第30話 ナンパ
服屋を出た俺と陽菜は、いくつかの雑貨屋や本屋をふらりと巡り歩いたあと、ショッピングモール内の休憩スペースでベン
チに腰を下ろしていた。
人混みの熱気と歩き疲れもあって、俺は思わず足を伸ばして息をついた。
「冬馬、ちょっと疲れた?」
「んー、まあ……ちょっと足にきてるかも」
「そっか。じゃあ、ちょっと待ってて。飲み物、買ってくるね」
そう言って陽菜は軽く手を振り、自販機コーナーの方へと小走りで向かっていった。
その姿が視界から消えた頃、俺はスマホを取り出して通知を確認しながら、何気なく時間をつぶしていた。……けれど、その時だった。
「ねえ、そこの君〜」
背後からの声に振り向くと、大学生くらいの女性が二人、にこやかにこちらを見て立っていた。
「……俺ですか?」
「そうそう、君。もしかして今ひとり?」
「あ、いえ……連れを待ってるんで。すみません」
できるだけ丁寧に断ろうとしたその時、片方の女性がふいに俺の腕を掴んできた。
「ちょっとくらいいいじゃん。ね、話そ? 君、結構タイプだし」
「いや、本当に連れが──」
「ふーん、じゃあ彼女いるってこと?」
言葉を選んでいたその瞬間、背後から低く冷たい声が飛んできた。
「──この人、僕の彼氏なんだけど。なにか用?」
その声の主は、戻ってきた陽菜だった。片手にペットボトルを二本持ち、静かに立っていた。
けれどその表情は、さっきまでの柔らかさが嘘のように消えていて……冷たい光を宿した目で、じっと女の子たちを見て
いた。
「え、マジで彼女いたの?」
「うわー、残念〜。てか、彼女さん、めっちゃ綺麗だし……ごめんね〜お邪魔しました〜」
気まずそうに笑いながら、二人はそそくさとその場を離れていった。
助かった、というより、なぜか俺は冷や汗をかいていた。隣に戻ってきた陽菜は、俺の顔をじっと見てから、ため息をつい
た。
「……何してんの、冬馬」
「いや、ちゃんと断ったつもりだったんだけど……」
「“つもり”じゃダメ。ああいうのはきっぱり断らないと。優しいと、調子に乗られるのがオチなんだから」
「……すみません……」
「まったく、僕がいないとほんと危なっかしいんだから」
怒ってる。たぶん、ほんの少し……何か他の感情も混ざってる。
陽菜はふうっと息をつきながら、持っていた飲み物の一本を俺に差し出した。
「ほら、これ。ミルクティー。冬馬、好きでしょ」
「……ありがとう」
ペットボトルを受け取って、キャップを開けると、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐった。
「でもさ……こういうの初めてだし。慣れない服とか着るのも、俺には向いてないんじゃないかなって」
「違うよ、冬馬が悪いんじゃない。今日の冬馬が、魅力的だっただけ。だから自分が悪いなんて言わないで」
陽菜はそう言って、ふいにスマホを取り出すと、画面を操作して構えた。
「よし、気分を変えるために写真撮ろうよ。今日の記念にね。ツーショット撮ろう」
「え、今……?」
「今がいいの。……今日くらい、“彼氏っぽい顔”してくれてもいいでしょ?」
そう言いながら、陽菜は俺の肩にぴたりと体を寄せた。
近くで見る陽菜の横顔は、心なしか頬が赤く見えた。
「じゃ、いくよ……はい、チーズ」
シャッター音とともに、陽菜の笑顔がスマホに収められる。
俺もなんとか照れ笑いを浮かべて、画面の中におさまった。
「ふふ、いい写真になったね」
画面を覗き込んでいる陽菜の表情は、さっきの怒りなんてすっかりどこかに行ってしまったように、晴れやかだった。
「……機嫌、直った?」
「まあね。……でも、冬馬がちゃんと“彼氏”って言葉、否定しなかったの、ちょっと嬉しかった」
「えっと、あれは助けてもらってる最中に否定するのも変だなって思って……」
「ふふ。そういうとこ、好きだな〜」
陽菜は少し照れたように笑って、俺の隣に腰を下ろす。
「今日は、ほんとにありがとう、冬馬。いっぱい付き合ってくれて」
「こちらこそ。……俺も、すごく楽しかったよ」
沈む夕日が窓から差し込み、俺たちの影をベンチの上に長く伸ばしていた。
その静けさの中、陽菜がぽつりとつぶやく。
「ねえ……今日が楽しかったなら、また次も……来てくれる?」
「うん、時間さえ合えば」
「じゃあさ、その時は……今度は本当に、僕の彼氏として、隣にいてほしい」
「え……?」
陽菜の顔を見ると、ほんのり赤く染まっていて、視線がまっすぐ俺を見つめていた。
「冬馬……僕と、付き合ってくれない?」
その声は少しだけ震えていて、けれど真剣だった。
目をそらすこともできないくらい、まっすぐで。
胸の奥が、どくん、と鳴った
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます