第15話 断罪 その6 ベイスチン編 決着

 ラキリウム共和国のアオエール・グランプス大公は、共和国内では穏健派として知られていた。

 金髪碧眼の優しげな相貌は、見る者に安心感を与える。実際に数多の保護活動にも力を入れている人物だ。

 初老の紳士と言えるスマートな動きは、さすが元王子と言わしめるものだった。



 内乱時には共和国側の言い分に耳を傾け、「今の王国は不正に溺れ、もう見ていられません。共に悪政を倒しましょう」と、現在の政府に尽力してくれた人物の一人だ。

 資金・武力を提供し、尽力した貴族達は他にもいた。公にしていないが、アオエールの配下の貴族であった。


 ラキリウム王国と共倒れすることを避け、少ないダメージで生き残る為に、共和国側に力を貸した形だ。全ては自分達の為だった。


 倒された後の王族がアオエール達の悪事を喚いても、ただの捏造だとして信じることはなかった。それどころか、革命の立役者にされたのだから。


 誤算は一つ。

 彼は表舞台に出てしまい、顔が知れてしまった。

 暫く大人しくする必要がある。



「ほんに面倒くさい。今はまだ注目される立場だから、おおっぴらに動けん。後はケイヒンに任せる」


「勿論で御座います、このケイヒンにお任せ下さい。早速ですがご報告があります。ベイスチンが、不穏な動きをしております。

 ただいま詳細を調査中ですが、闇で売買するルートの幾つかが閉鎖されたようです。忍ばせていた間諜より連絡が入っておりました」



 思わぬ事態に睥睨へいげいするアオエールは、周囲の者を冷たく見渡した。


「いつからだ? あいつの周辺で、他に変わったことはないか?」


 戦くケイヒンは、取り立てて報告する程ではないと思えることも伝えることにした。


「家族仲が改善し、愛人数名に金を渡し解放したそうです」


「何だと! 他にもあるのか?」



 その剣幕は激しく、側近や部下達にも緊張が走った。



「孤児院や貧民地区に寄付や炊き出しを行い、人気取りをしている程度です」


「馬鹿な! お前達は今まで、あいつのことを見ていなかったのか? 余計な金を他人に与えず、貧しい者は死ねば良いと思うような奴だぞ。あやつの夫人も同じで、そんな金があれば、贅沢品を買うような節操なしだ。

 別人に入れ替わっているのではないか? どうみてもおかしいだろう?」


 その問いには、スムーズに答えるケイヒン。


「はい。それは既に調査済みで御座います。彼らには不信な手紙や人物の接触は、確認されておりません。

 闇商売の閉鎖には疑問を持ちましたので、身辺を徹底して確認いたしました。

 筆跡鑑定に、歯列や虫歯、身体全体のホクロの位置や服のサイズまで、変化は御座いませんでした」


 アオエールは、それでも表情が晴れない。


「変身魔法の可能性はどうだ? 魔法により体を変えれば、見た目は何とでもなるだろう?」


 それは無理だとケイヒンの代わりに、アオエールの側近の魔導師エイルが答える。

 魔力を体内に取り込むことで、既に200歳を超えても肉体は40代にしか見えない若々しさを保つ彼は、先々代より王家に仕え、今はアオエールの下に身を寄せていた。



「魔法は創造力と観察が必要です。いくらそれらしく見せても、歯形やホクロまでは再現できません。あくまでも表面上になるでしょう。筆跡は訓練でできることもあるでしょうが、元になる物を探すのには奴の邸に入り込む必要があります。

 ですがここ最近の人の入れ替えは殆どなく、半年くらい前から若い愛人が入り浸っている程度です。ベイスチン達は愛人ではなく、客人と誤魔化しているようですが。それと壮年の男女の護衛が二人増えていますが、彼らの傍に常に付き添い、離れることはないようです。


 どうやら危険な目にあって、急遽冒険者ギルドで雇ったとか」


「……(怪しい。けれど確証がない。ならば、もう!)」


 まだ腑に落ちないアオエールは、引っ掛かりがあるようで、ケイヒンに命令する。



「ベイスチンの動きは奇妙すぎる。言葉に出来ないが、絶対におかしい。闇商売の方も、完全に封鎖すれば再開が困難となるから、今すぐ後任を探すんだ。ベイスチンはもう要らない。速やかに葬れ。いいな!」


「はっ、御意に御座います!」



 ケイヒンが頭を下げ退室した後、魔導師エイルに尋ねるアオエール。


「エイルに問う。何らかの魔法で、ベイスチンが操られている可能性はないか? あやつには多くの利益を生み出す仕事を任せている。そのルートを今潰すのは惜しい。

 奴がもし裏切っていたなら、息子を後任にするのは無理だろう?」



 エイルは少し逡巡し答える。

「私の索敵能力では、違和感は感じませんでした。ですがもし、よりレベル上位者が幾重にも保護膜を張り付け、魔法の痕跡を隠蔽したなら、見逃すことはあることでしょう」


 アオエールはエイルが、魔法先進国であるラキリウム共和国の筆頭魔導師だと知っているので、彼より上位者がいると思えなかった。


「心当たりでもあるのか? その人物に」


「いいえ、今のところは御座いません。何よりも変身魔法は、イメージで人物を作り出す繊細なもの。かなりの魔力と集中力が必要です。犬猫ならともかくとして、人間の再現など、神の領域です」


「そうか。ではベイスチンの行動は、心変わりが濃厚か。今さら逃れられると思うなど、ずいぶんと甘く考えたものだ。家族全員の末路も考えず。アハハッ」


「……あやつは元々、気が弱いところがありますからな。所詮は、世襲で仕事を継いでいる苦労知らずです。我ら魔導師や戦士らのように、直接人の生き死をみることもないから勝手に動こうと画策する。愚かとしか言えない」


「確かにな。後任は厳しさを知る者に任せよう。頼むぞ、エイル」


「お任せ下さい、アオエール様。これにて御前失礼致します」


「ご苦労」



 その瞬間、エイルは姿を消した。

「奴の空間転移はいつみても見事だ。他国には魔力があっても、使い方を知らん者が多いと聞く。

 特に最近国王が変わったバラナーゼフ王国は、筆頭魔導師すら魔法が殆ど使えんと言う憐れなものだ。エイルが見破れんのならば、魔法使いや魔導師は絡んでいないだろう。

 ベイスチンは知りすぎているから、面倒でも息の根を止める必要がある。その時は私も確認せねばな」



 くつくつと楽しげな表情をするアオエールに、慈悲の気持ちはない。用済みの家畜でも屠殺する雰囲気だ。




 ルンデラはその様子を記録用の魔道具にうつし取り、情報と共にアンディに送った。これも証拠の一つになるだろう。


「悪党の顔は醜いわね。こんな奴がいるから、悪が世に蔓延るのよ!」



 アオエールとエイルは気付かない。

 人生2週目のヤバイ男に、ロックオンされていることに。

 元々1週目で、既に多くのことに秀でていたアンディは、その能力に上乗せし、とんでもない化け物魔法使いに成長していた。

 さらに弟子や弟妹弟子(その中には大人も幼児もいる)も、エイル並みに魔法を扱える。偏に領地開拓や魔獣討伐などで酷使した結果である。

 戦争のない時代に研ぎ澄まされた技は、激しい実践から遠ざかっていたエイルでは、太刀打ちできないレベルに達していた。




◇◇◇

 その日ラキリウム共和国に、バラナーゼフ王国の国王の来日が予定されていた。

 新国王になり初めての来訪国に選ばれたことは、自分達の国をより重視しているとのアピールになる。



 大統領であるジャバンニも歓迎し、お祝いムードで迎えることになった。


 歓迎を受けたアルリビドは、ラキリウム共和国では珍しい多くの瓶に入った豆油や菜種油、それに加え大量の小麦を土産として渡した。農業大国の肥沃な大地で育った作物の味は高額であるも、ラキリウム国民にも人気があった。


「王位就任おめでとう御座います。我々は友好国となることを歓迎します。それに多くの贈答品も感謝致します」


「こちらこそ快く受け入れて下さり、ありがとうございます。感謝の念が尽きませんよ、ジャバンニ大統領。ラキリウム共和国からは魔道具のランプなどを購入させて頂き、我々も恩恵を受けております。これからも両国の発展を願います。平和な世が続きますように」



 その様子は国民達も魔道具の映写機(テレビのようなもの)で確認し、国交の少なかった国との和平に喜びを見せたのだった。




◇◇◇

 その夜。

 賑わうお祝いムードの中、魔導師エイルとアオエールの騎士数人は、廃工場の空き地にベイスチンを呼び出していた。


「お主は勝手に、秘密のルートを停止したと報告があった。それに間違いはないかな?」


 それに答えるベイスチンは、エイルを真っ直ぐに見つめた。


「ああ。俺はもう嫌なのだ。人の手で他の生物を絶滅に導くのも、それをペットとして人間に保有させるのも。彼らは守られるべきだ。勝手に拐って売る権利などない筈なのだ」


 ベイスチンの言う生物の中には、人間も含まれていたが、その言葉を濁した。



「生意気な、ただの使い走りが一端に。お主の役目は終わりじゃ、死ぬが良い!」


 その瞬間、ベイスチンの腹部を氷柱のような氷の刃が貫いた。


「グハッ、な、何を、す、る…………」


「知りすぎた者は、奴隷にして売るのも危険だからな。心配するな、ベイスチン。お前の家族は声が出ない魔法をかけて、一人残らず売ってやる。お前の妻、娘の家族、息子の家族、使用人全員纏めて拐い、奴隷落ちさせてやる」


 酷く歪んだ笑みで、腹部から血を吹き出すベイスチンに囁くエイル。

 そこにアオエールが姿を現した。


「はぁ、君には期待していたんだよ。ミルエバ渓谷の森に住む、金極鳥の捕獲は見事だった。密猟するにしても警戒心が強く、幻と言われているからね。今も私の家の檻では、つがいの金極鳥が雛を生み出している。コレクターが多くて、儲けさせて貰っているよ。他にも……」



 アオエールがさらに言葉を紡ごうとした刹那、ベイスチンの護衛が駆け付けた。

「ベイスチン様ぁ。どうして私を置いて、一人で行かれたのですか! 私では頼りなかったですか!」


 その声を聞いたかのように、来訪中のアルリビド達がその様子に近づいて行った。


「どうしたのですか、その方は! 腹部に氷の刃が! すぐに治療をしなさい、ダクトル!」


「はい、アルリビド様。必ずや」



 ダクトルは46歳になっていた、ラキリウム共和国の元王子で、現メルクラス・グレナダム男爵の三男である。

 彼もアンディに魔法を学び、元々の剣技と共に治癒魔法を習得していた。


「全魔力を傷口に注げ! “ エクストラリカバリー” 」

 その呪文を唱えた瞬間。

 目映い光が溢れ出すと、ベイスチンの腹部の刃が溶け、傷口が見る間に塞がり出した。


 既にベイスチンの意識は失われていたが、治癒後に頬を叩くと「あっ……」と、声を漏らした。


「痛みはどうだ? 一応治癒魔法をかけたのだが」

「え、ち、ゆ? あれ? 腹の傷が、ない? え! えー!!!」


 ダクトルは微笑んで、成功したみたいだと安堵した。

 それを確認したアルリビドも、ダクトルに頷き返す。


 てっきり死んだと思ったベイスチンは、混乱した後気を失うことに。


 隣国の王族の散歩には多くの騎士が同行しており、ベイスチンに危害を加えた者全員が捕らえられた。



 それにはおまけの映像付きで、アルリビドが魔道具を回し、賑わっている町中を撮影していた様子が取られていた。

 そしてその後不穏な声が、遠くから小さく魔道具に入り込む。

「お主は勝手に、秘密のルートを停止したと報告があった。それに間違いはないかな?」のあたりから。


 次には「何処ですか、ベイスチン様!」と、必死に主を探す騎士の声が。


 尋常ではない様子に、アルリビドの騎士も警戒して周囲を確認し、倒れているベイスチンに出会うことになったのだ。




 この魔道具はこっそりコピーした後、大統領ジャバンニに渡した。もしアオエールの仲間が消去しても、コピーがあるから死角なしである。



◇◇◇

 普通なら人の来る気配に気付いた筈のエイルだが、街はお祭り騒ぎで歓声に賑わい、おまけに人気のない廃工場であることで油断していた。


 いざとなれば空間転移でアオエールを連れ、逃亡を図るつもりだった。


 けれども…………。

 アルリビドとその騎士と魔法使い達の気配を消して近付き、護衛のクルルの出るタイミングを図ったのもアンディの指示で。


 氷の刃に倒れたのは、本物のベイスチンだ。


 ただベイスチンのことを蘇生できるかは賭けだった。

 最悪は怪我でショック死の可能性もある。


 元々大悪人の本人ベイスチンもそれで良いから協力すると言ったから。

 ベイスチンの望みは家族の安全。妻のマーベラのことも、罰を与えても生かして欲しいと願っていた。


「まあ。あんたの奥さんも悪いから、無罪放免はないよ。それで良いなら、ちょっと考えるよ。後は侯爵家の爵位も落ちることになるからね」


「それで良いです。生きていれば、やり直せるだろうから。よろしくお願いします」


「うん、まあ。取りあえず結果を見る為にも、あんたは生き残ってよ。大統領の取り引き材料にもなるからさ」


「はい。何とか頑張ってみます」



 そんなやり取りがあったのだ。

 エイルは何とか、自分だけでも逃走しようとしたが、アンディに周囲の空間座標が歪められ、魔法が発動できなかった。


 結局エイルとアオエール、お付きの騎士達がアルリビドの騎士や魔法使いに捕縛された。魔法使いは詠唱されると危険なので、魔封じの魔道具が手首にはめられたのだ。




◇◇◇

 ベイスチン侯爵の刺殺未遂事件。

 アルリビドは魔道具の音声と、刺された現場の映像を大統領ジャバンニに見せた。


「こ、これは立派な証拠になります。証拠の提供をありがとうございます。それに治癒の魔法まで。重ね重ね感謝します」


 何度かの選挙が行われ、現在大統領であるジャバンニはまだ30代。彼は清濁併せ呑むことができて豪快な、他国から移住してきた元騎士だ。


 アルリビドはベイスチンを助けたダクトルが、元この国の王子で、アオエール達のせいでバラナーゼフ王国に連れて行かれ、偶然保護されたことを話した。

 保護されていなければ、奴隷になっていただろうことも。


「当時子供だった彼に、罪はありません。それに多くの子供達を助けて下さり、ありがとうございました。その、アオエールのことは独自でお調べになったのですか? 素晴らしい捜査能力です」


「子供を助けるのは当然のこと。それに子供達の乗った船には、拐われていた大人もいましたので、捜査と言うものでもないのです。その乗組員達は、子供達を置いて船で逃げましたので、それ以上の詳しいことも分かりませんし。私達辺境の者達は当時に船を持っておらず、追いかけられませんでした。

 ですがジャバンニ殿が感謝して下さると言うのなら、幾つかお願いがあるのですが」


「可能なことでしたら。まず聞きましょうか」



 こうして暫し大統領の執務室で、秘密の会談が行われたのだ。




◇◇◇

 結果として。

 ベイスチンは希少動物や絶滅危惧種生物を密輸、また売買したとして侯爵から子爵へと降爵した。アオエールに脅され拒否すれば、殺されそうになったことで減刑された形だ。

 本当は人身や違法薬物など諸々を扱っていたが、それは隠すことにした。

 あの映像の魔道具の音声でも、ハッキリしたことは話されていないので誤魔化した(話されていてもアンディが改竄しただろうけれど)。



 そしてアオエールは悪質として逮捕された。

 エイルとアオエールの騎士達もだ。


 アンディが彼らに、余計なこと(ベイスチンの詳しい悪事のこと)を話せない魔法をかけたので、秘密は守られるだろう。

 仮に魔道具が解かれエイルが解除の魔法を使おうとも、アンディの方がレベルがかなり上なので、たとえ100年修行しようともたぶん無理である。


「このぉ、揃いも揃って能無しが! 高い金で雇ったのに、クソがぁ!」


 そんな風に近い牢の中で罵倒された、エイルや騎士達の心は彼から離れ、アオエールの悪事を次々を語り始めたと言う。

 その後、魔道具の証拠音声と共に有罪が確定。

 死刑がないので、懲役120年と決まった。他の者も罪に応じた罰が言い渡された。

 火山の噴火により、荒れ捨て置かれた土地を整備して使えるようにすること。

 土の入れ替えや、噴火により飛んできた石の除去など、重労働が続く。土地が使えるようになれば、民に引き渡していくことになる。それを死ぬまで繰り返すのだ。




 アオエールの釈放は絶望的で、捕まっていない彼の部下や仲間達は国を捨て逃亡した。彼の信じていた家族も彼を捨てて、持てる分の財産をかき集め、逃亡したと言う。


「俺を置いて……全員亡命だと! そんな、そんな馬鹿なことあるか! 戻って来い! クソォ!」


「捨てられたんだ。諦めろ」

「そうだ。今まで、良い思いしてきただろう?」

「そんな。こんな結末、嘘だ、嫌だ、イヤだ。俺は大公なのに……」


「今の政府は、爵位は関係ないんだ。俺達と同じだよ」

「そんな…………あぁ、やだぁ」


 ずっと傲慢だったアオエールは、やっと立場を理解し絶望していた。





 この国に爵位はあまり関係はないのだが、いきなり子爵へ降爵したベイスチンに、子供達は責めることをしなかった。却って慰められていた。


「大公に逆らえず密輸かぁ? 脅されてたなら仕方ないよ。逆らってお腹まで刺されて」


「まあ最近の父上は、真面目になってきていたから、許してあげるわ。今までも上位の貴族に監視されて、無理にやらされていたんだろうから」


「ごめんな、心配かけて。駄目な父親で……」


「爵位なんて、良いのよ。もうそんな時代じゃないもの。それより死ななくて良かったわ」


「そうですよ、旦那様。私を残して逝かないで。ぐすっ」


「ああ、そうだったな。すまなかった。ずっと共にいるよ、マーベラ」



 アンディとの裏取引でベイスチンの罪は、爵位の他は罰金で済んだ。破格の待遇だったがそれで済む筈はなく、アンディやトリニーズに呼び出されるベイスチンとマーベラ。




◇◇◇

「取りあえずは成功だな。ご苦労だった」


「ありがとうございます」

「ありがとうございます」


 アルリビドの声に、ベイスチンとマーベラは頭を深くさげた。


 その後彼らは、救護院での生涯の奉仕が義務付けられた。


「でも休暇があれば、家族に会いに行って良いよ。まあ、働き次第だけどね。給金は最低賃金だし、バラナーゼフ王国からラキリウム共和国の辻馬車の運賃も、結構かかるし…………きっと、すぐには行けないよ」



「本当ですか? ありがとうございます!」

「あぁ、なんてことを。嬉しい、です。感謝します」



 彼らは無一文で、この国に連れて来られた。旧アマニ伯爵領で働く者達のように、数か月は食材の援助だけは行われる。

 洗濯石鹸や古着などは、救護院の住み込みの家にあるものを使うことになる。家財道具一式も備え付けられたものは利用できる。


 救護院の仕事は過酷だ。

 朝から夜まで仕事に追われる為、職を離れる者が多いのだ。勤務者の日常は、腰痛・膝痛なんでも御座れだ。

 まだ彼らの立場は要観察で、こんな甘い?刑罰なのも、ジョニーの「チャンスをあげてくれ。一度で良いから」と、助言があったからこそなのは間違いない。



 それでもベイスチンとマーベラは手を取り、喜びあった。

 まだ蟠りはあっても、互いに大事にしたい気持ちは育まれていたから。


 爵位をサベージに譲り、世界旅行をすると行って邸を出て来た二人。行き先は救護院なのだが、その表情は明るいので、家族が心配することもなかった。

 サベージも文官として生計を立てている為、家業は必要としていなかった。


「いってらっしゃい。気をつけて」


「ああ、行ってくる。みんなも元気でな」

「頑張ってくるわ。じゃあね」



 そんなあっさりとした別れだった。

 生きていれば、きっといつか会えると思えば、楽しみでさえあった。


「馴れないことも多いだろうが、何事も経験だと思おう」

「そうね。辛いことも生きてこそですものね」


「ああ、頑張ろう。そして美味しい晩御飯を食べよう」

「私、……お料理無理ですわ」


「俺が作ろう。君は洗濯を頼むよ」

「ありがとう、ございます。旦那様」



 マーベラは思い出していた。

 ベイスチンはあの時に刺され、腹部から夥しい出血が溢れていたことを。それは影で、ジョニー達と見守っていたからだ。


(もう、二度と会えなくなるかもしれない。このまま離れてしまうかもしれない)と、今までの自分の行動を後悔していた。


 ベイスチンの精悍な姿に惹かれ、結婚を受け入れたのは自分マーベラの選択だった。侯爵家は悪い噂があり、父親からは断っても良いと言われていたのだ。

 侯爵側も噂(実は殆どの噂は真実)ごと受け入れてくれる娘でなければ、後で面倒くさくなると思い、それもベイスチンに伝えていた。



 爵位も魅力だったが、殆ど一目惚れだった。お互いが惹かれあっていたことになる。


 

 だからせめて、今度くらいは素直に生きようと思えたのだ。今まで傅かれてきた彼らには、仕事は過酷だろう。

 けれど頑張れる理由もできたので、どうなることか?



 涙を溢し彼を見上げる彼女の微笑みを、暖かく思えたベイスチン。これが後の二人の、良い思い出話に繋がっていくことになるのだった。






◇◇◇

 ミュータルテとメルダは、バラナーゼフ王国に戻った。ベイスチンが刺されてからは、本物のベイスチンとマーベラへと交代していた。


 いつも水晶玉を見ていたせいか、ベイスチン達の入れ替えもスムーズだったよう。


 ミュータルテとメルダ、ヒスイとパールは、元アマニ伯爵領の浄化された土地で作物を作っている。

 ミュータルテとメルダは死亡扱いされているので、彼らはタルテとメルで呼びあっていた。目元だけを変身魔法で以前と真逆の細目にし、印象操作はうまくいったようだ。

 ただ仮に国王に似ていても、葬儀は終わっているので、何となくそっくりさん扱いになっていただろうけれど。


 ヒスイとパールも二人から離れず、付いて行くと言い、共にいるのだった。


「仲間がいるのは良いな」

「ええ、そうですね。心強い」


「ありがとうございます、ミュータルテ様」

「感謝します。ミュータルテ様」

「今はタルテだよ。良いね」


「はい、タルテ様」

「はい、タルテ様と呼ばせて下さい」


「ただのタルテだ。さんはい言ってごらん」


「よろしく、……タルテ」

「た、タルテ……で良いですか?」

「それで良い。よく言えたな」


「今度は私ですね。メルと呼んでね」

「よろしく、メ、メル」

「頑張ろうな……メ、メル!」


 名前を言うだけで、額と脇汗が酷いパールとヒスイに笑いが溢れた。 

  こちらは、まずまずな出始めである。




◇◇◇

 彼らの心配しているオーロラは、遠方にある修道院にて修行中である。来たばかりの絶望した頃とは打って変わり、今はパワフルに活動していた。


「今日も空が青いわ、洗濯頑張ろう。午前中に干さなきゃ」

「私も手伝うわ。芋の皮むき終わったから」

「ありがとうございます、ドランさん。いつも助かります」

「良いのよ。私も来たばかりの時は、たくさん援助して貰ったからお返しなのよ。もし貴女が馴れたら、新しく来た人を気にかけてあげて。それでおあいこよ」


「はい、そうします。必ず」

「うふふっ。まあ、そう力まないで。だいぶん馴れてきたみたいだから、心配してないわ」

「! ありがとうございます。嬉しいです」


 うん、うんと頷くドラン。

 褒められて頬を染めるオーロラは、幼子のようだ。


 ドランはオーロラの教育をする際、彼女の過去の情報を聞き不憫すぎて泣いた。


「親は選べないものね。でもここで踏ん張って、外の世界にも行けることを伝えてあげなきゃ」


 ドランは、オーロラが一人で家事を熟せるようになれば、ここを出て行けるように援助するつもりだ。でもオーロラはドランや他のシスターのことが好きで、離れたくないと思っていた。



 出自を知ってからずっと不安だったし、自分が穢れている存在だと感じていた。だから王籍を抜かれても、何とも思わなかった。


 けれどお母様とお父様(と言っていいのかしら?)が、亡くなった時は、置いていかれたことがショックで、辛くて部屋でずっと泣いていた。

 私も死にたいと思ったけれど、自分で手を下すこともできず、結局は修道院に送られることになった。


 私も本当の娘だったら、「王家の毒杯を希望します」と言って税金で贅沢した罪を償い、すぐに後を追えたのに。でも私にお父様の血が流れていないから、無理に言うことも出来なかった。



「私はどうしたら良いのだろう? 生きていて良いの?」



 相談できる者もおらず、ここに来ても悩むことの連続だった。そんな自分に寄り添い、声をかけてくれたのがシスター達なのだ。


 ゆっくりゆっくりと凍てつくオーロラの心を、暖かなお湯で浸すような声かけは、何度もお湯を取り替えて温度をあげながら彼女オーロラの心を少しずつ癒してくれたのだ。



「お母様。私生きていて良かったです。生んでくれてありがとう」


 もうオーロラには、死にたい気持ちはない。

 いつも神に感謝し、充実した毎日を過ごしている。



 亡き両親ミュータルテとメルダは本当は生きているが、今後はどうなるかはまだ未定である。




◇◇◇

 ダクトルは大統領ジャバンニにより、市民権を獲得した。アンディの要求に答えた形だ。


「ここは貴方の故郷だから、いつ来ても良いのですよ。時々は官邸によって下さいね」

「……ありがとうございます。感謝します。うっ」



 他国で市民権を取ることは、容易ではない。

 けれどダクトルは、表向きラキリウム共和国の市民を救った功績で、特別に獲得することが出来た。


 彼は元の住民と言うことと、優れた治癒魔法を持っていること、バラナーゼフ王国の使節団の一員だったことなどといろいろあるが、一番は共和国に巣食う悪党の撲滅に、アンディの力を貸すことにした為である。

(本来の力は隠し、影で悪そうなのをタコ殴る予定)





 アンディもダクトルが市民権を持っていれば、商売のことで役立つと思ったのだ。


 この事で市民から、不満は出なかったようだ。

 概ね歓迎されたのは、使節団の一員である影響もあったかもしれない。








「父上、母上、兄さん。やっと挨拶に来られました。僕は今幸せですよ。家族は今一緒じゃないですが、子供もいるんです。生かしてくれて、ありがとうございます」


 共同墓地に葬られた家族に、花を手向け感謝するダクトル。今度は家族で会いに来ますからと、感謝してからアルリビドの元へ戻って行く。



(嫁と孫かぁ。頑張ったな、うちの末っ子っは。一人は辛かっただろうな。たくさん泣いたのだろうなぁ。よくやった。生きてるだけでも満足だったのに、立派にやってるようだ。ぐずっ)

(一先ず安心ね。ちゃんと自分で歩けるようになったのね。あんなに大きくなって……うっ)

(良かったぁ。あのチビちゃんが父親に、なぁ。すごいなぁ、やったなぁ。ひぐっ)



(じゃあ、もう行くか)

(ええ、十分ですわ)

(そうだね。これ以上は未練になっちゃうもんね)


(((ダクトル、元気で)))




 ダクトルをずっと心配していた魂は、彼の晴れやかな顔を見て、満月の夜に天に昇った。


 同じ満月を見ていたダクトルは、亡くなった家族の声が聞こえた気がして、いつの間にか泣いていた。


 その涙を共にラキリウム共和国に来ていた、メルセデスが心配する。


「大丈夫か? 誰かに虐められたのか?」


 まるで幼い子のことのように、心配しているメルセデス。


「平気ですよ。目にゴミが入っただけで」

「強がるな。泣けば良いんだ。ほらおいで」



 結局メルセデスの胸に抱かれて、声をあげて泣いていた。メルセデスは理由は分からないが、直感で泣いた良いと判断し泣けるように誘導したのだった。



 そんなメルセデスだから、ダクトルは素直に生きていられた。きっとこれからも。

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