第3章 公表の代償

第1話 世界が「真実」を知った日

事象記録:TKYーMegaFloatーΩ


文書識別コード:HKIーECMー202XーTKY一2ー最終報告


事象発生期間:西暦二〇二X年八月X日より継続、同月X日に暫定終息


事象発生座標:東京湾メガフロート「オケアノス」及び周辺海域を起点とする、全世界規模の複合的異常現象(事象コード:黄昏事変)


報告担当部署:ハシュマル機関極東支部・緊急対策司令部/聖槍騎士団合同タスクフォース(暫定)


最終脅威評価:レベル六(終末級)よりレベル四(要注意)へ暫定的に下方修正。ただし、原因不明の因果律汚染及び精神感応性ミームの残存が広域で確認されており、再評価は継続審議とする。


1.概要

敵性知性体「観測者」が東京湾メガフロート「オケアノス」を特異点として惹起した、全世界規模の物理法則改変及び広域精神汚染事象(黄昏事変)に関する最終報告である。本件は、ハシュマル機関所属の特異能力者、神代那縁(コードネーム:サイファー)と協力者、引野知子の異能共鳴現象により、「観測者」の活動中枢の機能停止に至った。しかし、同存在が情報霧散の直前に発した高レベル情報災害ミームと、それにより存在が確定的となった超常的脅威群「大いなる災厄」の蓋然性を鑑み、警戒レベルは依然として高い水準を維持するものとする。


2.事象終息までの経緯(時系列抜粋)

時刻不明:合同タスクフォース、メガフロート中枢構造体へ強行突入。敵性実体「ヴァルガ」の強化型複数体、及び異次元由来と推定される最終防衛機構との交戦により、部隊は戦術的後退を余儀なくされる甚大な損耗を受ける。


時刻不明:後方支援担当の協力者、相葉陽太氏の超並列解析により、「観測者」のコアシステムにおける特定の高次異能共鳴に対する致命的脆弱性が特定される。


時刻不明:橘征四郎支部長代理及び聖槍騎士団総長アルビレオ・ファルコーニの共同指揮下、残存戦力は神代那縁、引野知子の進路確保を最優先目標とし、飽和攻撃を開始。エージェント氷川怜も合流し、殿を務める。


時刻不明:神代那縁のサイコキネシスと引野知子の生命エネルギー操作能力が完全共鳴。生成された高密度・高次元エネルギー奔流が「観測者」の存在中核を直撃。


時刻不明:「観測者」が情報霧散しながら消滅。同時にメガフロート内の空間歪曲及び全世界で発生していた異常物理現象が急速に正常値へ収束。


3.主要関与存在に関する所見

神代那縁(サイファー):本件事象において、従来の暴走状態とは明確に区別される、強固な意志統制下での高度な能力制御と共鳴を達成した。その潜在能力の底は依然として計測不能。今後の成長と精神的安定性の確保が最重要課題。

「大いなる災厄」に対する、何らかの事象の起点、すなわち『プライマリ・キー』としての機能を有する可能性が極めて高い。


引野知子:単純な生体治癒能力の行使に留まらず、異能の中和、広域精神防護、他者の能力の指向性増幅など、極めて特異かつ高次な能力形態へと覚醒。聖槍騎士団が伝承する『聖杯の器』としての適性を示唆。その存在自体が、今後の世界情勢における最重要戦略的要素となることは疑いの余地がない。


「観測者」:消滅。しかし、その正体、起源、組織構造は依然不明。「我々は観測する。故に世界は在る。我々は尖兵なり」との断末魔の思念波を広域に拡散したことから、同等以上の脅威が複数、あるいは無数に存在すると考えるのが妥当である。彼らの目的が「世界の調律」であるならば、今回の敗北は、より大規模な介入の序章に過ぎないと結論せざるを得ない。


4.事後分析及び考察

本件事象は、クラス・ガンマ以上の特異能力存在が社会基盤に与える影響の甚大さを実証し、従来の脅威想定レベルを根本から覆すものであった。また、対抗勢力(聖槍騎士団)との限定的共闘が戦術的優位に直結した事例として記録され、今後の対『大いなる災厄』戦略における超法規的連携のモデルケースとして検討されるべきである。


特記事項:メガフロートにおける戦闘記録映像の外部流出を確認。これにより、情報統制プロトコル『黒の帳』の維持は事実上不可能となり、予見されていた最悪のコンティンジェンシープラン、フェーズ・ツー『ディスクロージャー』への強制移行が不可避となった。関係各所は、それに伴う社会的混乱(予測レベル四以上)への即時対応準備に入られたい。


報告書作成者:橘征四郎(ハシュマル機関極東支部長代理)

共同署名:アルビレオ・ファルコーニ(聖槍騎士団総長)※暫定連絡官経由



 世界の終末という現象を、人はとかく劇的なカタストロフィとして夢想しがちだ。曰く、天を覆う劫火。曰く、地を裂く絶叫。だが、現実に僕が体験した「終末」の余韻は、拍子抜けするほどに静かで、退屈で、そして何よりも不気味な虚無に満ちていた。メガフロートでの死闘から二週間。僕の日常は、日常という名の、薄気味悪いほどに静謐な虚構の上に、かろうじて成り立っていた。大学は「大規模ガス爆発事故」という陳腐なカバーストーリーの後処理を名目に未だ大部分が封鎖されており、僕たちはハシュマル機関が用意した殺風景な仮設講義室で、当たり障りのないオンライン授業を拝聴するという、罰ゲームなのか恩寵なのか判然としない日々を強いられていた。


 ふと思う。罰ですらない、のかもしれない。罰とは罪を前提とする概念だ。僕という存在が世界に与えた損害を思えば、こんな生温い日常は、むしろ冒涜的なまでの恩寵に他ならないのだから。


 窓の外では、秋の気配を微塵も許容しない、執念深い残暑がアスファルトをじりじりと焼いている。その光景は、僕たちが見た地獄の業火に比べれば、随分と牧歌的なものに思えた。人間の精神とは、かくも容易に麻痺し、そして順応し、矮小化していくものらしい。


「なあ、これ見ろよ」


 人工的な静寂を破ったのは、相葉陽太の声だった。彼はいつものお調子者の仮面をかなぐり捨て、真剣な、いや、蒼白な顔で自身のノートパソコンの画面を、僕と引野さんに突きつけた。


 ディスプレイに映し出されていたのは、見慣れた動画共有サイトの画面。サムネイルには、禍々しいオーラを噴出させるヴァルガの姿と、それに対峙する僕の後ろ姿が、不鮮明ながらも決定的な現実感をもって捉えられていた。タイトルは、扇情的なゴシップ週刊誌もかくやという、悪趣味な極太フォントでこう殴り書きされている。


『【閲覧注意】東京テロ・真実の映像――謎の超能力者 対 巨大怪物』


「……なんだ、これは」


 口からこぼれ落ちたのは、我ながら間の抜けた言葉だった。再生ボタンを押すまでもない。コメント欄は既に、蒙昧な憶測と下劣な罵詈雑言、そして自己満足に満ちた陰謀論の嵐によって、汚濁の川と化している。CGだ、フェイクだ、という、かろうじて理性を保った意見は、瞬く間に膨大な情報の濁流に飲み込まれてゆく。


「時間は……昨日の夜からだな。爆発的に拡散してる。出所は不明。でも、これは……本物だ。間違いなく、あの時の……」


 相葉の声が震えている。無理もない。これは、僕たちが命を賭して守ろうとした「日常」を「非日常」という「観測者」によって、無残に、そして決定的に破壊された瞬間を記録した、動かぬ証拠なのだから。


 引野さんは、黙って画面を見つめている。その顔色は陶器のように白く、唇を固く引き結んでいた。彼女の瞳には、恐怖よりも深い、慈愛に似た悲しみの色が湛えられていた。


 その映像は、僕がサイコキネシスで瓦礫の雨を防ぐ場面。

 聖槍騎士団が人間離れした戦闘を繰り広げる場面。

 空が裂け、メガフロートが崩壊していく、僕の罪状を告発する終末的な光景。それらが、何の配慮も編集もなく、ただ生々しい現実として切り取られ、全世界の無責任な好奇の目に晒されていた。


 音質は劣悪で、仲間たちの断末魔の悲鳴と、世界の軋む轟音が不快に混じり合っている。しかし、その映像が持つ力は、どんな雄弁な言葉よりも強く、そして残酷に「真実」という名の烙印を、見る者全てに焼き付けていた。


 もはや、隠蔽は不可能だ。ハシュマル機関がどれだけ巧みな情報操作を行おうとも、このデジタル・タトゥーは、世界中から永遠に消え去ることはない。

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