第33話 悪役聖女と呪いの倉庫
月明かりすらない、新月の夜。
私達三人は、サン・マドリアの港湾地区にそびえ立つ、オルクス商会の巨大なレンガ倉庫の前にいた。
ライナーが、裏社会で培った知識で、警備兵の巡回ルートの死角を見つけ出す。クロードが、アンスバッハ家に伝わる解錠の魔術で、音もなく重い鉄の扉を開ける。私が、聖女の力で、内部に仕掛けられた魔力的な罠の気配を察知する。
三人の間には、もはや言葉は必要なかった。互いの呼吸を合わせ、私達は、巨大な倉庫の闇へと滑り込んだ。
倉庫の中は、表向きは、香辛料や異国の織物といった、ごく普通の交易品が山と積まれていた。だが、奥へ進むにつれて、鼻をつくのは、香辛料の香りではない。濃密な、そしてひどく甘ったるい、呪いの気配だった。
……あった! 巨大な木箱の山に隠されるようにして、地下へと続く、古びた石の階段が口を開けていた。
地下は、想像を絶する光景だった。広大な空間には、まるで工場のラインのように作業台が並び、そこで、街中で売られていた、あの「幸運を呼ぶお守り」や「気力が湧くお香」が、大量に生産されていたのだ。
作業を監督しているのは、フードを目深にかぶった、ローブ姿の魔術師たち。そのローブの胸元には、紛れもない、「アルカナの天秤」の紋章が刺繍されている。
そして、その生産ラインの中心には、巨大な紫水晶のオベリスクが設置されていた。街の人々から吸い上げた夢や活力が、禍々しいオーラとなってオベリスクに集約され、呪具を生み出すための動力源となっている。あれが、「眠り病」の元凶。
「……何者だ!」
私達が息を潜めていた、その時だった。運悪く、巡回していた一人の魔術師に、姿を見られてしまった。
甲高い警報音が、地下空間に鳴り響く。
「侵入者だ! かかれ!」
私達は、一瞬にして、数十人の魔術師たちに包囲された。
「ライナー!」
「おう!」
クロードが防御障壁を展開するのと、ライナーが剣を抜き、敵陣へと突撃するのは、ほぼ同時だった。私は、二人の後方から、浄化の光弾を放ち、彼らを援護する。
だが、敵の数が多すぎる。その時、構成員たちをかき分けるようにして、一人の男が、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。他の者たちとは違う、豪奢なローブ。そして、その顔は、銀の仮面で覆われている。
「ほう……。自ら餌場にやってくるとはな。クレスメントの『影の器』よ」
仮面の男は、私の正体を、初めから知っているかのような口ぶりだった。
彼が、軽く指を振る。すると、地面から、黒い呪いの茨が、クロードとライナーの足に絡みついた。
「くっ……! これは……!」
動きを封じられた二人を見て、私は焦った。
仮面の男は、そんな私達を嘲笑うかのように、中央のオベリスクにそっと手をかざした。
「この街から集めた、甘美な『夢』の力、存分に味わうがいい!」
オベリスクが、禍々しい紫色の光を放つ。次の瞬間、地下空間全体に、甘く、そして抗いがたい、強力な催眠効果を持つ霧が、急速に立ち込めていった。
「まずい……眠気が……」
クロードの声が、かすれる。ライナーも、膝から崩れ落ちそうになっていた。
私自身も、強烈な眠気に襲われ、意識が急速に混濁していく。瞼が、重い。思考が、まとまらない。
脳裏に、前世の、残業続きで疲弊しきっていた、最も辛かった頃の悪夢が、フラッシュバックする。
(駄目……ここで、眠ってしまったら……!)
仮面の男の高らかな笑い声が、遠くに聞こえる。
抗うこともできず、私の意識は、深い、深い、眠りの底へと、沈んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます