第7話:巴御前、あんたはホンマの女武者や
滋賀県大津市.
粟津の風が、湖面を渡る.
田中咲(たなか さき)は、
道着姿で、深く息を吐いた.
「女だからって甘く見ないでね」
口癖が、自然とこぼれる.
彼女は、高校の女子剣道部部長だ.
昨日の練習試合。
痛恨の敗北。
悔しさが、胸に燻っていた.
今日の推しは、巴御前.
木曽義仲の四天王.
女でありながら戦場を駆けた、
伝説の女武者だ.
咲の憧れであり、
剣道への情熱の源でもあった.
義仲が最期を迎えたこの粟津の地.
初めて足を踏み入れた.
義仲終焉の地に立つ石碑.
そこに、巴御前が最後に戦ったとされる.
そう記されている.
咲は、その石碑にそっと触れた.
ひんやりとした石の感触が、
指先から伝わってくる.
その瞬間だった.
風景が、まるで映画のように脳裏に流れ込む.
巴御前が感じた感情だけが、胸に焼きついた.
声はない.
音もない.
――そこは、泥と血にまみれた戦場.
巴御前が、薙刀(なぎなた)を振るっている.
敵兵が、次々と倒れていく.
彼女の表情は、冷静だ.
だが、その瞳の奥には、
義仲への一途な忠誠心と、
女性としての、
計り知れない葛藤が宿っていた.
幻視は、巴御前の孤独を見せる.
男たちの戦場で、
一人、己の武力を頼りに生き抜く姿.
幻視は続く.
義仲が討たれる直前.
巴御前は、義仲から離れるよう命じられる.
「お前は女だから」
――その一言が、武者としての矜持を鋭く突き刺した.
彼女は涙を流すまいと、
唇を強く噛み締める.
愛する者との別れ.
武者としての誇り.
そして、女性として生きる道.
その全てが、彼女の心で交錯する.
理想と現実のギャップ.
それが、咲の心に深く流れ込む.
咲は軽い疲労感を覚えた.
幻視から覚めた咲は、
しばらく石碑に手を置いたままだった.
頭がくらくらする.
巴御前は、
教科書の中の「女傑」だけではなかった.
強さの裏には、
深い悲しみと、人間的な弱さがあった.
その真実に、胸が締め付けられる.
「…女だからって、甘く見ないでね」
口癖が、今度は自分自身に向けられる.
悔しさと、推しへの理解が混ざり合う.
木刀を握り直す.
悔しさを晴らすように、
素振りを始めた.
練習試合での敗北が、頭をよぎる.
気持ちをぶつけるように振った木刀が、
ほんの一瞬バランスを崩して——
手から滑った.
弧を描き、近くの堀へ落ちてしまう.
「最悪!こんなところで、女のくせにとか言われたらマジ無理!」
焦りが広がる.
すると、堀の近くで.
水草の手入れをしていた地元の男性が、
さっと近づいてきた.
彼は**地元で郷土資料館の世話をしていた。**
** 巴御前は昔から憧れでね、と親しげに言った。**
慣れた手つきで、堀の中から木刀を拾い上げてくれる.
「お嬢ちゃん、その木刀、いい面構えだね」
男性は、優しい声で語り始めた.
「巴御前もね」
「何度も刀を折られても」
「決して諦めなかったんだよ」
巴御前の不屈の精神.
それを語ってくれる.
男性の瞳には、
地元への深い愛が宿っていた.
咲は、その言葉に耳を傾ける.
練習試合の敗北。
巴御前の苦悩。
そして、この地で生きる人々の温かさ。
全てが、一本の線で繋がっていく気がした。
「べ、別に慰めとかいらないし…」
「でも、巴御前様も、あたしと同じ気持ちだったのかも」
咲の口元に、微かな笑みが浮かんだ.
トラブルと出会いが、
推しの精神と自分の剣道への向き合い方を、
深く見つめ直すきっかけとなった.
次へと進む勇気が、胸に満ちる.
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次回予告
滋賀の地で、巴御前の不屈の精神に触れた咲。彼女の剣道にかける情熱は、推しによってさらに強く磨かれたようです。推しの精神と自分の剣道への向き合い方を深く見つめ直し、次へと進む勇気を得ました。
次なる旅は、源義経の母、常盤御前を推すシングルマザーの物語。舞台は京都、鞍馬口や善峯寺です。子を思う母の苦悩と強さに、彼女は何を重ねるのでしょうか?
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