呼んでいる。
「あの……ヴァレリウス様」
私は意を決して、彼に言った。
「私に、やらせてもらえませんか。なんだか分からないけれど……私、あれに触れなければならない、そんな気がするんです」
私の突拍子もない言葉に、ヴァレリウス様は驚いて目を見開いた。
「アネリーゼ、何を言っている。あの結界は、王家の血を引かない者が触れればどんな危険な反動があるか分からないんだぞ。下手をすれば、君の魔力そのものが消滅してしまうかもしれない」
彼の心配はもっともだった。でも、私の心の奥で揺り籠が私を呼び続けている。これはただの勘ではない。もっと根源的な、魂の繋がりのようなもの。
「お願いします。大丈夫です。私には、あなたからいただいたこの守護のチャームがありますから」
私は胸元で温かい光を放つお守りを、ぎゅっと握りしめた。
私の真剣な眼差しに、ヴァレリウス様はしばらく葛藤しているようだった。やがて彼は深いため息をつくと、覚悟を決めたような顔になった。
「……分かった。君のその直感を、信じよう」
彼はそう言うと私の前に立ち、何重にも魔法の防護障壁を展開してくれた。
「だが、約束しろ。少しでも危険を感じたら、すぐに手を引くんだ。君の身の安全が何よりも最優先だ。いいね?」
「はい……!」
私は力強く頷いた。
ヴァレリウス様に見守られながら、私は一歩、また一歩と銀の揺り籠に近づいていく。どきどきと、心臓が大きく鳴っていた。
そして、ついに。私の震える指先が、揺り籠を包む魔力の光の障壁に触れた。
その瞬間、パリン、とガラスが割れるような澄んだ音が響き渡った。
私の指先が触れた場所から光の障壁が蜘蛛の巣のようにひび割れていく。そして、それは私を攻撃するどころか、まるで長い間待ちわびた主の帰りを喜ぶかのように、優しい光の粒子となって私の体の中へとすっと吸い込まれていった。
結界が、解けた。
そして、それと同時に、これまで経験したことのない、あまりにも鮮明で強烈なビジョンが、私の意識の全てを奪い去った。
――それは百年前の、燃え盛る王宮。アルテア王国、最後の日。
若き王妃様は、生まれたばかりの赤子を胸に抱きしめていた。彼女の忠実な侍女が、涙ながらに彼女に訴えかけている。
『お妃様、早く! このままでは追っ手に見つかってしまいます!』
『……分かっています。でも、この子を死なせるわけにはいかない』
王妃様は自分の指を小さく切り、その血の一滴を赤子の額にそっと垂らした。
『これで、この子の中の王家の力は一時的に封じられる。誰もこの子が王族だとは気づきますまい』
『いいこと、マリア。この子を連れて東へお逃げなさい。そして名を変え、身分を隠し、この子を育てるのです』
王妃様は自分の首からサファイアの美しいブローチを外すと、それを赤子の産着にそっと留めた。それは紛れもなく、私の母の形見として伝わってきた、あのブローチだった。
『いつか平和な世になったら、この子が自分の真実の血筋を知る日が来るかもしれない。その時のために……』
王妃様はマリアと呼ばれた侍女に赤子を託した。そして彼女は一人、追っ手の兵士たちの前に立ちはだかる。愛しい我が子を逃がす時間を稼ぐために。
ビジョンはそこで終わらなかった。
侍女マリアは必死に逃げ、そしてこの国……我が王国へと亡命し、名を変え慎ましく暮らした。彼女は主君との約束を守り、赤子を自分の娘として大切に育て上げたのだ。
その血筋は途絶えることなく百年以上の時を経て受け継がれていく。
そして、その最後の末裔が……私の母だった。
「あ……あ……」
全ての記憶が一本の線に繋がった。
どうして私にだけサイコメトリーの力があったのか。それは呪いなどではなかった。アルテア王家の血に代々受け継がれてきた特殊な魔法の力だったのだ。王妃様が封印したはずのその力が、私の中で不完全に目覚めてしまっていた。だから頭痛がした。だから制御ができなかった。
私は追放された伯爵令嬢なんかじゃなかった。
私は……滅びたアルテア王国の、最後の王家の血を引く末裔。
そのあまりにも衝撃的な真実に、私の意識は遠のいていく。体がぐらりと傾き、私はその場に崩れ落ちた。
その私の体を、ヴァレリウス様の強い腕が後ろからしっかりと抱きとめてくれた。
「アネリーゼ! しっかりしろ!」
彼の悲痛な叫び声が聞こえる。
私は彼の胸にもたれかかりながら、かろうじて途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「……私……わたしは……」
「アルテアの……王家の……」
そこまで告げるのが精一杯だった。私の意識は、完全に闇に落ちた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
私がゆっくりと目を開けると、そこは見慣れた私の補佐官室のベッドの上だった。窓の外は、もうすっかり夜になっている。
「……目が覚めたか」
ベッドのすぐそばの椅子に、ヴァレリウス様が座っていた。その美しい顔には深い疲労と、そして見たこともないほどの心配の色が浮かんでいた。私が気を失ってから、ずっとここにいてくれたのだろうか。
「ヴァレリウス……様……」
「……喋るな。君は膨大な情報の奔流に精神を蝕まれた。今は安静にしているのが一番だ」
彼はそう言うと、私の額にそっと手を当てた。ひんやりとした彼の手のひらが、火照った私の肌に心地よい。
「……君が視たものは、全て理解した」
彼の静かな声が部屋に響いた。
「君がアルテア王家の正当な血を引く、唯一の生存者であるということも」
その言葉に、私の胸がきゅっと痛んだ。その事実は私にとって、あまりにも重すぎる。
「そんな……。では、私はこれからどうなるのでしょう……」
王家の末裔だと知られれば、私の人生はまためちゃくちゃになってしまうかもしれない。政治の道具にされたり、命を狙われたり。やっと手に入れたこの穏やかな居場所も、失ってしまうかもしれない。
そんな不安に怯える私の手を、ヴァレリウス様が両手で優しく包み込んだ。
「……何も心配するな」
彼の紫色の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。その瞳には、絶対的な決意の光が宿っていた。
「君が誰であろうと関係ない。君が王女であろうと、ただの令嬢であろうと、私の認識は何も変わらない」
彼はそこで一度言葉を切り、そして私の手を自分の胸元へと引き寄せ、まるで誓いを立てるかのように告げた。
「君は、アネリーゼだ。私の唯一無二の、最高の助手だ」
「そして、私がこの手で見つけ出した、私の宝物だ」
「……ヴァレリウス様……」
「だから、何も恐れるな。君のその血筋が君に災いをもたらすというのなら、私がこの世界の全てを敵に回してでも、君を守り抜いてみせる」
それは、世界で一番力強くて、そして甘い愛の告白だった。
私の目から涙がとめどなく溢れ出した。でもそれはもう、悲しみや不安の涙ではなかった。ただひたすらに、嬉しくて、幸せで、温かい涙だった。
私の本当の物語は、どうやらまだ始まったばかりのようだった。
でも、もう何も怖くない。
この人が、そばにいてくれるのだから。
安心感に包まれながら、私は意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます