第8話:義経の母、常盤御前、あんたの人生は壮絶すぎやろ

 京都府京都市右京区.

 善峯寺の山道は、静かに続く.

 鈴木恵(すずき めぐみ)は、

 額の汗を拭った.

 彼女は、30代の会社員だ.

 小学生の息子を育てるシングルマザー.

「ま、なんとかなるでしょ」

 口癖を心で繰り返す.

 日々の仕事と育児の板挟み.

 疲労は蓄積する一方だ.


 今日の推しは、常盤御前.

 源義経の母だ.

 夫を失い、幼い三人の子を連れて、

 苦難の逃避行を強いられた女性.

 その壮絶な生涯は、

 恵の心に深く響くものがあった.

 子を守るためなら、

 全てを捨てる覚悟.

 その「母の強さ」に惹かれていた.

 鞍馬口や、最期を過ごした善峯寺.

 この地を初めて訪れる.


 善峯寺の境内.

 鬱蒼とした木々の奥に、

 常盤御前が身を隠したとされる岩陰がある.

 ひんやりとした空気が漂う.

 恵は、その岩肌にそっと触れた.

 ごつごつとした感触が、指先から伝わる.


 その瞬間だった.

 風景が、まるで映画のように脳裏に流れ込む.

 常盤御前が感じた感情だけが、胸に焼きついた.

 声はない.

 音もない.


 ――そこは、雪が舞う夜の山道.

 常盤御前が、幼い三人の子を連れている.

 末子である義経は、まだ赤子だ.

 雪は容赦なく降り注ぎ、

 冷たい風が、肌を刺す.

 彼女の足元は覚束ない.

 疲労困憊の表情.

 それでも、その瞳には、

 子を守ろうとする、

 強い光が宿っていた.


 幻視は続く.

 平清盛の前に引き出される常盤御前.

 愛する子を生かすため、

 己の身を差し出す決断.

 その胸中に、葛藤はあったのだろうか.

 幻視は、常盤御前の孤独を見せる.

 母としての強さと、

 女性としての悲劇.

 全てを投げ打つ覚悟.

 その重みが、恵の心に深く流れ込む.

 恵は軽い放心状態に陥った.


 幻視から覚めた恵は、

 しばらく岩陰に手を置いたままだった.

 頭がくらくらする.

 常盤御前は、

 教科書の中の「悲劇の女性」ではなかった.

 子を守るために、

 全てを受け入れた「強い母」だった.

 その真実に、胸が締め付けられる.

「あ~あ、最悪…」

「ま、なんとかなるでしょって言いたいけど…」

「これは、ちょっと言われへんな…」

 口癖が、今度は自分自身に向けられる.

 推しへの理解と、現代の苦悩が混ざり合う.


 善峯寺の急な階段を登る.

 慣れない山道と、幻視の疲れ.

 足元がおぼつかなくなる.

 持っていた子どものお気に入りのおもちゃ.

 息子が大事にしているロボットだ.

 手から滑り落ちた.

 石段にぶつかり、バラバラになる.

「あ~あ、最悪…ま、なんとかなるでしょって言いたいけど、これは…」

 焦りが、胸に広がる.

 直せないかもしれない.

 息子に、どう説明しようか.


 すると、近くにいた子連れの母親が、

 さっと近づいてきた.

 彼女も、幼い子を連れている.

「あら、大変そうですね」

「これ、よかったら使わない?」

 そう言って、自分の子どもが飽きていた.

 まだ新しいミニカーを差し出す.

 恵は、驚いて顔を上げた.

 その母親は、優しい笑顔で言った.

「私も常盤御前ファンなんです」

「子を思う母の苦悩と強さ」

「いつの時代も、母親って大変だけど」

「強いものですよね」

 温かい言葉が、恵の心に響く.

 現代の育児の苦労.

 常盤御前の壮絶な子育て.

 時代は違えど、母の心は同じだ.

 全てが、一本の線で繋がっていく気がした.


「ま、いっか!」

「常盤御前様も、きっとこんな気持ちだったのかもね」

 恵の顔に、柔らかな笑顔が浮かんだ.

 トラブルがきっかけで、

 推しが現代の自分に寄り添ってくれる.

 そんな温かい交流が生まれた.

 共感と励ましを得る.

 母としての自分を肯定できる。

 内なる救いが、胸を満たした。


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次回予告


京都の地で、常盤御前の壮絶な母の愛に触れた恵。時代は違えど、子を思う親の気持ちは変わらないことを実感したようです。推しが現代の自分に寄り添ってくれるような温かい交流から、母としての自分を肯定できる「内なる救い」を得ました。


次なる旅は、山口県下関市、壇ノ浦へ。歴史ドキュメンタリーのディレクターが、悲劇の幼帝、安徳天皇の真実に迫ります。激動の時代に散った命に、彼女は何を見るのでしょうか?


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