18怖目 『引っ張る者』


 夏休み、旅行で海に来ていた私は、ホテル近くのビーチで友だちと泳いでいた。


 ホテルで昼食を食べてからずっとビーチで遊び、そろそろ日が暮れ始める時間帯になった。


 最後にひと泳ぎだけしようと友だちと沖まで出たその時、急に波が高くなり出した。


 そろそろ上がろうかと思い、岸へ向かって泳ぎ始めたが、波にぐんっと引っ張られてなかなか進まない。


 しかし、友だちは私を置いて、とっくに岸の方まで近付いていた。


 ――ぐんっ


 波に引っ張られる力がどんどん強くなる。


 必死に手足を動かすが、全く進まない。


 ――ぐんっ、ぐんっ、ぐんっ


 ヤバい。岸に近付くどころか、どんどん遠ざかっていく。手足は疲れ、感覚が鈍くなってきた。その時――


 ――ぐんっ


 勢いよく、水の中に引き込まれた。


 体が一気に沈み込む。


 それは明らかに、“波”ではなかった。


 私の足に――腕が掴みかかっていた。


 その腕は骨と皮だけのように細く、ところどころ皮膚が裂けて、白くふやけた肉が水中でゆらゆら揺れていた。爪は黒く変色し、指先は人間のそれよりも不自然に長く伸びている。


 視線を引き寄せられた先――水の中にぼんやりと見えたのは、異様に大きく開かれた口。その口元は耳元まで裂け、引き攣ったような笑みを浮かべている。真っ黒に濁った目玉が、まっすぐこちらを見据えていた。


 「――っ!」


 声にならない叫びを水の中で吐き出した瞬間、さらに強い力で脚を引きずり込まれ、肺に海水が流れ込む。


 苦しさで意識が遠のきそうになる中、かろうじて目だけが動いた。周囲には小さな気泡が立ち上りながら、腐敗した黒髪が私の体に絡みついていた。


 その髪の隙間から、無数の白い手が伸びている。まるで底なし沼のように、無限に湧き出してくるそれらの手が、私の腕、胴、首へとさらに絡みつき、全身を締め上げていく。


 水面は遠く、光は屈折して歪み、ぼんやりと揺れていた。


 ――このまま引きずり込まれる。


 次に気が付くと、私は砂浜に転がっていた。


 肺の中の海水をゴボッと勢いよく吐き出し、大きく何度もむせ込んだ。


 どうやら異変に気付いた友人が救助を呼んでくれたらしい。


 まだ意識が朦朧とする中、目の前の友人に駆け寄ろうとする――が、足が何かに引っかかって転んでしまった。


 目の前の友人は、私を見て顔を真っ青にしている。


 私は違和感のある足元を見た。


 私の両足には、べっとりとした大量の黒い髪の毛が巻き付いていた。

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