第29話 悪役聖女と解放の旗

『忠誠ヲ!』


 四方八方から、呪われた騎士たちの鬨の声が上がる。

 逃げ場のない闘技場の中心で、私は、次々と襲い来る嘆きの騎士たちを、必死に打ち払っていた。

 聖なる光の一撃が、錆びついた鎧を砕く。だが、一体倒せば、観客席に座る無数の亡霊たちからの「呪いの声援」を受け、また一体が蘇る。

 終わりが見えない、泥沼の消耗戦。じりじりと、私の体力と魔力だけが削られていく。


 戦いの最中、私は気づいていた。彼らの剣には、憎悪や殺意といった、生々しい感情が乗っていない。ただ、「忠誠を示さねばならない」という、強迫観念にも似た義務感だけが、彼らを操っているのだ。彼ら自身もまた、この終わりのない戦いに、その魂を苦しめている。


(このままでは駄目……! 彼らを力でねじ伏せることは、本当の救いにはならない!)


 私が浄化すべきは、この騎士たちではない。彼らの魂を縛り付けている、「呪い」そのものだ。


 私は、攻撃の合間を縫って、闘技場全体を注意深く観察した。そして、見つけたのだ。闘技場の東西南北、四方の壁に、それぞれ古びた旗が掲げられているのを。いずれも、黒い茨のような呪いに覆われ、描かれた紋章も色褪せてしまっている。


 ……あれだ! ゲームの記憶が、閃光のように蘇る。

 この「忠誠のコロッセオ」を攻略する鍵。それは、騎士たちの魂を縛り付けている、四つの「歪められた信条」を解放すること。

 私は、嘆きの騎士たちの猛攻を掻い潜り、最も近くにあった東の旗の元へと全力で走った。

 旗に手を触れると、ひやりとした、邪悪な冷気が伝わってくる。私は、構わず、残された浄化の力を、その一点に集中させた。


「あなた方の忠誠は、盲目的な服従ではないはず!」


 私の叫びに応えるように、手のひらから、まばゆい光が溢れ出す。


「王家への真の忠誠とは何か、その誇りを、今こそ思い出しなさい!」


 光が、旗を覆っていた黒い茨を、聖なる炎となって焼き尽くす。すると、旗は本来の輝きを取り戻し、そこに描かれた「王家の獅子」の紋章が、鮮やかに浮かび上がった。

 その瞬間、観客席を埋め尽くしていた亡霊たちの一部が、苦しみの表情から、どこか解放されたような穏やかな顔つきに変わり、すっと光の粒子となって消えていく。闘技場の中央で私に襲いかかっていた嘆きの騎士の数も、明らかに減っていた。


 これだ。これが、この呪いを解く、唯一の方法。


「次ですわ!」


 私は、二つ目の旗……「民への奉仕」を象徴する麦の穂の旗へ。三つ目の旗……「騎士としての誇り」を示す剣の旗へ。次々と、呪われた旗を解放していく。

 その度に、観客席の亡霊は数を減らし、闘技場を覆っていた重苦しい呪いの空気も、少しずつ晴れていった。


 これまで玉座から動かなかった呪縛の王が、その状況を見て、初めて焦りの声を上げた。


『我らが誓いを、偽りの言葉で惑わすな!』


 彼が巨大な呪いの剣を、私めがけて投げつけてくる。私は、それを紙一重でかわし、最後の四つ目の旗……「仲間との絆」を表す、握手する手の紋章へとたどり着いた。


「偽りなのは、あなたの方よ!」


 浄化の光を放ちながら、私は叫んだ。


「その尊い忠誠心を呪いに変え、騎士たちの魂を永遠に縛り付ける、哀れな王様!」


 私の言葉と共に、最後の旗が、ひときわ強い輝きを放った。

 その瞬間、観客席にいた全ての亡霊が、満足げに、そして、どこか感謝するように、一斉に光の粒子となって天へと昇っていく。

 闘技場に満ちていた「呪いの声援」が止み、動きを止めた嘆きの騎士たちも、砂のように崩れ落ちていった。


 静寂が、戻る。広大な闘技場には、私と、そして、全ての支えを失い、孤立無援となった呪縛の王だけが残されていた。


『オオオオオオオオッ!』


 彼の黄金の鎧に、無数のヒビが走り、そこから黒いオーラが激しく漏れ出す。怒りと、苦しみに満ちた、最後の咆哮。私は、静かに杖を構え直した。


「いよいよ、あなたとの一騎打ちですわね」


 悪役聖女と、呪われた忠誠の王。最後の戦いの幕が、今、上がった。

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