密室米蔵で死んだ人工早乙女

広河長綺

第1話

お米は美味しかったが、食卓の空気は暗く重かった。


米は何も悪くない。

品種は最高級だし、釜で炊かれているので食感はフワフワだ。

むしろ日本でトップレベルのご飯と言っていいだろう。


食事の環境も、わるいわけじゃない。

館の中でも食堂の床だけにしかれた絨毯。

テーブルには高級レストランのような真っ白なテーブルクロス。

見上げれば、シャンデリアが輝いている。

食堂設備も悪くないどころか、むしろ金持ちの食卓といったおもむきだ。


なのに私たちのテンションが低いのは、この米を食べると超低確率で死ぬ可能性があるからだ。


私以外の11人の人工早乙女じんこうさおとめたちも、個人差はあれ、同じ恐怖を意識しているのだろう。


私たちが座る食卓には、カチャカチャと食器が触れる音だけが響いている。いつもならテレビのバラエティ番組の音が響き、本物の姉妹のような人工早乙女たちの他愛もない会話が飛び交う賑やかなリビングのに、この「古古古古米チェック」の時間だけは雰囲気がまるで違う。


「自分の死」を意識しながら米を口に運ぶ。


「ねえ、本当に、これ食べても死なないよね?」

ついに、人工早乙女で最年少のミオちゃんが茶碗の中の白いご飯を箸でつつきながら、不安を口にしてしまった。


「日本政府は、古古古古米を新しいコメに混入させたりしないって言ってたでしょ。きっと、大丈夫だよ」

私は努めて明るい声を出したが、その声は少し震えていた。


不安を拭いきれないミオちゃんは「でもさ、何かの手違いで一粒だけ古古古古米が混入してるかもしれないでしょ?そしたら私死んじゃうんだよね?」と、ごはんを箸でつつきながら不安げに、無意味な質問を繰り返す。


小学六年生のミオちゃんは、いつもは食欲旺盛なのに、今日は箸が進んでいない。


無理もない。「古古古古米チェック」のときに、食卓に並んでいる米は、私たち人工早乙女にとってロシアンルーレットなのだから。


毎月のことでも、低確率でも、死のリスクに慣れることはない。

今年12歳になったばかりのミオちゃんなら、なおさらだ。


ゴネるミオちゃんの向かいに座るアカリちゃんが、深いため息をついた。

中学3年生のアカリちゃんは、私より1つ年上。細くて理知的な目をした子で、冷静でしっかり者だけど、こういう時ばかりは表情が硬い。

「しょうがないでしょミオ。そもそも私たちは、日本政府が新米に古古古古米を混ぜていないか確認するために、古古古古米より古い米に致死的アレルギーを起こすように、朝比奈博士によって作られたクローン人間なんだから」


「でもぉ、米が古古古古米かどうかを調べるために死ぬなんて理不尽でしょ?私たちの人権はどうなってるの」


ミオちゃんの不満は当然だ。

でもバイオテクノロジーの天才である朝比奈博士は、数年前に不老不死になる方法を開発してしまった。不老不死の体欲しさに、上級国民が朝比奈博士を庇うのだ。

だから、正論を言ってもどうしようもない。


「しょうがないよ、朝比奈博士は狂ってるんだから」

最年長の刹那ちゃんがぽつりと口を挟んだ。


「狂ってるって、そんなこと」

私が横からたしなめると、刹那ちゃんは箸を置いてひざの上で両手をぎゅっと握りしめた。


「だって朝比奈博士は、私たち人工早乙女を作っただけでも頭おかしいのに、昨日は人工早乙女のお腹を引き裂いて、殺したんだよ」

刹那ちゃんが震える声で言った。


食事の間中、私たち全員があえて触れないでいた、殺人事件。

昨日、米蔵で見た、内臓をぶちまけて死んだ人工早乙女の穂乃果ちゃんの死体。

目を背けていた、米とは別種の「死のリスク」。


私たちが見たくない物を突きつけてくる言葉に、食卓の空気がさらに重くなった。


しかも死体の第一発見者はミオちゃんなのだ。

グロテスクな死体の光景がフラッシュバックしたのだろう。

ミオちゃんの表情が、苦しそうに吐き気をこらえるように、歪む。


それでも刹那ちゃんの言葉は止まらない。

「朝比奈博士は、米の新しさに狂気的に執着してるよね。だから米蔵で人工早乙女を惨殺しているんだ。この館から脱出しないと、最終的に全員がお腹をさかれて殺されるよ」と言った。


狂気的に執着、というのは言い得て妙だと私は思う。




バイオテクノロジーの天才である朝比奈博士が不老不死の体を手に入れていることは、みんなに知られていた。


しかも不死のレベルが桁違いであり、どんなに小さな1かけらの体からでも、水さえかければ、全身を再生するのだ。プラナリアの再生とクマムシの耐性を、体に入れているらしい。


そんなハイレベルの不老不死を実現したなら、細かいことは気にしなければいいのに、朝比奈博士は、コメの新しさには異常にこだわっていた。


「政府は古い米をこっそり普通の米に混ぜてるんだろ!!」と陰謀論を叫ぶ。

バイオテクノロジーを使って、古古古古米より古い米を食べるとアナフィラキシーショックを起こして死ぬ少女を作ってしまう。

そして、その少女たちに、神に田植えを捧げる早乙女にちなみ「人工早乙女」と名づける。


確かに朝比奈博士は、狂っている。


「でもさ」私は刹那ちゃんに反論した。「博士は米の新しさが知りたいんだよ。人工早乙女を殺すと、米の判定難易度があがる。合理的じゃない。」


「不老不死の果てに、博士の精神は壊れているんだよ。合理性なんて、もうない」


「じゃあさ、刹那ちゃん。今言ったじゃなくて、はあるの?」


刹那ちゃんは、薄ら笑いを浮かべながら、うなずいた。「もちろん。殺人現場の米蔵が密室だったことよ。博士は不老不死の薬により体を切り刻んでもそこに水がかかれば復活できる、でしょ?」


密室。


確かに、昨日殺された人工早乙女の穂乃果は、内側から鍵がかかった米蔵の中で、お腹を切り裂かれて死んでいた。


糸を使って外から鍵をかけるような隙間もない。しかも周囲には監視カメラがあり死亡推定時刻に米蔵から出てきた人間すら確認されていない。


1ミリの隙間もない、完璧な密室。


監視カメラに映らないレベルに体を細かく砕いて短時間で全身再生できる朝比奈博士しか犯行は不可能では?と思えてくる。


そういえば米蔵の中には流し台と排水管があったな、と思い出す。穂乃果ちゃんを殺した後、何らかの物理的な仕掛けで、体を砕きその破片を下水に流せば、朝比奈博士にはあの米蔵密室殺人が可能だろう。


「でもさ…あ」刹那ちゃんに影響されて朝比奈博士が犯人だと思い始めている自分を誤魔化そうと、さらなる反論言おうとした口を慌てて閉じた。


食堂の外の廊下でギシギシと床が鳴る音がしたからだ。


食堂のドアの影から現れたのは、他でもない朝比奈博士だった。


白衣を纏い、いつものように背筋をぴんと伸ばしている。132歳には到底見えない佇まい。老化が止まっているのだ。


そんな不気味な姿で、朝比奈博士は、食堂の中をチラッと覗き込む。


その目は、まるで檻の中の実験動物を観察する研究者のようだった。感情が一切読み取れない、ただただ冷徹な観察者の目。いや、観察というよりも、品定め、値踏み、そんな表現がしっくりくるかもしれない。私の命を一切気にせず米の新しさだけ考えているような視線に、背筋が凍り付いた。


そして私たちが生きていることを確認して、静かに何もせず、朝比奈博士は通り過ぎて行った。


一瞬だったけど、最悪な気分だったな、と思う。


死ぬかもしれないご飯。

昨日の殺人事件を蒸し返す会話。

人工早乙女同士の、言い争い。


これ以上悪くならないだろうと思われた雰囲気が、朝比奈博士の登場でさらに最悪な空気になってしまった。


「こんな所にいても、精神衛生上、良くないね」とアカリちゃんが冷静に言って席を立ち、刹那ちゃんは黙って後に続いた。


他の人工早乙女たちも、次々と食堂をでて、各々の自室へ向かっていく。


最終的に食堂に残ったのは、ミオと私だけになってしまった。


「ごめんね」

ミオちゃんは落ち込んだ表情で、謝罪してきた。

「お姉ちゃんが刹那ちゃんと喧嘩したのって私のせいだよね」

みんなは私のことをシンプルに下の名前で「郷子」と言うが、ミオちゃんだけは「お姉ちゃん」と呼ぶ。


そんなふうに私に懐いてくれるミオちゃんをかわいいな、と思いながら「別に喧嘩してたんじゃないよ。冷静に議論してただけ」と慰めた。


「でも刹那ちゃんは、こんなところ出ていったほうが良いって言ってたよ。それってつまり、私とかお姉ちゃんのことが嫌いって意味だよね?」


「それはね、ちょっと感情的になっただけ。何もかも嫌になって、わー!って叫びたくなることあるでしょ?それと同じよ」


「じゃあ、刹那ちゃんはみんなのことが嫌いになったわけじゃないの?」


「もちろん」私は大きく頷いた。「一回寝て起きたら、気分も元通りになってるよ。だから私たちも、寝よう」


私はミオちゃんの手を引いて食堂を出て、寝室まで連れて行き「おやすみ!」と手を振って別れた。


それから私は自分の寝室に行き、明かりを消して、をした。


覚醒した頭で布団に入り何もしないでボーっとしているうちに、色々な事への動揺が収まり、何を優先すべきかという正常な判断が戻ってくる。


「密室殺人の犯人が朝比奈博士かどうか」も、「寂しがっているミオちゃんの世話」も、1番大事なことではない。


1番大事なのは、自分の命。

結局今するべきなのは、ここから脱出することだ。



みんなが寝静まった深夜、部屋をそっと出た。


そして米蔵へ向かった。米蔵にはこの館から脱出する方法があると、朝比奈博士の手帳を盗み見て、知っていたからだ。


もちろん私は、刹那ちゃんのような強いモチベーションで脱出の道を探していたわけじゃない。


私が米蔵の秘密を知っているのは、書庫の掃除をしている時に何となく開いた手帳に実験記録が書かれていたという、幸運な偶然によるものでしかない。


その手帳には、朝比奈博士が彼自身の手で米を栽培した記録が書かれていた。


米に拘っている朝比奈博士のことだ。自身で米を作っていても何も不思議じゃない。問題なのは、朝比奈博士が作成した不老不死薬が米に混入したと考えられることだ。


記録によると、その米を食べれば朝比奈博士と同等の不老不死を得られるという。

炊いていない状態の米を食べるのはお腹に悪そうだが、そこを我慢すれば、夕食の席で考えた密室トリックを使用できる。


つまり、私の体の一部を米蔵から下水に流し、そこで全身を再生すればいい。その過程で私は、米蔵だけでなく、館からも脱出できる。古古古古米のアナフィラキシーショックに怯えることのない、自由な人生が手に入る。


期待に胸を膨らませ、真っ暗な廊下を小走りで進み、米蔵の前まで来た。


しかしそこで、予想外の障害が発生した。


ここの鍵は内側からしかかけれないのに。


中に誰かいるの?


慌てた私は米蔵の窓から中を覗き込んだ。


予想通り、中に人がいた。

予想できなかったのは、中にいたのが刹那ちゃんであり、彼女のお腹を内側から突き破って、稲穂が生えていたことだ。


刹那ちゃんの整った顔は苦悶の表情で歪み、彼女のはらわたが床にぶちまけられている。


今までの人生で見てきた中で最もグロテスクな光景。


それなのに私は米蔵の中を覗き見ることをやめられない。


それは、臓物の中から生えて、真上を目指して伸びる稲の生命力の美しさに魅入られていたからだ。


私は、この瞬間に、「どうして米が、こんなにも美味しくて毎日食べても飽きないのか」「日本を代表する植物なのか」を理解した。

米1粒1粒が、生き物だからなのだ。

米1粒ごとに、生命力が輝いているからだ。


その認識に至った時、不老不死の薬物を浴びた米がどうなるのか、気づく。

米が不老不死の薬になるのではない。

米1粒1粒がのだ。


その米はお腹の中の水分に触れた時、全身が再生するだろう。

朝比奈博士と同じように。

その結果、稲穂によって腹が内側から破れる。

穂乃果ちゃんと、刹那ちゃんのように。


この手帳は罠だ。


「米蔵の奥で不老不死を得ることで、この館から脱出しよう」と考える人工早乙女が、不老不死米を食すように仕向けて、殺す。死亡推定時刻から時間を空けた後、第一発見者として米蔵に入り、稲穂を回収すれば密室殺人が完成する。

つまり犯人は…


私が振り返ると、ミオちゃんがいた。

ミオちゃんは今にも泣きそうな顔で、「お姉ちゃんはどこにも行かないよね?」と言った。


ミオちゃんにとって、人工早乙女たちはみんな家族だった。

ずっと、家族みんなで一緒にいたかったのだ。

たとえ、地獄の中であっても。


私はミオちゃんを抱きしめた。

「どこにも行かないよ。ずっと一緒にご飯を食べようね」と言いながら。








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