第6話:悲劇の皇子の真実
奈良県生駒郡斑鳩町.
歴史の静寂に包まれた法隆寺.
野口綾子(のぐち あやこ)は、
静かに息を吸い込んだ.
「真相は一つ、歴史は多角的にね」
口癖が、自然とこぼれる.
彼女は、出版社の編集者だ.
歴史ミステリーの企画のため、
この地を初めて訪れた.
今日の推しは、聖徳太子.
その名は、日本の歴史教科書で、
誰もが知る偉人だ.
十七条憲法制定.
冠位十二階の制定.
だが、綾子の興味はそこではない.
彼の生涯に秘められた、
数々の「謎」に惹かれていた.
果たして、太子は本当に存在したのか.
あの超人的な逸話は、真実なのか.
その真相を、解き明かしたい.
それが、綾子の探求心だった.
伽藍を巡る.
五重塔、金堂.
歴史の重みが、肌で感じられる.
「…この配置、仏教伝来直後にしては」
「完成度が高すぎる」
「成立年にズレがあるって説、やっぱり気になるわね」
編集者らしい視点が、思わず漏れる.
夢殿へと向かう.
太子の肖像が安置されている場所だ.
静謐な空間が広がる.
そこに置かれた、古びた経典の**レプリカ写本**.
綾子は、それにそっと手を伸ばした.
指先が、和紙の微かなざらつきを感じる.
その瞬間だった.
風景が、まるで映画のように脳裏に流れ込む.
太子が感じた感情だけが、胸に焼きついた.
声はない.
音もない.
――そこは、宮中.
若き聖徳太子が、臣下の意見を聞く.
多くの声に、彼は耳を傾けていた.
その表情は、常に冷静だ.
だが、その瞳の奥には、
深い疲弊と、諦めにも似た感情が宿る.
理想とする国造り.
それを阻む、権力争い.
豪族たちの対立.
幻視は、太子の孤独を見せる.
彼がどれほど孤立していたか。
偉大な業績の裏で、
どれほどの重圧に耐えていたのか。
幻視は続く.
十七条憲法を制定する太子.
「和を以て貴しとなす」
その言葉は、彼の切なる願いだった.
争いのない、平和な国.
その理想を追い求めるほどに、
現実は厳しかった.
己の信じる道を貫く苦悩.
非協力的な者たちへの怒り.
それでも、彼は毅然としていた.
だが、その心は、
血を流すような葛藤を抱えていた.
理想と現実のギャップ.
それが、綾子の心に深く流れ込む.
綾子は軽い頭痛を覚えた.
幻視から覚めた綾子は、
しばらくレプリカ写本に手を置いたままだった.
頭がくらくらする.
聖徳太子は、
教科書の中の「超人」ではなかった.
血の通った人間だった.
彼の偉業の裏には、
想像を絶する孤独と葛藤があった.
その真実に、胸が締め付けられる.
「これはまずい…!」
「真相究明どころじゃないわ…」
綾子の口から、小さな呟きが漏れる.
探求していた謎とは、
違うものがそこにあった.
夢殿で、よろけた.
幻視の衝撃で、足元がおぼつかない.
持っていた聖徳太子に関する貴重な資料本.
手から滑り落ちた.
床に、ページが散らばる.
ああっ、初版本なのに!
取り返しがつかないかも。
「これはまずい…!真相究明が…」
焦りが広がる.
その時だ.
近くにいた寺の職員が、
さっと近づき、資料を拾い集めてくれる.
「お怪我はありませんか?」
「……あ、この本、大切な資料ですね」
職員は、綾子の手元をそっと見て言った.
「実は、私も少し聖徳太子様に関わっていまして……」
「聖徳太子様も、和合の精神を」
「大切になさいました」
「争いを避けるのが賢人の道」
職員は優しい声で語り始めた.
彼は、太子の知られざる人間的な側面.
争いを避けるための苦悩を話してくれた.
そして、太子の真のメッセージは、
謎の奥にある「和」にあると諭す.
綾子の探求心は、
ミステリーから、
より普遍的なものへと変化していく.
「なるほど、真相は複雑ね…」
「でも、推しの本当のメッセージに触れた気がするわ」
綾子の顔に、柔らかな光が灯る.
トラブルがきっかけで、
推しの新たな深い価値観に触れた.
自身のミステリー追求の視点だけでなく、
人間としての生き方にも影響を受ける.
心に響く、静かな感動があった.
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次回予告
奈良・法隆寺で、聖徳太子の真の「和」の精神に触れた綾子。歴史の謎を解き明かすだけでなく、その奥にある普遍的な教えを見出したようです。自身の生き方にも影響を受けるほどの感動がありました。
次なる旅は、滋賀県!木曽義仲の四天王としても知られる女武者、巴御前を推す女子剣道部の部長が、その地で何を感じるのでしょうか?
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