第9話 アイリスアウト/ただいま

 医務室のベッドで、ドルはひとりうずくまっていた。ミザールに、ライラから貰った大事なマントを奪われてしまったことは、確かにドルの心に大きな穴を開けた。ドルの唯一の精神的な支柱は崩れ去り、再び以前のように勇敢になれるのかもわからない。だが、今はそれ以上に心配していることがある。ハンターのことだ。


 先程、意識を取り戻した時に聞いた。何と、マントを取り返すためだけに一人でうたかたの森へミザールを追いかけて行ったらしい。なんという無茶をするのか。


 戦ったからわかる。あのミザールは普通ではない、少なくとも彼一人の手に負える存在ではなかった。自分のせいで人類にとっても大事な彼の命を危険に晒してしまった。何が「ボクが守ってやらないと」だ。情けない。ハンターの安否への不安と、自分の不甲斐なさで今にも押しつぶされそうだ。だが、心身共にこのような状態では、きっとどこに行っても役に立たないだろう。今はただ、待つしかなかった。その状況が、ドルをより一層惨めにさせた。


 ドルはただひたすら待った。一時間、二時間と時が溶けていく。だが、待てども待てども音沙汰はない。日が沈み、また今昇ろうとしている。悪い考えばかりが、頭の中をぐるぐると回る。鼓動が早まり、ひどい寒気がする。冷や汗が止まらない。まるで心臓に冷たい重りをいくつもぶら下げたような、今にも叫びたいような心持ちだった。だが、そんなことをする資格すら自分には無いのだろう。


 また時が過ぎていく。ぼんやりと濁った頭のまま、白んでいく空を眺めていると、突如、聴き慣れた声が医務室に響いた。


「ドル……!まさか寝ていなかったのか?」


「コウかニャ。……こんな状況で、のんびり寝てるわけにはいかないニャよ」


 医務室を訪れたコウは、ドルの寝ているベッドに歩を進める。


「こんな状況だからこそ、しっかり睡眠を取らなければだめだ。治るものも治らないぞ……ドル?」


 ドルの瞳は、今にも決壊してしまいそうな涙の海で溺れていた。所々裏返った声でドルがぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ。


「コウ……ホント……ごめんニャ。ボクが……弱っちいばっかりに、みんなにも迷惑をかけて……旦那まで、危険に晒して……ッ!もしかしたら、死んじゃってるかもしれない……!ボクの、せいで……!」


「ボクなんか……騎士失格ニャ……身の丈に合わないことをしようとしたから、きっと……きっと、バチが当たったのニャ……!きっと、マントを取られたのだって


「ドル」


 ドルの吐露を黙って聞いていたコウが、ついに口を挟む。その圧を前に、ドルは何も言えなくなってしまった。


「そこから先を話すことは、この僕が、騎士団長として許さない。ライラが、本当にそう思って君にマントを渡したと?」


「師匠は……そんな嘘つかない」


「そうだ。ライラだけじゃない。この騎士団の誰も、君が騎士に相応しくないなんて、脳裏によぎったことすらない……!」


「コウ……!」


「君の気持ちは察するに余りある。君がそこまで自分を責めるのならば、反省すべき点も確かにあったかもしれない」


「だが、反省と自らを虐げることは全くの別物だ。これ以上君自身を、そして、君のことを信じ、託した者たちの思いを蔑ろにするのはやめるんだ」


「…………!!」


 ドルの瞳は、ついに決壊した。熱い涙が止めどなく溢れてくる。


「ごめん……ごめんニャ……」


「それと……ハンター君は無事だ」


「えっ」


「報告が遅れたことで、余計に君を追い詰めてしまった。すまない。寝ている君を起こすのは良くないと」


「トランシーバーの通信可能範囲に入って新しく報告が来たのが6時間前だ。休憩を最小限にして全速力で向かっているそうだから、そろそろ着く頃だろう」


「ドルちゃん!!!!!」


 コウが言い終わってすぐに、ハンターの声が医務室に響く。ドルとコウが視線を向けた先には、満身創痍のハンターが腕でドア枠に寄りかかるようにして立っていた。よろめきながらもおぼつかない足取りでドルのベッドに近づく。


「ドルちゃん!!取り戻してきたよ、マント!!!!!」


 ドルによく見えるように、目の前でしっかりとマントを広げて見せた。その表面には、一点の傷も、ほつれも見られなかった。そのまま、ドルの首にマントを結ぶ。その結び目はあまりに不格好だったが、しっかりと硬く結ばれていた。


「無事で……!無事でいてくれれば……それでよかったのに……!まさか本当に、取り返してくれるなんて……」


 ドルの顔は、すでに涙やら鼻水やらでぐしゃぐしゃだった。もはや拭うことすらしていない。


「本当、なんて無茶をしたのニャ……!!顔なんてこんなにボコボコになって……!」


「え……あ、これはその……」


 言い淀むハンターを、ドルは思い切り抱きしめた。折れた骨が軋むが、今はそんなこと、どうだっていい。


「おかえり……!おかえりニャ……!!本当に無事で良かったニャ……!!」


「えへへ。ただいま、ドルちゃん!」


 優しくドルを抱き返す。服が涙やらでぐしょ濡れになってしまったが、今はそんなこと、どうだっていい。


「ボクの大事なマント……取り返してくれて本当にありがとうニャ!」


「なんか、体が勝手に動いちゃってて。でも上手くいって本当に良かった」


「……ま、だいたい俺のおかげだな」


 二人の後ろで腕を組みながらにやにやするベクターを、コウがじとりと睨みつける。


「……ベクター。経緯はあらかたさっきの報告で聞いたが。どうしても腑に落ちないことがひとつある」


「お?なんだ?」


「なんでハンター君を発見してもすぐ助けなかった?ただ黙って見ていたのか」


「あ……いやぁ〜、いい修行になるかと思ってよ」


「危険すぎるだろう!!!」


「あ!!!!!!!用事思い出した!!!!!じゃ、俺はこれで……」


「待て!!!!!!!!逃すか!!!!!!!!」


 ベクターを追って早歩きで部屋を出ていくコウを顔を手で覆いながら眺めるベガは、その矛先をハンターに向けた。


「はぁ……まあとにかく無事でほんっとうによかったけど……後でお話があるので治療が一通り済んだら私の部屋に来なさい」


「はい……本当にご迷惑をおかけしました……」


「石碑も元の場所に戻さなきゃだし、黒いミザールの死骸も回収に向かわせないと……巣から回収した物品の整理も……書かなきゃいけない始末書も報告書も山のよう……はぁ」


 ハンターはぶつぶつ言いながら部屋を出ていくベガの背を見ながら、今から自分が受けることになるであろうお仕置きを想像し、覚悟を決めるのだった。


                 ー続くー

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夢幻龍星譚《ドラグスター・ドリームス》 セイ @kS8ZwBXb

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