第29話 君にしか見せない僕
駅前のカフェを出た俺と陽菜は、ショッピングモール内の服屋に立ち寄っていた。
店内にはさまざまなテイストの服が並んでいたが、陽菜が手に取るのはジャケットやスラックス、シンプルなデザインの
シャツなど、ボーイッシュなスタイルばかりだった。
「やっぱ、そういうのが好きなんだな。……たまには、女の子っぽい服とか着てみたらどうだ?」
何気なくそう言ってみると、陽菜は手にしていたグレーのパーカーを一度戻し、こちらにちらりと視線をよこした。
「だって、僕は“女の子らしい”って感じの性格じゃないし。こういう服のほうが落ち着くんだよね」
そう言って、鏡の前に立ち、紺色のジャケットを体に当ててみせる。
だがふと、陽菜は鏡越しに俺の方を見たまま、少し意地悪そうに笑った。
「もしかして……僕が、女の子っぽい服を着てるの、見てみたいの?」
「いや、別にそういうわけじゃ……! ただ、前に見かけたときも、いつもこんな感じの服だったなって思ってさ」
「ふーん……そっか。冬馬には、もう“いつもの僕”見せちゃってるもんね」
そう言って、陽菜は手にしていたジャケットを戻すと、すぐそばのラックにかかっていた淡いクリーム色のワンピースに目を
留めた。
「……じゃあ、冬馬にだけ、特別に見せてあげる」
そう言ってイタズラっぽく笑ったかと思うと、ワンピースを手に取り、試着室へと入っていく。
その後、俺は試着室の前の椅子に座りながら、スマホの画面を眺めていた。布一枚隔てた向こう側で陽菜が着替えてい
ると思うと、なんだか妙に意識してしまい、目を逸らすように画面を見つめ続けた。
──数分後。
「……お待たせ」
そう言って、カーテンの向こうから陽菜がそっと姿を現した。
その瞬間、思わず息を呑んだ。
柔らかな素材のワンピースは陽菜の細身の体にふんわりと馴染み、耳元までのショートヘアが軽やかに揺れるたび、彼
女の横顔のラインがやけに綺麗に見えた。普段の“王子様”のような凛とした雰囲気とはまるで違う、少女らしい柔らかさ
がそこにはあった。
「……どう? 変じゃない?」
少し不安そうに首をかしげる陽菜に、俺は言葉を選ぶ間もなく答えていた。
「……すごく似合ってる。正直、驚いた」
陽菜は目をぱちりと瞬かせ、すぐに顔を伏せて頬を赤らめた。
「うそ……そんなの言われたら、照れるじゃん」
「いや、本当に。いつもの格好もいいけど、こういうのも……すごく、いい」
「……なんか僕じゃないみたいだけどね。でも、ありがとう」
そう言って、陽菜はくるりと背を向け、ワンピースの裾を軽く押さえながら試着室の中へ戻っていった。
(……褒められちゃった。こんな格好、自分じゃ似合わないって思ってたのに)
陽菜の胸の内は、不思議な温かさで満ちていた。冬馬のまっすぐな言葉が心の奥にじんわりと染みて、自然と口元が緩
む。
(よし……この服、こっそり買っちゃお)
決意を胸に、陽菜はワンピースを自分のいつもの服と一緒にカゴに入れた。
試着室を出ると、冬馬が声をかけてくる。
「あ、買うんだな?」
「うん。いい服、見つかったから」
陽菜は、そっとワンピースが見えないようにカゴの中を隠しながら、レジへと向かった。
その横顔はどこか誇らしげで、ほんの少しだけ照れているようにも見えた。
──ワンピースを褒められた、ただそれだけのことなのに。
それが、陽菜にとっては今日一番の嬉しい出来事だったのかもしれない。
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