第13話 千代島美奈子

「……祐輔、変身の時に落としたスマホ持った? なら行きましょ」


 モハステチケスイマコが静かに言った。


「……うん」


 千代島さんをおんぶした西山が小さく頷く。


「あの大勢の悲鳴を聞いた? さすがに騒動を聞きつけられたわね、家の回りに群がってんじゃないかしら」

「……」


 モハステチケスイマコは奥の部屋を見た。


 と西山はゆっくり、千代島を背負って玄関に向かう。


「ちょっと聞いてた? 大勢がいるんだから顔を隠しなさいよ」

「えっ、ああ……」


 西山は足元に落ちていた布で顔を隠した。


「裏から出ましょ、さっき突き飛ばされた部屋に扉があったわ」

「よし」


 廊下の奥へと走っていく。


 裏口から外へ出ると、花壇のある小さな裏庭に出た。


「上よ、屋根伝いに行きましょ」


 モハステチケスイマコが隣家の屋根を見上げる。


「わかった」


 西山は隣家の屋根目掛けて飛んだ。


 屋根に着地し、身をかがめ振り向くと、四月一日家は乱闘の騒音で近所中の人が野次馬になって集まっている。


 集まった人たちは、この時やって来たパトカーに注目して、西山の事は気づかなかった。


 その間に、西山は屋根伝いに逃げていく。パトカーからは、飯島が降り立った。


   ◇


「おーい、マスター開けてくださーい」


 西山は叫んで、恵祐カフェの裏窓を叩いた。


 居間で座布団に座ってテレビを見ていたマスターが、驚いて窓に駆け寄る。慣れた手つきで、前脚で鍵を開けた。


「助けてください、病院に行けなくて」

「……ダメだな」


 マスターは背負われている千代島を、一目見て言う。


「もうこの怪我を治せない、あきらめるしかない」

「……何言って……あなた方は体を修復できるんですよね」

「人体の方はな。見ろ、本体に傷が入っている、こっちは治せない」


 マスターは小さく首を振った。


「本体?」

「お前達が言ってる、怪卵の事だ」

「……」


 西山は固まって動けなくなった。


「とりあえず、入れ」


 そう言ってマスターが引き戸を開け、台所へ消えていく。


 西山は靴を脱ぎ、窓から中へ入った。そこへマスターがブルーシートを咥えて戻って来る。


「床に敷け、その上に寝かせてやれ」


 ポイっとブルーシートを投げ渡した。


「はい、わかりました」


 西山は言われるままに、ブルーシートを敷いていく。


 なんかちょっと、扱いが酷くないか……。


 西山はせめてもの想いで、丁寧に敷いていった。それから千代島をゆっくり、ブルーシートの上に寝かす。


 千代島は、小さな呼吸を苦しそうに必死に繰り返していた。


「西山、初仕事で大変だったな、ンイナーニラーがあるとすれば、全国から捜査員が派遣される。坊主はもう家に帰れ」

「ンイナーなんとかってどんな爆弾なんですか?」

「……ンイナーニラーは生命兵器だ。体を爆弾に改造して、仲間の振りをして紛れ込み爆発させる代物、悪魔の発明だ、くっ」


 マスターが牙をむき出す。


「そんなのどう見分けるんですか」

「ない、そのために我々は滅びかけている」

「……」


 西山は言葉を失った。


「幸運だったのは、自力で起爆できない状態だという事だ。さすがに起動したままではゲート通過時にバレてしまうからな、……それでも奴らの身分偽造が見抜けないとは、大失態だ……本局め……」

「……」


 ……。


 西山は意味が分からないが、黙って聞き流した。


「この場合、ンイナーニラーは自身の場所を発信し、奴らしかわからない信号で位置を知らせるようになっているだろう……接触されれば終わりだ」

「じゃあ、どうやって僕らは見つけるんです」

「そんなもの、街中をしらみつぶしに探すしかない……なぁに、飯島がうまくやってくれるだろう。そのために特災課に入り込んだんだ」


 マスターが小さく微笑む。


「……」


 西山が俯いて、黙り込んだ。


「ねぇマスター、変身を解きたいんだけど、服を借りれないかしら?」


 モハステチケスイマコが尋ねる。


「ああ、たくさんストックしてある。持ってきてやろう」


 マスターが近くのタンスを前脚で開けた。中に顔を突っ込んで服を咥える。


「……大丈夫ですか、千代島さん」


 西山は千代島の顔を覗き込み、優しく尋ねた。


「ううん、見てわからない? 馬鹿ね」


 千代島は小さな消え入りそうな声で言った。


「……そりゃそうだね……ごめん」

「ちょっと、元に戻ってみるね」

「え」


 と千代島の顔がだんだんと人間に変わっていく。


「ほら、これ着ろ」


 マスターが咥えた服を西山に投げ渡す。白いシャツと黒の短パンだった。


「えっと、千代島さんのはありますか?」


 西山は服を持って、チラチラ千代島の体を見て尋ねる。


 西山の目が千代島の体に釘付けになった。


 千代島の体は完全に元通りになっていない。肌は黄色のままだし、尻尾もある。


 半分、怪人の体のまま変化が止まっていた。


「だめ……限界みたいっ……」

「無理するな」


 マスターが息を切らしている千代島の傍に座る。


「祐輔、体を戻すわよ」


 モハステチケスイマコが言うや否や、西山の体がきちんと人の体に変わっていく。


「おおっ」


 慌てて股間を隠し、服を素早く着ていった。


「おい、何かしてほしい事はあるか?」


 マスターも千代島の顔を覗き込んで、優しく尋ねる。


「まず、水が欲しいな……」

「持ってきてやろう」

「あと、ちゃんと体を戻して、宿主に返したい」


 ビクッと、マスターの鼻が動いた。


 千代島は自分の体をじっと見つめている。


「手伝う奴がいない、ンイナーニラーが最優先だ」


 マスターが言葉に抑揚をつけず言った。


「ああ……そうね……」


 千代島が悲しそうな眼をして、天井を見つめる。


「……」


 ……何の話だ……。


 西山は意味が分からなくて黙っていた。


 ……千代島さんがしてほしい事ならっ、聞かなくちゃ。


 西山の脳裏に母の姿が思い浮かぶ。


「なんです、宿主に返したいって、何の事を話してるんですか?」


 西山はマスターに尋ねた。


「……俺達が死ぬと宿主の意識が復活する。その時の宿主のために、体を元通りにして返してやりたいと言ってるんだ」


 西山が不可解な顔でマスターを見つめた。


「ふんっ」


 マスターが鼻で笑った。そして水を取りに台所へ向かう。


「……私のせいで危険な目にあわせてごめん……」

「え ああ……」


 西山は千代島を見つめた。


「僕こそ、守れなくてすいません……」


 千代島が薄く笑った。


「……この宿主はね、家出してた個体でね……私がこの世界に来た時、行く当てもないみたいで夜中に路上に座ってた……隙だらけだったから、ここしかないって襲ったの……」


 千代島が目をグッと瞑る。


「前にさ、西山君、私達の事を人殺しって言ったよね、ホントにそうだよね……私、生きたいからって、勝手に取りついて……可哀そうなことしちゃってた……私と違って家族も殺されてなかったのに……」


 西山は俯いて、目をキョロキョロさせた。


「いえ、そんな責めるつもりで言ったんじゃないです……あの、えっと……千代島さんも生きててほしいですっ」


 西山は語気を強めて言う。ぐっと千代島の顔を見つめた。


「ううん……ずっと罪悪感があったんだ……だから、これで良かったのかも……」


 千代島はうつろな瞳で西山を見つめ返す。


「そんなっ……」

「携帯には、親からの通知がたくさんあったっけ……それを鞄ごと川に放り投げたの、それ以来、記憶喪失の子と偽って孤児院暮らし……友達もできたし、今まで楽しかったな……」

「……これからは……もう、これからはもうないんですか?」


 西山も消え入りそうな声で尋ねた。


「最初はずっと、宿主の事が気になってた。このまま寄生して人生を奪って良いのかって、ふふ、悪いに決まってるのにね……」

「いや、そんな……そんなこと……」


 西山は俯いて自分の膝を見つめる。


「……私、捜査員になったのは、罪悪感があったから、なにかしたかったんだ……そだから……私が死んで、ちゃんとした体で宿主に返せたら……って思ったんだけど、かわいそうでならないや……」

「自分が死んじゃうことは良いんですか?」


 西山が早口で尋ねた。


「……え?」

「僕はそれが悲しくて……あの、僕……」


 うつむいたままぐっとズボンを掴んだ。ぐっと口を一文字に結ぶ。


「僕、あなたの事が好きで、だから、それが悲しくて……」

「……」

「……僕は……あなたの優しいところ好きですよ……自分が死んじゃうことよりも宿主の事を心配してる、そんなあなたが好きです……笑顔に一目ぼれしたんです、だから、千代島さんにはずっと笑っててほしいです……」

「……そんなことないよ……いつの間にか忘れちゃってたの。宿主の事なんて、いつの間にか私の体とおもって行動してた……笑顔も、裏ではそんな笑顔なの……」


 千代島がパッと西山から目を逸らした。


 その時、マスターが清涼飲料水を咥えて戻って来る。


 ポイッと清涼飲料水を投げた。ペットボトルが千代島の枕もとに落ちる。


「西山、真っ直ぐ家に帰れ、飯島によると怪人出没による外出禁止命令が出るそうだ」


 千代島は震えが止まらない手でペットボトルを掴み、顔を斜めにして零れないようにちょろちょろと飲んでいった。


「祐輔、ここで最期まで千代島さんといたいんでしょ?」


 モハステチケスイマコが優しく言う。


「……あの、居たいです……迷惑でなければ、ですけど……なにかと手伝えますし……」


 西山は千代島と、マスターを交互に見た。


「手伝う事なんてない、このままゆっくり力尽きるだけだ。宿主もこの体じゃすぐに死ぬ」

「冷たい言い方ね、あなた」


 モハステチケスイマコがマスターを睨んだ。


「ふんっ、俺も悲しいさ。でも慣れっこだからな。こうなることは捜査員なら覚悟していたはずだ」

「一緒に居させてあげても良いじゃない」

「好きにしろ」


 マスターが座って、後ろ足で体を掻き始める。


「……そうだ千代島さん。体を元通りに戻す手伝いって具体的に何をすれば良いんですか、僕にできる事ならしてあげたいんです」


 西山は少し考えて、千代島に尋ねた。


「……」


 千代島は、西山を見たまま黙り込む。マスターも西山の顔を見つめて黙り込んだ。


「祐輔、生成にはね、生成する動物を食べて取り込む必要があるのよ」


 あまりに皆で黙っているので、モハステチケスイマコが話し出した。


「似た動物を取り込む?」


 西山は話し出した左手を見る。


「この中途半端な修復からみると、データが無くなっちゃったみたいね。人間を食べて復元構造を取り込まないといけないの」

「……じゃあ、人間を食べさす必要があるってのか?」

「もしくは人間に寄生した、私達でも可よ」


 モハステチケスイマコが、すまし顔で西山を見た。


「つまり、僕の一部を食べさせればって事か」

「ふざけないでよ、私達の修復はどうするの、おバカさんね」


 モハステチケスイマコは、やれやれといった風に目を瞑ると、ぱっちり開けて話し出す。


「祐輔、よく聞きなさい、トシキチイスコチトかンイナーニラーよ。殺して、体の一部を持ってきて千代島さんに食べさせてあげたら?」

「……」


 西山が目を見開いて、左手の目玉を見つめた。


「やめておけ、小僧に何ができる」


 マスターがつぶやくように言う。


「……」


 西山が俯き目を瞑った。


 そうだ、あんなのと戦って、殺して……なんて……。


「早く帰れ、妹がいるんだろ。避難していろ」

「……」


 西山はマスターを見る。そのあと、ゆっくり千代島さんを見た。


「西山君やめて、そんな事、危険すぎる……」


 千代島が弱弱しい声で言った。


「……、……はい……わかりました」


 西山が力なく立ち上がった。


「なによ、祐輔ならできるわよ、任せなさいっ」


 モハステチケスイマコが、自信満々にしゃべりだす。


「おい何言ってるんだ、やめろよ……」

「……祐輔……なによ」


 モハステチケスイマコが悲しい目をして黙り込んだ。


 西山は目に焼き付けようと、寝ている千代島をじっと見つめる。


 そんな西山に、千代島は優しく微笑んだ。


「西山君、もっと早く話ていればよかったね、もっと仲良くなれたのにね……私を、好きなんて、嬉しかったよっ」


 千代島の言葉に西山の体が、電撃が走ったみたいに震える。


「さよならっ」


 逃げ出すように、西山は走り去った。


「今回は初めてで戸惑っちゃっただけよ。今度は負けないわ、千代島さんのためにしてあげましょうよ」


 モハステチケスイマコが目をグッと瞑って走る西山に言う。


「やめろよ、無理だよ」


 瞑ったまま西山は頭を振る。


「なんで無理なのよ、情けないわね」

「……怖いのに立ち向かっただけでもすごいって褒めてくれよ、あれが限界だ……」


 西山は痛む体をさすった。痛みは引かず、鈍痛はずっと苦しめていた。


「それに千代島さんも望んでない……」

「……じゃ、何で悔しがってるのよ」


 モハステチケスイマコが尋ねる。


「……」


 西山は答えれなかった。

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