第17話
最初の試練を乗り越え、私たちはさらに地下墳墓の奥深くへと進んでいった。
通路は迷路のように入り組んでいたけれど、ヴァレリウス様は少しも迷う素振りを見せない。彼は空気中に漂う微かな魔力の流れを読み解き、常に正しい道筋を選択しているようだった。さすがは王国最高の宮廷魔術師長だ。
しばらく歩くと、私たちはまたしても巨大な円形の広間に出た。
その部屋の中央には、一つの石造りの台座がぽつんと置かれている。しかし、その上には何も乗っていない。そして、この部屋にもまた、先に進むための扉らしきものは見当たらなかった。
「どうやら、ここが第二の試練の間のようだな」
ヴァレリウス様が壁に描かれたレリーフに目を向けた。その壁には、アルテア王国最後の王妃様の一生が物語のように彫り込まれていた。
民に愛され微笑む若き日の姿。国王陛下と幸せそうに寄り添う姿。そして戦争が始まり、悲しみに暮れる姿。最後に、生まれたばかりの赤子を胸に抱きしめ、涙を流す姿。
その一枚一枚のレリーフが、まるで生きているかのように強い感情を放っていた。
「この部屋は強い残留思念に満ちている。おそらく、王妃様の悲しみの感情そのものが、この部屋の鍵となっているのだろう」
「この悲しみを鎮めなければ、先へは進めない。そういう仕掛けだ」
悲しみを鎮める。それは魔法や力ではどうにもならない、人の心の領域だ。
「ヴァレリウス様……。私に、やらせてください」
私は意を決してそう言った。
ヴァレリウス様は黙ってこくりと頷く。彼は何も言わなくても、私が何をしようとしているのか分かってくれている。
私は壁に彫られた最後のレリーフ、王妃様が赤子を抱いて涙を流しているその絵の前に立った。そして、そっとその石の表面に指先で触れた。
――その瞬間、激しい感情の奔流が私の心を飲み込んだ。
愛する夫を失った悲しみ。愛する祖国が燃えていく絶望。そして、この腕の中にいる愛しい我が子を守れない無念。
苦しくて、切なくて、胸が張り裂けそうだった。それはもう、ただの過去の記憶ではなかった。王妃様の魂の叫びそのものが、百年以上の時を超えて私の中に流れ込んでくる。
(ああ……この子だけは……)
(この子だけは、どうか幸せに……)
その悲痛な願い。私自身の過去の記憶が蘇る。
義姉に陥れられ、実家を追放された時のあの絶望感。誰にも信じてもらえない孤独。
違う。境遇は全く違うけれど、でも、大切なものを失うその痛みは分かる。
「……分かります」
私は無意識のうちにそう呟いていた。レリーフの王妃様に向かって語りかける。
「あなたのその悲しみ、とてもよく分かります。でも、あなたは一人じゃなかったはずです」
私の言葉に反応するように、レリーフが淡い光を放ち始めた。
「あなたは最後までこの子を愛し抜いた。その強い愛は、決して無駄にはならなかったはずです」
「あなたの願いはきっと誰かに届いていた。この子があなたの愛に守られて、どこかで生きていたと、私は信じます」
私の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。それは王妃様への共感の涙であり、そして私自身の過去への慰めの涙でもあった。
ぽたり、と。
私の涙の雫が、レリーフの足元の石畳に落ちた。
その瞬間、部屋全体が眩い、優しい光に包まれた。壁のレリーフが一斉に輝き始め、そして王妃様の悲しみの表情が、ふっと穏やかな微笑みに変わった。
まるで、「ありがとう」と言ってくれているかのように。
次の瞬間、部屋の奥の壁が音もなく開いていき、その向こうには荘厳な大理石の通路が続いていた。
「……アネリーゼ」
ヴァレリウス様が私の名前を呼んだ。その声は、少しだけ震えているようだった。
私は彼のほうを振り返る。彼は見たこともないような、優しい慈愛に満ちた表情で私を見つめていた。
「君のその心は、どんな高位の魔法よりも尊くて美しい」
彼はそっと私の頬に触れた。そして親指で、私の涙の跡を優しく拭ってくれる。
「他人の悲しみを自分のことのように痛み、そして寄り添うことができる。……それは、私には決して持ち得ない強さだ」
そう言って、彼は私をそっと彼の胸の中へと引き寄せた。
「君はもう、一人で悲しみを背負う必要はない。これからは私が、君の全ての悲しみを半分受け持とう」
彼の温かい胸の中。彼の力強い心臓の音。その全てが、私の心を優しく溶かしていく。
この人のそばにいると、私はどんどん強くなれる。そして、どんどん弱くなってしまう。この人の前でなら、泣いてもいいのだと思わせてくれるから。
「さあ、行こう。おそらくこの先が、終着点だ」
ヴァレリウス様は名残惜しそうに私から体を離すと、私の手を強く握った。
私たちは二人で新しく現れた大理石の通路を進んでいく。その先には、観音開きの巨大な扉があった。扉にはアルテア王家の紋章が見事に彫り込まれている。
ヴァレリウス様がその扉に手を触れると、扉はまるで主の帰りを待ちわびていたかのように、ゆっくりとひとりでに開いていった。
扉の向こう側は、これまでで最も荘厳で神聖な空気に満ちていた。
広大な空間の中央、一段高くなった祭壇の上に、美しい白大理石の石棺が安置されている。アルテア王国最後の王妃様が眠る場所。
そして、その石棺のすぐ隣に、それはあった。
三日月のような形をした、銀色の揺り籠。
無数の宝石が埋め込まれ、それ自体がまるで星屑のように淡い光を放っている。
『銀の揺り籠』
百年の時を超えて、歴史の闇に眠り続けていた伝説の秘宝。
私たちは、ついにそれを見つけ出したのだ。
しかし、その揺り籠は目に見えない強力な魔力の障壁に包まれていた。それはこれまでの試練のような敵意のあるものではない。ただひたすらに、清らかで気高い守りの結界だった。
「……これが、最後の鍵か」
ヴァレリウス様が揺り籠を見つめながら呟いた。
「この結界は、おそらく正当な王家の血を引く者でなければ、決して触れることはできない」
私たちはついに宝の目の前まで辿り着いた。
しかし、最後の扉が開かない。
そんな、もどかしい状況だった。
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