ファントム、夜に駆ける1
作戦が最終段階へと移行し、隠れ家の空気は、張り詰めた静寂と、熱を帯びた集中力に満たされていた。三人は、それぞれが端末に向かい、自らの役割を果たしていた。
玲奈はユキの隣に座り、一般のニュースサイトやSNSを駆使し、自分たちが引き起こした「事件」の痕跡を追っていた。
「レインボーブリッジ、未だ閉鎖中。警察はテロの可能性も視野に……。多摩地区の山中では、謎の銃撃戦があったって……、これも関係がある、よね?」
玲奈の問いにマスターが頷く。
「どうやらここに、プロメサーが潜伏していたようですね。SNSやいろんな情報から推測するに、間違えてはいないでしょう」
「……ユキちゃんでも見つけられなかったのに」
「それだけ、瀬尾さんの実力は素晴らしい、ということでしょうね」
その瀬尾は今や敵だ。もしかしたら、ここも見つけられるかもしれない。
だからこそ、彼女の隣でユキはヘッドセットを装着し、意識をネットワークの海へと深くダイブさせていた。彼女の鼻からは、再び血が流れていたが、拭うことさえしない。彼女の代わりに玲奈がそっとハンカチで拭った。
「ありがと」
短くお礼を言うが、ヘッドセットは外さない。彼女の目的はただ一つ。MI6のサーバーの奥深くに潜り込み、灰島脱出の瞬間、そして最終決戦の地『バベルゲート』での戦いに必要となる、全ての情報を掌握すること。
そしてマスターは、メインディスプレイに映し出される、灰島の「目」からの映像を、ただひたすらに、瞬きもせずに見つめ続けていた。 彼は、ただ見ているのではなかった。映像の微かな揺れ、ノイズの走り方、そして、モニターに映る灰島のバイタルサインの波形。その全てから、最強のエージェントである男の、次の一手を読み取ろうとしていた。
やがて、マスターは静かに、しかし確信に満ちた声で呟いた。
「……来ます」
その声に、玲奈が顔を上げる。ユキも、一瞬だけ意識を現実に戻した。
「灰島くんが、動く準備を始めました。彼が、脱出の好機をうかがっています」
「分かった。準備する」
ユキは短くそう言うと、灰島の視覚に意識を向けた。
簡易ベッドの上で、灰島は静かに「その時」を待っていた。 彼の指先に繋がれたバイタルモニターの数値は、安定している。
指先を動かす。完全とは言えないが、感覚は戻ってきている。思考は、いまだにクリアではないが、自分が何をすべきかくらいは分かっている。
> PATH. CLEAR. GO.
一瞬、画面がブラックアウト、その後すぐに戻り一瞬だけ短い一文を映した。それを理解をするだけの思考は残っている。
灰島は、自身の周りを確認した。脇腹の処置は終わり、それ以外の傷の処置も終了、医療班の一人の手には銀色のトレイ。
「――ぐっ……う、ぁああああ!」
突如、灰島が苦悶の声を上げ、全身を激しく痙攣させた。まるで、薬の副作用が、最悪の形で現れたかのように。
「どうした! 患者が暴れているぞ!」
「痙攣だ! 舌を噛む、押さえろ!」
医療班と監視役のエージェントたちが、慌てて彼を押さえつけようとベッドに殺到する。その、数秒間の混乱。 もがき苦しむ彼に驚いたのか、トレイが手から落ちる。
ガシャン、と機材が床にばらまかれるが、灰島の対処にそれを拾う余裕などない。
「鎮静剤を! 早く!」
「はい!」
部屋を出ていく医療班の女性。エージェントはこのことをセレスティーナに報告すべきか、ポケットからスマートフォンを取り出す。
その彼が灰島から目を離す瞬間を、彼は待っていた。
落ちるトレイからキャッチした医療用のハサミで、自分を縛り付けるベルトを切る。起き上がり、残る医療班の男性二人の後頭部を殴打し、失神させる。
「Sit!!」
そして、体勢を整え灰島に襲い掛かろうとするエージェントの喉に、そのハサミを投げつけ動きを止めた。
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