07.野蛮なるオーク転生⑤
「ほれぇっ、まだ八回じゃないか! さっさと勃ち上がれぇええい!!」
野太い女性の咆哮が、洞窟の奥から盛大に反響してくる。
帰りたい。今からその内容を見なければいけないのか。
[……早く終わらせましょう]
ミカゲも鬱々しげな声音でテツオを急かす。
映画館の巨大スクリーンに、これからオークの性行為が映し出されるのだ。
気分は乗らない気持ちもよくわかる。
「腹に力入れろぉ!!」
パンパンと響く洞窟奥へ、テツオは怖気を引きずりながら足早に進む。
そうして間もなく、動物の毛皮を暖簾のように下げた部屋に辿り着いた。
その直後だった──
「ぬああああああん!!」
部屋の中から地鳴りのような男の叫びが盛大に打ち上がった。
「もう我慢出来なひぃいいいん!」
暖簾越しに、情けない絶叫が爆発する。
ギシギシと何かが軋む音を響かせた後、洞穴内が静まり返り、耳に痛いほどの沈黙に包まれる。どうやら行為は終わったようだ。
[ははははっ、やば、おもろ。そんなことある? そんな声出すことある?]
[何笑ってるんですか? 早く終わらせて下さい]
男の果てる声音にテツオが腹を抱えていると、ミカゲから冷たい言葉が飛んだ。
こういうのはやはり苦手らしい。機嫌を損ねてしまう前にさっさと中へ入ろう。
「おっと」
その前に、暖簾に隙間を作って中を伺う。間取りを把握しておきたい。
動物の骨で組み上げられたベッドが一台、部屋の中に堂々と鎮座している。
その周囲にはオーク男性が四人、死んだように倒れていた。
しかし、その男たちの股間が視界に入った途端、テツオは目を疑う。
[え……モザイクかかってるんだけど?]
[こちらでテツオさんの脳に干渉し、フィルターをかけました]
淡々とミカゲがそう告げる。
確かに男のイチモツなど好き好んで見たいものではないが。
[そんな機能あるの? じゃあ最初の方に見た人間の生首とかにモザイクかけてよ……]
[いいから、早くして下さい。門番が戻ってきちゃいますよ]
ぴしゃりと心を閉ざしている様子。事務的な仕事モードに入ってしまったのか。
仕切り直し、引き続き部屋の中を覗いていると──
[いたいた]
部屋の隅で三メートルの巨体が蠢いているのを発見する。
ビベンチョだ。タバコに火を付け、部屋の壁にもたれかかって倒れた男たちを呆れ交じりに睥睨している。
「あんたら、揃いも揃ってアタイを満足させられなかったねぇ? オシオキが必要なようだねぇん」
ガハハハっと豪快に笑い、タバコを指で弾くその姿。
やはりモザイクがかかっている。しかも大きい。ビベンチョの胴体を丸ごと四角にフィルタリングされている。
[凄いッ、モザイクから手足が生えてロボットみたいになってる!]
[薄めますか?]
[このままで良いッ、ありがとう!]
生前、テツオはアダルトビデオにモザイクがかかっていることに憤りを感じていた。
卑猥なものとして販売してる商品を、なぜ更に濁す必要があるのか。刑法175条を緩くしてくれる政治家が出てきたら全力投票しよう。そう思っていた。
しかし、今はただただ助かる。行きたくない。モザイクの向こう側。
「ふぅ……」
緊張を外へ押し出すように息を吐き切り、テツオは意を決して暖簾を押して部屋に侵入した。
「失礼しますッ、ビベンチョ様!」
男の一人に掴みかかったビベンチョの背中に、勢いよく声をかけた。
すると、ぬらりと、大きな頭がこちらにゆっくり向けられる。
迫力が凄い。テーマパークのアトラクションの中にいるような奇妙な感覚だ。
「あぁん? 誰だぁいあんた。ダーナンがアタイの部屋で何をしてるんだぁい?」
嫌悪感を露わに、ビベンチョはテツオを鋭く睨み据える。
恐ろしい。顔にもモザイクをかけてくれないと腰を抜かしてしまいそうだ。
「話をしに──」
怖気で詰まる喉をなんとか震わせて、会話を試みようした。
そのとき、ビベンチョの片手がテツオに向けて掲げられた。
「モロン、ボロン、ハムダオイブルンボン」
呪文を滑らかに口にされると、テツオはふわりとした浮遊感を覚える。
「──ッ!?」
浮いている。肉体が。
テツオの肉体だけ重力が無くなってしまったかのように。
[まずいです!]
ミカゲの悲鳴と同時、テツオの肉体が加速し、豪速で天井に向かって激突する。
「があああああああッ!」
背中と頭が激しく打たれ、絶叫が腹から押し出される。
間髪入れず、浮いた肉体は急降下して頭を地面に激突。
休む暇を与えず、左に右に肉体を壁にぶつけられ、ピンボールのように部屋中を跳ね回る。
「やば……い……」
呼吸もまともにできず、受け身も取らせない。
あまりにも容赦がない。話をする前に気絶寸前だ。
[テツオさんッ、緊急脱出を実行します! あなたの魂を天界に戻します!]
[ダメだ……まだ大丈夫だから……]
焦るミカゲとは反対に、いっそテツオの心は冷静になってゆく。
人間の身体なら死んでいてもおかしくはないが、オークの肉体は丈夫な上、痛みに鈍感らしい。強い衝撃に脳が揺さぶりを受けはするが、耐え難い痛みではない。
「このまま殺してやろうかぁい? アタイの楽しみの邪魔をした報いを受けなよぉ」
ビベンチョの口からまた呪文が紡がれる。
その途中、テツオは盛大に声を上げた。
「おお、ビベンチョよッ、この父を! お前はまた殺すのか! それも当然だろう!」
大仰に両手を広げて見せて、舞台に上がった俳優のように古臭い芝居に入る。
すると、ビベンチョが呪文の詠唱を中止し、ピタリと動きを止めた。
それと同時、テツオの肉体が地面に打ちつけられる。
「あぁん? 頭がおかしくなったのかぁい?」
ヨロヨロと立ち上がるテツオをせせら笑うも、わずかな動揺を感じ取れる。
ここだとばかりに、今度はテツオがミカゲの解析で得た知識を詠唱した。
「我が娘、ドルンドルン・ボボンゾ・ビーグンゴ・キモイラ・ハナカラ・ボーンボーロ•グルルンガ・ベベドンド・チョマカラ・ズブブーン・ゴバゴラ・フンジャカ・ドドメラ・ガーンドロス・ブリブリンバ・ザムザムドゥ・ゴンボゴンボ・チャラパパ・ドローカード・ブルーアイズ・ホワイトトカゲ・ムクムクボーロ・オナカグーグー・ドドドドラン・バババランガ・ベチョベチョキモスギ・ビベンチョよ」
そのやたらと長い名称を口にした途端、ビベンチョが手で口元を押さえて震え出す。
「な──ッ、アタイの真名をどうして!?」
「私が名付けたのだから、当然、知っている」
この世界では強力な呪術を行使する際、対象の『真名』が必要になる。ゆえに、オークは子供に長い名前を授け、家族以外には秘匿するという。
ビベンチョにとって、父親しか知り得ない自分の真名を口に出されたのだ。
その衝撃たるや凄まじいらしく──
「そんな……」
驚愕を露わに、ビベンチョはテツオから一歩後ずさった。
死ぬ気で覚えておいてよかった。内心でそんな安堵に胸を撫で下ろし、テツオは再び腕を広げてビベンチョに歩み寄る。
「知っているぞ。お前が父であるこの私を殺し、同胞たちを言いように手懐けていることも。避妊の呪術を自分に施し、毎夜のように快楽を貪っていることも……」
追撃とばかりに、集落にいるオークでは知り得ない事実を暴露し、テツオはその場で涙を流す。そして、いっそわざとらしく顔を覆ってひざまずいて見せた。
「嘆かわしい……私は育て方を間違えた……」
その言動を見て、ビベンチョは手元をわなわなと震えさせはじめる。
「パパ!? 本当にパパなのかい……? そんはずぬわぁい……だって、パパは──」
「私の最も得意とする呪術を忘れたか? お前に殺される間際、この若いオークの肉体に〈憑依の呪い〉を施し、今日結実したのだ!」
打ち込むように言うと、ビベンチョは恐怖に顔を引き攣らせた。
「そんなことがん?……でもぉ、確かに死ぬ前に憑依すればぁ……」
「この憑依の呪術を、私はお前に向かって散々と振るっていたな……後悔しているのだ……お前を支配してしまったことを……」
ミカゲが人員を割いて解析してくれたビベンチョの歴史は、切り裂かれるような悲しみを帯びるものだった。
遡ること二〇年前、ビベンチョの父親は強力な子孫を残すため、〈トロール〉という巨大にして屈強なモンスターの女と交配して、ビベンチョをこの世に産み落とした。
その父親の狙い通り、ビベンチョは一五歳になった頃にはすでに三メートル近くの体躯に成長し、ウォーリダンが束になっても叶わない腕力と類稀な呪術の才を合わせ持つ恐るべき子供に成長を遂げた。
しかし、そんな優れたビベンチョに対する父親の態度はひどいものだった。
我が子としての愛情はなく、憑依の呪術でビベンチョの肉体を人形のように操り、オークたちを守る〝生物兵器〟として利用していたらしい。
「お前に愛情を注がなかった。我ら同胞の生存のため、お前に優しい言葉ひとつかけられたなかった……」
「パパ……」
ビベンチョはドスンっと尻餅をつき、産まれたての子鹿のようにフルフルと全身を震えさせる。
[凄い……想定より信じてくれていますね。テツオさんの演技力の賜物です]
頭の中でミカゲの賞賛が響くも、突如、ビベンチョが激しく首を横に振りはじめた。
騙されるなと、自分を奮い立たせているような力強さだ。
「パパ……覚えてる? アタイがパパに貰った最初のプレゼントをぉ」
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