19怖目 『箱』


 廃墟探索が趣味の私は、その日も人気のない廃ビルを訪れていた。


 薄暗い廊下を歩き回っているうちに、一室の、古びてはいるがどこか雰囲気のある部屋を見つけた。


 中は埃だらけで、長い間誰も立ち入っていないことがすぐにわかった。


 しばらく部屋の空気を楽しんでいたが、ふと中央の机に目を向けると、厚く積もった埃の中に、一つだけ埃ひとつ付いていない小さな箱が置かれているのに気付いた。


 箱は真新しく、まるでデパートで買ったばかりのような、高級感のある包装がされていた。


 異様な光景に胸騒ぎを覚えながらも、好奇心に抗えず箱を手に取り、中を開けてしまった。


 中には、見るからに高価そうな指輪が収められている。


 欲に駆られた私は、指輪をポケットに忍ばせ、そのまま廃墟を後にした。


 その夜、自分のアパートに戻り、のんびりと部屋でくつろいでいると――


 ――ゴン、ゴン。


 突然、玄関のドアを叩く大きな音が鳴り響いた。


 ――こんな時間に……?


 ――ゴン、ゴン。


 何度も何度も叩く鈍い音が、室内に響き渡る。


 恐る恐るドアの覗き穴から外を覗いてみたが、誰の姿もない。背筋に冷たいものが走った。


 それでも、ドアを叩く音は止まることなく続く。


 ――ゴン、ゴン。


 息をひそめて身を潜めていると、やがて叩く音は――ぴたりと止んだ。


 安堵と不安が入り混じった気持ちで、ゆっくりとドアを開けてみた。だが、廊下には誰もいなかった。


 ホッとしかけたそのとき、視界の端で、アパートの廊下の曲がり角を何かがすっと曲がるのが見えた。ほんの一瞬だったが、それは明らかに人間の下半身だった。


 ぶわっと冷や汗が吹き出し、全身に鳥肌が立つ。


 急いでドアを閉め、鍵をかける。だが、振り向いた先――自室の窓ガラスに、べったりと何かが張り付いている。


 暗がりの中でギシギシとガラスが軋み、月明かりに照らされたそれは、髪を濡れたように顔に貼りつけた、上半身だけの女だった。女の顔は血の気がなくどろりと白く濁り、目の玉がかすかに左右に揺れている――女の口が、ゆっくりと動く。


 


 『か』


 『え』


 『せ』

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