第15話

翌朝、私は約束通り、完璧なサンドイッチを携えてヴァレリウス様と共に『王立魔法植物園』へと向かった。


馬車を降りた瞬間、甘く、そしてどこか不思議な花の香りが私たちを包み込んだ。

目の前には、巨大なガラス張りのドームがいくつも連なっている。

その中には、この世界のものとは思えないような、色とりどりの奇妙な植物たちが生き生きと茂っていた。

光るキノコ、ひとりでに音楽を奏でる草、虹色の樹液を流す木。

まさに、魔法の植物たちの楽園だ。


「わぁ……!」


思わず、感嘆の声が漏れる。

私がこの植物園の責任者として、今日のデートをリードしなければならない。

そう思うと、少しだけ緊張する。


「アネリーゼ。君の計画通り、まずは園内を効率的に一周するとしよう」


隣を歩くヴァレリウス様が、私の心を見透かしたようにそう言った。

その、さりげない助け舟がありがたい。


私たちは、二人でゆっくりと園内の小道を歩き始めた。

ヴァレリウス様は植物にあまり興味がないのかと思っていたけれど、それは私の完全な思い違いだった。


「あれは『鳴き虫草』だ。刺激を与えると、防御反応として人間には聞こえない高周波の音を出す。魔物の一部種族は、この音を極端に嫌う」

「こちらの『月光苔』は、魔力を蓄える性質がある。夜になると蓄えた魔力を淡い光として放出するんだ。洞窟探検の際の、簡易的な光源として重宝される」


彼は一つ一つの植物について、その性質や魔法的な利用価値を淀みなく私に説明してくれた。

その横顔は、いつもの宮廷魔術師長としての厳しいものではなく、純粋に知の探求を楽しむ一人の学者のようだった。

彼の、また新しい一面。

それを知ることができて、私の心は温かい喜びで満たされた。


私たちは、園内が見渡せる景色の良い丘の上で、お昼にすることにした。

私がバスケットから、自信作のサンドイッチを取り出す。

一つは、ローストした鶏肉とシャキシャキの野菜を、ハーブの香るソースで和えたもの。

もう一つは、甘い卵焼きとピリッとした辛味のある、特製のソースを組み合わせたものだ。


「さあ、どうぞ。栄養の効率的な摂取に、最適なはずです」


私が少し得意げにそう言うと、ヴァレリウス様は黙ってサンドイッチを一つ手に取った。

そして、大きな口で一口。

彼の紫色の瞳が、ほんの僅かに見開かれた。


「……うまい」


ぽつり、と彼が呟いた。

その、あまりにも素直な感想に、私の心臓が大きく跳ね上がる。


「……この鶏肉の火の通り具合、完璧だ。そして、ソースの酸味とハーブの香りのバランスが、舌の味蕾を極めて効果的に刺激する。計算され尽くした、味の構成だ。素晴らしいぞ、アネリーゼ」


最高の褒め言葉。

料理をこんなふうに論理的に褒められたのは初めてだったけれど、それがたまらなく嬉しかった。

彼が、あんなに美味しそうに私の作ったものを食べてくれる。

ただそれだけで、私は天にも昇るような幸せな気持ちになった。


楽しいピクニックの後、私たちは、いよいよ本題であるアルテア王国の特別展示室へと向かった。

そこは他の展示室とは違い、少しひんやりとした空気に包まれていた。

壁には、滅びた王国の悲しい歴史が淡々と綴られている。


その一番奥に、それはあった。

ガラスケースの中にひっそりと展示された、一輪の白い花。

『リリウム・ノクティス』の、最後の標本だ。

その白く透き通るような花弁は、百年以上の時を経てもなお、その美しさを失ってはいなかった。


「これに、触れることができれば……」


私がそう呟いた時だった。


「許可しよう」


ヴァレリウス様が、こともなげにそう言った。

彼はいつの間にか植物園の園長を呼びつけていた。

そして、宮廷魔術師長としての正式な命令書を突きつけている。


「国家の安全保障に関わる、最重要機密の調査だ。速やかにこのケースを開け、私の助手にこれを触れさせろ」


園長は真っ青な顔で何度も頷くと、震える手で厳重なロックを解除した。

ヴァレリウス様は、いつもこうだ。

私が何かを望む前に、常に完璧な道筋を用意してくれる。


私は彼に見守られながら、そっと指先を幻の花の花弁に触れさせた。


――その瞬間。

ビジョンが、私の意識を飲み込んだ。

でも、それは誰かの記憶ではなかった。

花、そのものの記憶だ。


――王妃様の優しい手によって、摘み取られる心地よい感覚。

――王宮の花瓶に飾られる、誇らしい気持ち。

――そして、ある夜。王妃様は私をそっと懐に隠し、誰にも知られず王宮を抜け出した。

――向かった先は、薄暗く岩肌の露出した、荒涼とした谷。

――王家の眠る谷だ。

――王妃様は、谷の一番奥にある巨大な岩壁の前で立ち止まった。

――そして、詠うように古の言葉を紡ぎ始める。

――すると、岩壁に月の紋章が浮かび上がり、それがまるで扉のようにゆっくりと開いていった。

――その奥には、地下へと続く長い、長い階段が……。


「……っ!」


私ははっと我に返った。

全身から力が抜けて、よろめく。

その体を、ヴァレリウス様の強い腕がしっかりと支えてくれた。


「アネリーゼ! 無事か!」


彼の焦った声が、耳元で響く。


「だ、大丈夫です……。視えました」


私は彼の腕に支えられながら、今視たばかりのビジョンを彼に伝えた。

王家の谷の、隠された地下墳墓への入り口。

そして、それを開くための古の呪文。


全てを聞き終えたヴァレリウス様の瞳が、驚愕と、そして歓喜の色に輝いていた。


「……信じられない。君は花の記憶から、失われたはずの王家の秘密の扉まで見つけ出してしまったのか」

「君の能力は、本当に底が知れないな。アネリーゼ、君は我が王国にとって最高の至宝だ」


彼は感極まったようにそう言うと、私をぎゅっと強く抱きしめた。

彼の胸の中に、完全に包み込まれる。

彼の心臓の音が、私の耳に直接響いてきた。

早くて、力強いその音。


「……任務は、新たな段階に移行した。直ちに、王家の谷へ向かう」


彼はそう宣言すると、私の体を軽々と横抱きにした。


「きゃっ!? ヴァレリウス様!?」


「ここから谷までは距離がある。君を歩かせるわけにはいかない。これが、最も合理的な移動手段だ」


そう言って、彼は高位の転移魔法を詠唱し始める。

私たちの体を、眩い光が包み込んだ。


次の瞬間、私たちの目の前に広がっていたのは、植物園ののどかな光景ではなかった。

ごつごつとした岩肌と、枯れた木々。

百年間、誰も足を踏み入れたことのない禁足地。

王家の眠る谷の、入り口だった。


「さあ、行こうか。アネリーゼ」


私を抱きかかえたまま、ヴァレリウス様は言った。

その声には、これから始まる冒険への確かな高揚感が含まれていた。


「歴史の、本当の扉を、開けに」


二人の奇妙なデートの行き着いた先は、歴史の闇に深く、深く埋もれた、失われた王家の秘密の墓所だった。

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