第8話 禁忌の解法

 馬鹿野郎。

 その一言が、声になる前に、僕の身体は動いていた。

 秋霖しゅうりんが洗い流す常世の磐座。その地獄の中心で、僕は自らの魂よりも大切な光が、消えゆくのを許すわけにはいかなかった。

 

 無数のサイコキネシスの糸を、彼女の身体に絡ませた。それは、彼女を傷つけるためではない。彼女が放出しようとしている、そのあまりにも膨大で、あまりにも尊い魂のエネルギーを、強引に彼女自身の内側へと押し留めるための、必死の拘束だった。


「――ッ! 神代君、離して……! こうするしか、ないの……!」


 黄金色の光の中で、引野さんの顔が苦痛に歪む。自らの魂を燃やす痛みと、それを内側に押し留められる奔流のせめぎ合いが、彼女に二重の苦しみを与えている。僕が彼女を苦しめている。その事実は、僕の心を抉った。だが、それでも。


「ふざけるな!」


 僕の口からほとばしったのは、理性をかなぐり捨てた、剥き出しの叫びだった。


「君を犠牲にして救われる世界なんて、僕はいらない! そんなもののために、君はここまで来たのか? そのために僕がここまで来たと思っているのか!?」


 そうだ。僕は何のために戦ってきた? 力の意味も分からず、ただ怯えていた僕が、はじめの一歩を踏み出せたのは何故だ? 全ては、目の前にいる引野さんの「大丈夫」という一言を、その笑顔を守るためではなかったか。それ以外の理由など、僕には、何一つとしてありはしなかった。


「君が死んでしまったら、僕が守りたかったものは、一体どこにあるんだ……!」


 僕の慟哭が、彼女の決意を揺さぶったように見えた。彼女の瞳から、大粒の涙が、黄金色の光と共に零れ落ちた。彼女の身体から溢れ出ていた光が、僅かに、その勢いを弱めた。


 その一瞬の膠着状態を破ったのは、僕の耳に装着された通信機から響く、ノイズ混じりの、しかし神の啓示にも似た、あの男の声だった。


『――見つけたぞ、那縁っ!』


 相葉の声だ。その声は、疲労困憊で掠れている。だが、そこには、絶望的な状況を覆す何かを発見した、確かな歓喜が満ちていた。


『聞け! 氷川さんの遺した「サイファー・キー」と、騎士団の古文書のクロスチェックが、今、終わった! あのクソみたいなクソ古代言語のクソ論理構造を、逆手にとってやったぜ! わははははははは!!』


 モニターの前で、相葉はガッツポーズをしていたに違いない。彼は天才的な発想の転換で、人間の論理では理解不能な言語体系の中から、一つの「法則」――いや、「バグ」と言うべきものを見つけ出していた。


『儀式は、魂そのものを捧げる必要はねえ! 古文書に、本当に僅かな記述しか残ってなかった、禁忌の術だ! 魂の情報を、寸分違わずコピーした「写し身」を創り出して、それを身代わりに捧げるんだよ!』

「魂の……写し身……?」

『ああ! だが、そいつを創り出すには、二つの力が必要だ! 一つは、魂の構造情報を原子レベルで読み解き、再構築する、お前の進化した「創造」の力! そしてもう一つは……!』


 相葉の言葉を継ぐように、時守の、か細いが確かな声が、戦場に響いた。彼は、自らを蝕む幻影を、その強靭な意志でねじ伏せ、僕たちを見据えていた。


「『器』が、自らの魂の情報を、その身に宿る全ての光と共に、自らの意志で『鍵』へと開示することじゃ……。それは、己の全てを相手に委ねる、究極の信頼の証。二人でなければ決して成し得ぬ、外道の儀式よ」


 僕と引野さんは、互いの顔を見つめ合った。

 彼女の魂を、僕が創る。僕の力を、彼女が導く。

 それは、神をも欺く、禁断の共犯関係。

 世界を救うためではない。僕たちが、共に生きる未来を、この手で掴み取るために。


「引野さん……」

「……うん」


 言葉はもう必要なかった。彼女は僕のサイコキネシスの拘束を、内側から解き放つ。そして、自らの黄金色の光を、今度は僕一人にだけ、その全てを注ぎ込んできた。それは、僕の罪を洗い流すためのものではない。彼女の魂の全てを、僕に託すという、無言の誓いだった。


 僕たちは最後の選択をした。

 破滅の宿命に抗い、二人で未来を創造するという、あまりにも無謀で、そして何よりも気高い選択を。

 僕の身体の中で、彼女の光と僕の力が、新たな、そして最後の奇跡を生み出すために、混じり合い始めていた。

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