第37話 悪役聖女と王の病
「……父上の、持病のことか……?」
アルフォンス殿下が絞り出した言葉は、雷鳴のように、私の頭を打ち抜いた。
国王陛下の病。それは、公には一切知らされていない、国家の根幹を揺るがす極秘事項。その事実と、ヒロインと侍医の密会という情報が結びついた時、私の背筋を、ぞっとするほど冷たい悪寒が駆け抜けた。
「……場所を、移しましょう」
私は、殿下の手を取り、人目につかない王宮の庭園の東屋へと、半ば強引に彼を連れて行った。
二人きりになった東屋で、殿下は、重い口を開いた。
「父上は、数年前から、原因不明の衰弱に悩まされている。王家最高の侍医たちが診ているが、診断はただの『老化現象』。薬を服用してはいるが、気休めにしかなっていない。日に日に、父上の覇気が失われていくのを、俺は……ただ、見ていることしかできなかった」
その声は、王太子としてではなく、ただ、父を想う一人の息子の、苦悩と無力さに満ちていた。
原因不明の衰弱。それは、私がかつて救った、レンブラント侯爵の症状と、あまりにも酷似していた。恐ろしい仮説が、頭の中で形を成していく。
「……殿下。そのお薬は、毎日服用されているのですか?」
「ああ。侍医頭が、毎日、特別に調合している」
「その侍医頭と、もう一人の聖女様が、密会を……」
私達は、顔を見合わせた。言葉にしなくとも、互いが同じ結論に達したことは、明らかだった。
もし、ヒロインが侍医と結託し、国王の薬に、気づかれぬよう、ごく微量の、しかし確実に生命力を蝕む呪いを、毎日混ぜていたとしたら。
そして、国王が完全に衰弱したその時、彼女が「奇跡の力で、陛下を癒やした」と現れたとしたら。
「アルカナの天秤」の真の目的。それは、国王の命、そしてこの国の権威そのものを掌握し、傀儡の王を立てて、この国を裏から支配すること。
「……許さん」
殿下が、低い声で唸った。その拳は、固く握りしめられ、怒りに震えている。
「だが、証拠がない……!」
彼の言う通りだ。これは、あくまで状況証拠からの推論。国王の薬に呪いが盛られているという物的な証拠がなければ、ヒロインはおろか、侍医頭を告発することすらできない。下手に動けば、こちらが反逆罪に問われる。
「証拠ならば、作ればよろしいのですわ」
私は、静かに、しかし、力強く言った。
「え……?」
「わたくしが、聖女の力で、完全に無害な薬を用意いたします。それに、呪いを中和し、打ち消すための、微弱な浄化の力を込めて。殿下、あなたには、その薬を、本物とすり替えていただくのです」
それは、あまりにも危険な賭け。万が一、国王の体調が急変すれば、取り返しがつかない。だが、殿下の瞳に、迷いはなかった。
「……分かった。やろう」
彼は、覚悟を決めた顔で、私を見据えた。
「もう、誰かに操られ、何も知らぬまま踊らされるのは、ごめんだ。俺が、俺自身の意志で、父上と、この国を守る」
その顔は、もはや「空っぽ王子」のものではなかった。一国の未来を背負う、王族の顔つきだった。
「よろしいでしょう。その覚悟、わたくしが、しかと見届けますわ」
その夜、私は、クレスメント邸の自室に籠もり、聖なる力の全てを注ぎ込み、一瓶の「浄化の薬」を生成していた。これまでにないほど、繊細な魔力のコントロールが要求される、困難な作業だった。
同じ頃、王宮では、アルフォンス殿下が、父である国王の寝室に忍び込み、薬をすり替える、絶好の機会を窺っているはずだ。
ヒロインも、侍医も、そして「アルカナの天秤」も、まだ気づいていない。
この国の運命を賭けた、私達二人だけの、静かで、そして、あまりにも危険な戦いが、今、静かに始まろうとしていた。
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