第2話 さーてこまった

 居ても立ってもいられず、帰宅するやいなやテレビをつけた。どのチャンネルも同じ映像を垂れ流している。日本中、いや、世界中が、その歴史的な瞬間を固唾を飲んで見守っていた。


 首相官邸で行われた、緊急記者会見。テレビ画面の向こうで、高坂純一郎首相は、やつれた、しかし妙に覚悟の据わった表情で、用意された原稿を読み上げていた。隣には、能面のように無表情な三枝官房長官が、背景の一部と化して控えている。


『……本日、インターネット上に流出した、先日の東京湾岸部における大規模インフラ事故に関する映像について、政府として調査した結果を、国民の皆様にご報告いたします』


 高坂首相は一度、言葉を切り、深く息を吸い込んだ。その僅かな間に、世界の趨勢が決まった。


『結論から申し上げます。あの映像は……一部の例外を除き、捏造やCGによるものではありません。すなわち、我が国には、そして世界には、現代科学では説明のつかない特殊な能力――通称「異能」を持つ人々が、極めて少数ではありますが、実在いたします』


 会見場が、炸裂した。無数のフラッシュが明滅し、記者たちの怒号にも似た質問が、意味のある言語の形を失って飛び交う。だが、高坂首相はそれを手で制し、言葉を続けた。


『政府は長年にわたり、これら未知の脅威に対し、専門的な知見を持つ非公開組織と連携し、水面下で対処にあたってまいりました。今回の事件は、その異能を悪用するテロリスト集団によって引き起こされたものであり、映像に映っていた若者たちは、太古より存在するハシュマル機関に協力し、命を懸けて脅威と戦い、東京を、そして国民の皆様を守ってくれた、真の英雄であります』


 英雄。その二文字を、僕は脳内で反芻する。え・い・ゆ・う。なんと空虚で、なんと無責任で、なんと悪質な虚偽に満ちた響きだろうか。彼らは理解していない。否、理解することを拒絶しているのだ。僕が振るった力の本質を。僕という存在が、人類史におけるバグであり、削除されるべきイレギュラーであるという厳然たる事実を。この男が口にする「英雄」とは、つまりはこうだ。君は便利な兵器であり、我々の管理下に置かれるべき都合の良い災害である、と。その本質をオブラートに幾重にも包み、大衆受けする甘いシロップでコーティングしただけの、醜悪なプロパガンダ。それが「英雄」という言葉の正体だ。


 僕がしたのは破壊だ。制御できなかった力の暴走であり、取り返しのつかない罪過の積み重ねに過ぎない。守りたかった、などという感傷は、僕の犯した罪を前にしては欺瞞でしかない。僕は加害者であり、この悲劇の元凶の一端を担う、断罪されるべき存在だ。英雄などという滑稽な虚飾は、僕の罪をより一層際立たせるための、悪趣味な皮肉に過ぎなかった。


『……政府は、これまでの隠蔽体質を深く反省し、今後は、国民の皆様に可能な限りの情報を公開し、理解を求めながら、異能を持つ人々との共存の道を模索していく所存です。彼らは怪物でも、神でもありません。我々と同じ、一人の人間なのです……』


 高坂首相のその言葉は、おそらく彼の本心からの、理想に満ちた叫びだったのだろう。だが、その理想が、これから訪れるであろう混沌の世界で、どれほどの意味を持つというのか。

 テレビのスイッチを切る。部屋は、墓石の下にいるかのような、重苦しい沈黙に支配された。


 傍らのスマートフォンが震えた。


『……終わったな。俺たちの日常』


 相葉からの、簡潔過ぎるメッセージ。天井を仰ぎ、目を閉じる。


 ああ、そうだ。終わった。完了した。完膚なきまでに。

 僕が、僕たちが、血反吐を吐きながら守ろうとした、あの陳腐で、退屈で、だからこそ何よりも尊かったはずの日常という名の硝子細工は、木っ端微塵に砕け散ったのだ。


 この日、世界は「真実」という名の厄災を知った。そして僕、神代那縁は、神代那縁であることを許されなくなった。世界は僕という個人の輪郭を勝手に削り取り、その空虚な型枠に「英雄」という名の融解した黄金と、「災害」という名の溶けた鉛を同時に流し込んだ。そうして鋳造された、矛盾を孕むグロテスクな偶像――それこそが、これから僕が背負わされる十字架の正体らしかった。


 これから幕を開けるのが喝采に満ちた栄光の舞台なのか、それとも衆人環視の公開処刑なのか。その問いに答えられる者は、残念ながら、この世界のどこにも存在しない。ただ、僕には確信があった。どちらにせよ、その舞台で主役を演じるのは、もはや僕自身ではないのだ、と。

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