17話 第二回実戦検証
1950年 3月5日
大
「──前回の暴走は、私の責任だ」
練兵場に到着すると、西条はいきなりそう切り出した。
「わずかな情報しかない中で、いきなり実戦形式で行ったことがあのような結果をもたらした。今回は慎重を期したい」
「わかった」
「まずは貴官が『着鎧』してくれ……できるか?」
「ああ」
二十八日以降、真言の身体に関わる無数の検証が行われた。身体能力の測定から、再生能力の実験、そして生体鎧殻展開の訓練。
それらはいずれも問題なく結果を出した。
むしろ昨日の暴走は唐突なものであり、事前の兆候はまったくなかったと言える。西条が加減を誤ってやりすぎたわけでもない。あの程度の負傷は、強化人間同士の訓練でも頻繁に発生するものだからだ。
小早川いわく、あれは擬蟲の反射的な防衛行動なのだという。
物が飛んできた時に咄嗟に目を閉じるようなものであり、そこに知性の関与はなかった、というのが彼女の仮説だ。反射的に身体を乗っ取られる側としてはたまったものではない。
問題は、どうすれば擬蟲による身体の乗っ取りを防止できるのか、という点だった。重傷を負うたびに乗っ取られていてはまともに戦えない。戦力としてもあまりに不安定だ。
『──慣れしかないと思われます。擬蟲が大杉さんの置かれている状況を把握し、誰が敵で誰が味方で、本当に危険なのはどういう状況なのかを理解してくれるのを待つしかないかと。坂之上卿に教えが請えればよかったんですが……』
とは小早川の言である。
慣れしかない。なるほど当然のことではあるが、遠離院が真言に期待している役目は、ほかならぬ坂之上沙羅双樹への対抗手段としてのものだ。叛乱軍の殲滅と天姫奪還に際して、坂之上卿が出張ってくることはもはや疑いがない。
その動機はいまだ不透明ではあるものの、単騎で万軍に匹敵する坂之上卿を相手取るには、暴走などしている暇はない。それは確かだった。
「──やるぞ」
「よし。総員、戦闘態勢で待機だ!」
西条隊の強化人間たちが真言を遠巻きに囲んだ。彼らはすでに着鎧している。
次は最初から殺しにかかる。以前そう言った遠野という名の強化人間は、じっと真言の一挙手一投足を観察していた。有言実行にそなえているようだ。
──やろう。真言はそう強く思った。
背筋に感覚を集中させる。真言の擬蟲は脊椎と融合しているからだ。
いるのはわかる。だが何を考え、何を望み、何を思っているのかはわからない。だが、今必要なのは擬蟲の知性ではない。より本能的な能力だ。
戦いを思い浮かべる。生化研で起こった戦いを。
けさ、擬蟲が見せつけてきたものと同じ記憶だ。
それに連続して、鎧殻を思い浮かべる。全身を覆い隠す赤黒い鎧。その姿を強く脳裏にひらめかせる。
擬蟲から感情が発せられた。それが疑問なのか、怒りなのか、それとも喜びなのか判断はつかない。しかし、どうやら意図は伝わったらしい。
全身の血圧が急激に高まるのを感じる。わずかなめまい。
やがて背骨の方からばきりと音がした。擬蟲と融合した骨格が体外へ露出する。痛みはあるが、けさの一件ほどではない。耐えられる程度だ。
背骨から湧き出た赤黒い液体は、意志をもつ泥のように真言の全身へ勢いよく広がっていく。胴体から手足へ、そして頭部へと。
間もなく視界が閉ざされる。鎧殻が頭部全体を覆い隠したのだ。
──新しい感覚の発生。
視覚が遮断され、目の位置する部分から触角が形成されているのだ。それは音をはじめとした空気の振動や、温度と湿度変化の感知、そして自ら発する電波の反射を受け取ることによる相対位置の計測までを一手に担うことができるしろものだ。
何も見えないが、すべてわかる。
この場にいる全員の位置関係と動きの微小な変化まで、すべて脳に伝わってきている。それだけではない。もっと壮大なもの──周囲の大気の電気的な変化や、太陽の動き──さえ感じることができるのだ。
これは人間の持つべき感覚ではない。真言はそう思った。人が知る世界はもっと曖昧で、もやがかっていて、確かならぬものであるべきだ。
「──問題ない。身体の自由は効くし、妙な違和感もない」
真言はそう告げた。鎧殻で反響した声は、いささか変に聞こえた。
「よし。ここからは通常の戦闘訓練に入るぞ。まずは平野が相手になる」
平野は無言で真言の前へと歩み出た。
彼は五式重戦闘強化人間。五年前の開戦直前に配備された強化人間だ。
名前の通り鎧殻が幾重にも連なったその姿は重々しい。美麗でさえある西条の試製九式とはまったく趣が異なり、まるで鎧武者のような印象を与える。
小早川から聞いたところによれば、平野将曹は満洲で二年、インドで一年半を戦い抜いた歴戦の猛者なのだという。陸軍での最終階級は中尉。終戦後すぐに、帝国軍の再編と近衛軍の戦力増強計画を受けて遠離院卿から引き抜かれたそうだ。
冷静沈着だが若さゆえにどこか危ういところのある西条を支えるには、叩き上げの古兵は適切な人選だろう。このあたりはさすがというべき遠離院卿の手腕だ。
「私が止めるべきと判断したら合図する。それまでは各々好きにやれ──始め!」
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