第13話

三日間の夢のような休暇は、あっという間に過ぎ去った。


私の心はすっかりリフレッシュされ、ヴァレリウス様が淹れてくれる美味しい紅茶を飲みながら、新しい事件の報告書に目を通すことにもすっかり慣れてしまった。

隣の執務室では、ヴァレリウス様がいつものように膨大な書類を片付けている。

時折聞こえる羽ペンのサラサラという音だけが、この部屋に流れていた。


「さて、アネリーゼ」


不意に、ヴァレリウス様が私の部屋へと顔を出した。

その手には、一枚の古い羊皮紙が握られている。


「『銀の揺り籠』についての初期調査が完了した。君の休暇中に得られた情報を元に、王宮の記録を全て洗い出した結果だ」


彼の言葉に、私の背筋がぴんと伸びる。

ついに、歴史の闇に葬られた謎への挑戦が始まるのだ。


「ありがとうございます、ヴァレリウス様。何か分かりましたか」


「ああ。まず『銀の揺り籠』は、アルテア王家に伝わる神聖な揺り籠で、正当な王位継承者が生まれると、自動的にその者の元へ現れると信じられていたらしい」


「自動的に現れる……。まるで、生きているみたいですね」


「伝承の上ではな。だが、その実態は巧妙な魔術的ギミックが施された秘宝だろう。そして、その在処を知るのは代々の王と、ごく一部の側近のみだった」


彼は羊皮紙をテーブルの上に広げた。

そこには、揺り籠の簡素なスケッチが描かれている。

三日月のような形をした、美しい揺り籠。

全体が銀でできており、無数の宝石が星のようにちりばめられていた。


「この本を書いた歴史学者エルドリンは、アルテア王国の滅亡後、我が国に招聘され王宮の歴史編纂官を務めていた。君が視たビジョンの通り、彼は権力者たちの圧力によって歴史を歪めて書くことを強いられたのだ」


ヴァレリウス様の声には、珍しく怒りのような響きが混じっていた。


「そして彼は死ぬ間際に、一枚の星図を残している。それがこれだ」


彼が指し示したのは、羊皮紙の隅に描かれた小さな星図だった。

無数の星々の中に一つだけ、涙の雫のような形をした奇妙な星が描かれている。


「君が視た『涙を流す星』。これが、エルドリンが遺した唯一の手がかりだ。おそらく彼はこの星図に、『銀の揺り籠』への道筋を隠したのだろう」


「では、この星図を解読すれば……!」


「その通りだ。だが問題は、彼がこの星図をどこで描いたかだ。彼の遺品はほとんど残っていない。彼が使っていた道具に触れることができれば、より多くの情報が得られるはずだが」


ヴァレリウス様は、少しだけ悔しそうに眉を寄せた。

そんな彼の役に立ちたい。私は必死に頭を働かせた。


「あの、ヴァレリウス様。その歴史学者エルドリンさんは、王宮の歴史編纂官だったのですよね」


「ああ、そうだ」


「でしたら、彼が編纂した他の書物が大書庫に残っているのではないでしょうか。彼が直接触れたものであれば、何か分かるかもしれません」


私の提案に、ヴァレリウス様ははっとしたように目を見開いた。

そして次の瞬間には、その口元に満足そうな笑みを浮かべていた。


「……素晴らしい着眼点だ、アネリーゼ。君の思考は常に合理的で的確だ。私の助手にふさわしい」


心からの称賛の言葉に、私の頬がじわりと熱くなる。


「すぐに手配しよう。大書庫の『特別資料室』に、エルドリンが編纂した全ての書物を集めさせる」


彼の行動は、いつも驚くほど迅速だった。

私たちが大書庫の特別資料室に着いた頃には、そこには既に、エルドリンが関わったとされる数十冊の分厚い書物がテーブルの上に並べられていた。

資料室の責任者であるグラマン子爵は、先日の一件ですっかりヴァレリウス様に怯えているらしく、私たちを見るなり深々と頭を下げて部屋から出て行った。


「さあ、アネリーゼ。頼んだぞ」


「はい!」


私はヴァレリウス様に見守られながら、一冊ずつ本に触れていった。

胸元の守護のチャームが温かい光を放ち、私の負担を軽減してくれる。


一冊目。

二冊目。

十冊目。


どの本からも、エルドリンの残留思念は感じられる。

だがそれは、歴史編纂という仕事に対する実直な感情ばかりで、『銀の揺り籠』に繋がるような特別な情報は視えてこない。


(だめ……これじゃない……)


焦りが、私の心を支配し始める。

そんな私の様子に気づいたのか、ヴァレリウス様が私の肩にそっと手を置いた。


「焦るな、アネリーゼ。君のペースでいい。君の能力は集中力に大きく左右される。一度休憩を挟むのが合理的だろう」


彼はどこからか取り出した小さな水筒と、可愛らしい焼き菓子を私に差し出した。


「糖分と水分の補給は、脳の機能を維持するために不可欠だ。これも任務の一環だ」


また彼らしい言い訳。

でも、その優しさが私の焦りを溶かしてくれた。


私はこくりと頷き、彼がくれたお菓子を一口食べた。

優しい甘さが口の中に広がり、強張っていた心がほぐれていく。

大丈夫。この人がそばにいてくれる。

私はもう一度、集中し直した。


そして、最後の一冊。

『王家歴代肖像画集』という豪華な装丁の本に、手を伸ばす。

その本に触れた瞬間、これまでとは比較にならないほど強いビジョンが、私の頭の中に流れ込んできた。


――視えたのは、若き日のエルドリン。

彼はこの肖像画集の監修を任され、王宮の肖像画保管室で作業をしている。

歴代の王や王妃の肖像画がずらりと並ぶ中、彼の目はある一枚の絵に釘付けになっていた。


それは、アルテア王国最後の王妃の肖像画。

彼女の胸元には、あの『紅涙の首飾り』が輝いている。

だが、エルドリンが注目していたのはそこではなかった。

彼が注目していたのは、王妃がその手に持つ一輪の白い花。


『リリウム・ノクティス……。夜にだけ咲くという、幻の花か』


エルドリンはそう呟くと、おもむろに自分のスケッチブックを取り出した。

そして、王妃が持つ花を克明にスケッチし始める。

その花のスケッチの隣に、彼はいくつかの文字を書き加えた。


『揺り籠は月の雫を浴びて目覚める』

『旧暦の満月の夜、王家の眠る谷にて』


ビジョンは、そこで途切れた。


「……っ!」


私ははっと目を開き、本から手を離した。


「視えました……! ヴァレリウス様!」


「落ち着いて話せ、アネリーゼ」


私は興奮する心を抑えながら、今視たばかりの光景を彼に伝えた。

アルテア王国の王妃が持っていた幻の花、『リリウム・ノクティス』。

そしてエルドリンが残した、『揺り籠は月の雫を浴びて目覚める』、『旧暦の満月の夜、王家の眠る谷にて』という二つのキーワード。


私の報告を聞き終えたヴァレリウス様の紫色の瞳が、勝利の輝きを宿した。


「……見事だ、アネリーゼ。君はまたしても、誰も解けなかった謎を解き明かした」


彼は私の頭を、大きな手で優しく撫でた。

その手つきがあまりにも優しくて、私の胸が甘く痺れる。


「『王家の眠る谷』は、おそらくアルテア王家の歴代の王たちが眠る、王家の谷のことだろう。我が国との戦争で荒廃し、今は禁足地となっている場所だ」


「では、そこへ行けば……!」


「ああ。だが問題は『旧暦の満月の夜』だ。アルテア王国が使っていた旧暦の計算方法は複雑で、次の満月がいつになるか、正確に割り出すには時間がかかる」


「それに、『リリウム・ノクティス』という幻の花も気になります。その花が、何か関係しているのでしょうか」


「可能性は高いな。その花について、すぐに調べさせよう」


ヴァレリウス様は満足そうに頷くと、私の手を引いて立ち上がった。


「今日の調査はここまでだ。君は最高の成果を上げた。これ以上の労働は非効率的だ」


彼はそう言うと、私を連れて資料室を出ようとした。

その時だった。


「おや、ヴァレリウスじゃないか。それに、アネリーゼ嬢も。こんな場所で奇遇だな」


現れたのは、あの騎士団長ギデオン様だった。

彼はにこやかな笑みを浮かべながら、私たちに近づいてくる。


「また二人で密会かい? 君たちは本当に仲がいいな」


その軽口に、ヴァレリウス様の眉がぴくりと動いた。


「ギデオン隊長。公務の邪魔だ。道を開けてもらおうか」


「はは、そうつれないことを言うなよ。俺も少し調べ物があってね」


ギデオン様はそう言うと、ちらりと私に視線を送った。


「それにしてもアネリーゼ嬢。君は会うたびに綺麗になるな。ヴァレリウスにはもったいないくらいだ」


その言葉に、私の顔がカッと熱くなる。

次の瞬間、ヴァレリウス様が私をぐっと自分の後ろに引き寄せた。

まるで私をギデオン様から隠すように。


「彼女は私の助手だ。そして、私の庇護下にある。君が気安く口説いていい相手ではない。そのことを忘れたとは言わせんぞ」


絶対零度の声。

その声に含まれた明確な独占欲に、ギデオン様は楽しそうに肩をすくめた。


「分かっているさ。君の、大事な宝物だってことはね」


彼はひらひらと手を振ると、大書庫の奥へと消えていった。

嵐のような彼の登場に少しだけ疲れた私は、大きく息を吐いた。


「……あの、ヴァレリウス様。私、大丈夫ですから」


「合理的ではないな。害虫は、発生源から断つのが最も効率的だ」


彼はまだ不機嫌そうにそう言うと、私の手をさらに強く握った。

その強い力に守られているという実感が湧いてきて、私の心は温かくなる。


王宮へと戻る廊下を歩きながら、ヴァレリウス様はぽつりと呟いた。


「……君はまた大きな功績を挙げた。当然、報酬が与えられるべきだ」


「い、いえ! 私はヴァレリウス様のお役に立てただけで、十分です!」


「私の決定だ。異論は認めない」


有無を言わせぬ口調。

彼は私の部屋の前で足を止めると、私の顔をじっと見つめた。

その真剣な眼差しに、私の心臓が大きく跳ねる。


「君が言っていたな。『デートみたいだ』と」


「へっ!?」


唐突な言葉に、私は素っ頓狂な声を上げた。


「前回の調査では、私は君を『でーと』に招待した。今回は君から私を招待してみるというのも、一つの選択肢として合理的ではないか?」


彼からの、まさかの提案。

それはつまり、次のデートのお誘い。

私が言葉を失って固まっていると、彼は少しだけ視線を逸らしながら続けた。


「……これも、君の功績に対する報酬の一環だ。君にはその権利がある」


彼の耳が、ほんのりと赤く染まっているのを私は見逃さなかった。

この天才で、冷徹で、合理主義者の宮廷魔術師様は、きっと照れているのだ。

そのことが、たまらなく愛おしくて。


私は勇気を振り絞って、満面の笑みで答えた。


「はい! ヴァレリウス様! ぜひ、私に次のデートを計画させてください!」


私の返事に、彼は一瞬驚いたような顔をして、それから満足そうに口の端を上げた。

それは本当に僅かな、他の誰にも気付かれないほどの小さな笑みだった。

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