第2/2話 遺族の願い
出入り禁止を喰らってから2カ月間、芳田は悩み苦しんでいた。会えない時間は醜い自分勝手な執着心を募らせていた。、店長らの送り迎えがなくなった。それを芳田は見逃さなかった。再び帰宅途中の里奈に声をかけた。
「なァ、頼む。オレは店に行きたいだけなんだ。もう以前のようなことは言わない。だから出入り禁止を解いてくれ」
「無理だと言ったら」
「そんなこと言わないで」
「無理です」
その翌日にはメールアドレスも通じなくなった。待ち伏せも功を制せず、絶望感を押し潰されていた。憎しみの増幅は、逆恨みと身勝手さだ。自分がこれだけ苦しんでいる。それを許さない彼女が悪い。自分が楽になるためには、わからずやの里奈をこの世から消し去ることだと殺害を決意してしまう。
事件当日、芳田は自宅から包丁やハンマーなどを持ち出し、始発で里奈の自宅に向かった。里奈宅の玄関ドアに手をかけると、鍵は開いたままだった。芳田はそれを好機だと捕らえた。「やるなら今しかない。」芳田は躊躇うことなく、靴を脱いで
室内へ入った。1階で里奈の祖母(78歳)と出くわした。 「誰なの」驚く祖母は只の障壁にしか見えなかった。芳田は祖母を押し倒し、馬乗りになってハンマーで殴り、首付近を包丁でメッタ刺しにした。里奈の部屋を探して2階へ。ベッドで寝ている里奈を見つけるや「この野郎!」と、首付近を同様に包丁でメッタ刺しにした。
「キャーッ、やめてー!」
里奈の悲鳴を聞いて母親と兄が飛んできた。そこには、返り血を浴びて立ち尽くす芳田を見て仰天し、母親と兄は家の外に逃げ出し、「誰か110番してー!」と叫んだ。それを聞いた近隣の人が警察に通報した。芳田は駆けつけた警察官に殺人未遂の疑いで逮捕された。
芳田は逮捕後、取り調べ中は泣きっぱなしだった。それは里奈との時間の喪失感と戻ってこない時間の絶望感からだった。
芳田は裁判員裁判に掛けられた。裁判では、父親は 「犯人については、死刑に処して頂きたいのです。どうか裁判員の皆様、裁判官の皆様、適正な判断を示してください」と述べた。芳田は拘留中、なぜこうなったかを考え続けていた。
公判で芳田は「自分は20代で膠原病にかかり、結婚をあきらめていた。里奈さんに恋愛感情があったわけではない」「広い意味での好きだったのかもしれない」などと弁解した。
検察官「それならどうして拘ったのですか」
芳田 「それはよく分からないです」
検察官「どうしてあきらめることができなかったのですか」
芳田 「それが分かっていたら、こういうはなっていません」
検察官「里奈さんにどうして怒りを感じたのですか」
芳田 「今思うと、とても自分勝手な感情だと思います」
検察官「里奈さんの何に怒ったのか、それを聞いています」
芳田 「それは…、出入り禁止の解除を許してくれない理由を言ってくれず、話の途
中で行ってしまったので」
検察官「捜査段階で、この時期に里奈さんへの憎しみを抑えきれず、殺してやりたく
なったと言っていませんでしたか」
芳田 「怒りの度合いが大きくなったことは言いました。「殺す」という言葉を使っ
たかは覚えていません」
裁判官からも質問があった。
裁判官「あなたは、恋愛感情が満たされず、ストーカー行為の末に里奈さんを殺害し
た、といわれるのに不満を感じているのですか」
芳田 「不満というか…。違っているところは、違っています」
裁判官「それは恋愛感情というところですか」
芳田 「はい」
裁判官「恋愛感情と、あなたが言っていた広い意味での好きというのは、どう違うん
ですか」
芳田 「それは言葉では。気持ちですから。気持ちを素直に表した言葉ですから」
裁判官「恋愛感情と言われることへの憤りはどこからくるのですか」
芳田 「憤りや不満ではなく、事実と違うということです」
検察側は、遺族感情は峻烈で、結果も極めて重大として、裁判員裁判では初の死刑を求刑した。弁護側は、毎月遺族に手紙を書くなど反省、後悔しているとして、死刑回避を求めた。
里奈の父親はどうしても自分では読み上げられないと意見陳述を弁護士に依頼した。顔が腫れ上がり、体中に管がつながれた里奈と対面したこと、すでに脳死状態で、助かっても植物状態になると医師から告げられたこと、血がしたたる包丁を持った芳田と鉢合わせして、1年以上も外出できなくなるほど妻が体調を崩したこと、母と娘を同時に失い、妻の精神状態が尋常ではないこと、自宅が犯行現場になったため、引っ越しを余儀なくされたことなど、事件後の苦しみを初めて吐露した。
「裁判員の皆様におかれましては、様々な思い、迷いがあるかもしれません。しかし、犯罪被害者の遺族からみましたら、当然死刑に処せられる犯人については、死刑に処していただきたいのです。どうか裁判員の皆様、裁判官の皆様、適正な判断を示してください」
裁判所の判断は
「主文、被告人を無期懲役に処する。判決理由、被害者の気持ちを理解できず、一方的に思いを募らせた結果、抑うつ状態に陥り、思い悩んだ末に事件を起こした。犯行の経緯や動機は極刑に値するほど悪質とまでは言えない。前科がなく、20年以上社会人として真面目に生活してきた。被害者や遺族の思いを真剣に受け止め、人生最後の瞬間まで、なぜ事件を起こしてしまったか、苦しみながら考え抜くべきだ」
とした。判決後、里菜の父親は弁護士を通じて「悔しくて涙も出ませんでした。人間を2人殺してこんな判決でいいのかと思います。いったい何人殺せば死刑になるというのでしょうか」というコメントを発表したが、検察は「裁判員裁判の判決を尊重すべきだと判断した」という理由で控訴を断念し、一家を崩壊に追い込んだ男は、量刑に不満を申し立てることもなく、刑が確定して服役した。
裁判員制度が導入されてから、犯罪者の気持ちより被害者の立場に立つことが多く、厳罰が科せられることが多い。被害者が二人で、死刑を回避されたことは、今後の判例にも影響を齎すものになるか注視したいものだ。
膝枕の殺意 龍玄 @amuro117ryugen
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