第34話 悪役聖女と目覚めの一撃

 深い、深い、眠りの底へ。

 抗いがたい眠気に引きずり込まれた私の意識は、懐かしく、そして、思い出したくもない光景の中にいた。


 無機質なオフィス。鳴りやまない電話のコール音。モニターの青白い光が、疲弊しきった顔を照らし出す。終わらない仕事、上司の罵声、積み重なる疲労と絶望。前世の、社畜時代の記憶。私の心を、最も容易く折ることができる悪夢。


『もう、頑張らなくてもいいのですよ』


 どこからか、甘い囁き声が聞こえる。


『このまま、眠ってしまえば、楽になれるのですから』


 そうだ。もう、疲れた。戦うのも、考えるのも。このまま、全てを投げ出して、眠ってしまえたら……。私の魂が、その悪夢に屈し、永遠の眠りに身を委ねようとした、その時だった。


『――おい、リディア!』


 その悪夢を、無遠慮に、そして力強く引き裂くように、聞き覚えのある不遜な声が響き渡った。


『いつまで惰眠を貪っているつもりだ! お前が、その程度でくたばるような女だとは、この俺が認めんぞ!』


 アルフォンス殿下……? なぜ、彼の声が? そうだ。サン・マドリアへ発つ前、彼が「万が一の時のための、王家のお守りだ。有り難く受け取れ」と言って、一つのペンダントを寄越したのだった。ただの嫌がらせかと思っていたけれど、まさか、緊急用の通信機能と思念増幅機能がついていたなんて。


(……なんて、うるさい王子……!)


 悪態をつきながらも、不思議と、心が奮い立つ。彼の傲慢で、しかし、どこか真っ直ぐな声が、沈みかけていた私の意識を、強く、現実に引き戻してくれた。


 ばちん、と脳内で何かが弾ける感覚。

 私は、悪夢を自力で振り払い、覚醒した。私の魂が持つ「影の器」としての性質が、精神攻撃に対して、強い耐性を持っているのかもしれない。

 目を開けると、すぐ目の前まで、仮面の男が迫っていた。クロードとライナーは、まだ呪いの霧の中で、苦しそうに膝をついている。


「ほう……この霧の中で意識を保つとはな。さすがは『器』。だが、もはやこれまでだ」


 勝利を確信した彼が、私に手を伸ばす。だが、遅い。私は、この状況を打破する唯一の方法を、もう見抜いていた。

 残された、最後の力を振り絞る。朦朧とする意識の中、全ての魔力を杖の先端に集束させ、あの巨大なオベリスクへと狙いを定めた。


「わたくしを誰だと思っているの……!」


 叫ぶ。それは、目の前の敵に、そして、悪夢に屈しかけた、自分自身に対する、決別の叫びだった。


「悪夢なら、前世で、もう飽きるほど見てきたわ! 《黎明の号砲モーニング・ロアー》!」


 放たれたのは、浄化の光ではない。「眠り」を強制的に「覚醒」させる、夜明けの光。

 光の矢が、オベリスクに直撃した瞬間、甲高い悲鳴のような共鳴音が響き渡った。オベリスクは、内部に溜め込んでいた膨大な「夢」のエネルギーを制御できなくなり、凄まじい光と共に、木っ端微塵に砕け散った。


 呪いの源が破壊され、地下空間を覆っていた甘い霧が、嘘のように晴れていく。


「……はっ!」「……ここは!?」


 クロードとライナーが、同時に目を覚ました。


「馬鹿な!? オベリスクが……!?」


 仮面の男が、予想外の事態に、激しく動揺している。構成員の魔術師たちも、混乱の極みにあった。形勢は、完全に、逆転した。

 私は、ふらつきながらも、再び杖を構え、仮面の男をまっすぐに睨みつけた。


「さあ、第二幕の始まりですわ」


 クロードとライナーも、即座に状況を理解し、私の両脇を固めるように剣を構える。

 追い詰められた仮面の男は、懐から、何か黒い宝玉のようなものを取り出した。


「小賢しい真似を……! こうなれば、やむを得ん!」


 彼が、その宝玉を発動させようとした、その時だった。


 ドガアアン! と、地下室の入り口の扉が、外から破壊された。そして、武装した屈強な騎士たちが、怒涛の如く、なだれ込んでくる。


「そこまでだ、逆賊ども!」


 その先頭に立つのは、見間違えようもない。太陽の騎士団団長、ガウェインその人だった。


「なっ……太陽の騎士団!? なぜ、お前たちがここに!」


 仮面の男が、絶叫する。


「我らが主君、リディア聖女様の危機とあらば、地の果てまでも駆けつけるのが、我ら太陽の騎士団の忠誠よ!」


 ガウェイン団長の言葉に、仮面の男は「くっ……覚えていろ!」と、典型的な捨て台詞を吐くと、足元に煙幕弾を叩きつけ、その姿をくらませた。

 後に残されたのは、あっという間に制圧された「アルカナの天秤」の構成員たちと、そして、予想外すぎる援軍の登場に、呆然と立ち尽くす、私達三人だけだった。

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