第78話:消えゆく熾火

 彼女に水を与えるという仕事は、完全な無駄骨の儀式と化していた。


 アーレンは、すでに敗北した男の鉛のような重さで動いた。布切れを水袋に浸す。その手は微かに震えていた。シャアイラの側に膝をつくと、石の床から冷気が擦り切れたズボンを通して染み込んでくる。無意味だ。もう閉ざされようとしている体に水を与えようとすることなど……ひび割れた杯を満たそうとするようなものだ。


 諦念のため息と共に、彼は身を寄せた。水を含ませるために、彼女の唇をこじ開ける必要がある。彼が無骨でたこにまみれた親指で、そっと彼女の口角こうかくに触れたその時、彼は初めて、これほど間近に彼女の顔を見ていることに気づいた。炎の光が、その顔立ちの上で柔らかく踊る。そして、その虚しい仕事に取り掛かろうとした瞬間、彼は息を呑んだ。


(女神よ――あの歯。……思っていたより人間に近い……――だがあの犬歯けんし――)


 完璧な四つの尖り。彼女のかすかな紫色の肌に対して、鋭く白い。近すぎる。その光景は、彼の内に原始的な震えを呼び起こした。彼女の致命的な本質を、冷徹に突きつけてくる。炎が揺らめき、その致命的な先端に光が反射した。それは、彼の前に横たわる、脆く静かな肉体の内に眠る捕食者の存在を物語る、美しくも恐ろしい光景だった。


 彼は頭を振り、その考えを追い払い、仕事に集中した。数滴の水を彼女の舌の上に絞り出す。ほとんどは玉となって口角から流れ落ち、頬の汚れに清浄な筋を残した。それを拭き取ろうとした、その時だった。苦い呪詛じゅそが、彼の乾いた唇から漏れかけていた。


 波紋はもん


 彼女の喉の皮膚の下で、ありえないほど微かな動き。


 彼は凍りついた。手を宙に浮かせたまま。見つめ、息をすることさえ忘れていた。ありえない。ただの筋肉の痙攣けいれんだ。炎の光がもたらした幻覚。


 彼はもう一滴、絞り出した。水が彼女の口に溜まる。そして再び、彼は待った。彼の全世界が、その一つの、絶望的な点へと収束していく。


 そこにあった。再び。今度はより強く。紛れもない、確かな嚥下えんげ


 彼自身の心臓が肋骨ろっこつに激しく打ち付けた。その狂ったような、雷鳴のような鼓動が、廃墟の静寂に響き渡る。彼は身を乗り出し、その目は彼女の顔に釘付けになった。何日もの間、死の仮面のように静止していた彼女のまぶたが、震え始めた。閉じ込められた蛾の羽が、ガラスを打つような震え。


 そして、息を呑むような一秒間、それが開いた。


 その霞んだ紫の深みに、焦点も、認識もなかった。それらは深く、内なる闇の中で失われていた。だが、開いていたのだ。揺らめく炎の光を、天井の影を映してから、再び閉じていった。


 アーレンはかかとをついて後ろに下がり、荒い喘ぎあえぎが彼から漏れた。彼自身の疲労、飢え、そしてほんの数瞬前に感じた複雑な畏怖と恐怖――そのすべてが、その一つの、衝撃的な瞬間に焼き払われた。


 彼女は、まだ逝っていなかった。


 彼女は、まだ、そこにいた。


 そして何日かぶりに、彼は墓石の冷たい重み以外の何かを感じた。それは……一本の糸。擦り切れ、細いかもしれない。だが、それでも確かに繋がっている、一本の糸だった。


 * * *


 数時間後、焼きたての肉の香りが狭い空間に満ちた。アーレンは、その日罠にかかった小さな獲物を手早く処理し終えていた。彼は自分の分を食べ終えると、残りを慎重に樹皮で包んだ。


 シャアイラの側に再び膝をつき、彼女の頭と肩を荷物に預けて、わずかに体を起こしてやる。


 彼はそっと彼女の肩を揺すった。だが、反応はなかった。


 彼は肉の小さな欠片かけらを口に入れ、それを柔らかく噛み砕いた。


(まさか魔族の雛鳥に餌をやる羽目になるとはな。まあ、命の借りがある分、文句は言えんか)


 そして、その練り肉を指で少量すくい取ると、彼女の唇にそっと触れた。何も起こらない。だが彼は諦めなかった。ゆっくりと、辛抱強く、彼は彼女の唇の間にそれを押し込んだ。


 長い間、何も起こらなかった。彼はただ待ち続けた。


 そして、あの時と同じ、かすかな嚥下の動きがあった。弱々しく、ほとんど感じ取れないほどだったが、確かに。


 彼はさらに一片を与えた。そしてもう一片。彼女は意識のないまま、機械的に飲み込んでいく。


 その単純な行為――与え、そして受け入れられるという行為――が、アーレンの内で凍てついていた何かを、ゆっくりと溶かしていくようだった。


 彼女はただの重荷ではなかった。ただの敵でも、ただの亡霊でもない。彼女は、彼が繋ぎ止めるべき、消えゆく熾火だった。そして彼自身もまた、その脆い光に、必死でしがみついていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る