第30話 悪役聖女と呪縛の王
観客が消え、役者が消え、静寂に包まれた「忠誠のコロッセオ」。
舞台の上に残されたのは、私と、そして、全ての拠り所を失い、怒りと苦しみに身を震わせる「呪縛の王」、ただ二人。
彼は、これまでの静観が嘘のように、猛然と私に襲いかかってきた。巨大な呪いの剣が、空気を切り裂き、重い一撃を繰り出してくる。私は、消耗した身体に鞭を打ち、その猛攻を必死に回避する。一撃でも食らえば、ただでは済まない。
戦いの最中、呪縛の王は、まるで
『我らは、ただ、誓いを守り続けてきただけだ……! この身が朽ち果てようと、この魂が呪いに染まろうと、王家を守り抜くことこそが、我ら太陽の騎士の誉れ……!』
それは、ガウェイン団長をはじめとする、騎士たちの悲痛な心の叫び。
私は、この呪いの根源が、彼らのあまりにも一途な忠誠心と、逃れることのできない運命への諦め、そして、行き過ぎた自己犠牲の精神にあることを、はっきりと理解した。
このまま、彼を力で打ち破っても、本当の救いにはならない。彼らの魂を、この呪縛から、根本的に解放しなければ。
私は、意を決した。回避に徹していた動きを止め、敢えて、呪縛の王の前に、すっくと立ち塞がったのだ。
『……なぜだ。なぜ、抵抗せぬ』
戸惑う彼に、私は、杖を下げ、静かに語りかけた。
「その忠誠は、紛れもなく本物です。気高く、何よりも尊い。ですが、自らを呪い、その魂を滅ぼすことの、一体どこに誉れがあるというのですか!」
私の言葉に、呪縛の王の動きが、わずかに揺らぐ。
「あなた方が真に守るべきは、王家だけではないはず。あなた方自身の命も、その誇り高き魂も、等しく守られるべきものです!」
『……だ、まれ……』
「あなた方の主君が、家臣が呪いに苦しみ、滅びていく姿を、本当に望んでいるとでも!?」
私の最後の問いが、彼の動きを、完全に止めた。
今だ! 私は、残された全ての魔力を、最後の浄化の奇跡へと注ぎ込む。それは、破壊の力ではない。歪んでしまった心を、あるべき姿へと還す、聖女としての本質的な力。
賛美歌のような、清らかな光が、私の身体から溢れ出す。
「《
光の波動が、呪縛の王を攻撃するのではなく、ただ優しく、労わるように、その全身を包み込んでいった。
彼の身体から、黒い茨のような呪いが、音を立てて剥がれ落ちていく。禍々しいオーラは消え去り、その下から、本来の、太陽のように輝く黄金の鎧が姿を現した。
苦悶に歪んでいたその顔が、次第に、安らかなものへと変わっていく。
『……そうか。我らは……間違っていた、のか……。誉れとは、呪われることでは、なかったのだな……』
最期の言葉は、悔恨ではなく、安堵に満ちていた。
呪縛の王は、満足したようにそっと目を閉じると、その巨体を、無数の温かい光の粒子へと変え、静かに消えていった。それと同時に、コロッセオ全体が聖なる光に満たされ、世界が白く染まっていく。
意識が、現実へと帰還する。目を開けると、そこは、古びた礼拝堂。目の前には、ガウェイン団長と、数名の騎士たちが立っていた。彼らの顔には、涙が溢れていた。しかし、その表情は、これまで見たこともないほど、晴れやかで、穏やかだった。彼らの身体を覆っていた、あの黒い呪いの澱は、跡形もなく消え去っている。
「……身体が、軽い。まるで、生まれたての赤子のように……」
ガウェイン団長が、自身の掌を見つめ、呆然と呟いた。
「長年、我らを縛り付けていた、あの忌まわしい鎖が……消えた……」
次の瞬間。団長を筆頭に、その場にいた全ての騎士たちが、私の前に、一斉に、そして深く、膝をついた。騎士としての、最高の敬意を示す礼。
「リディア聖女様! 我ら太陽の騎士団、このご恩、生涯忘れません! 我らの剣、我らの魂は、今この時より、あなた様のために!」
(……また、忠臣が増えてしまった……! もう、わたくし、忠臣コレクターになるつもりは、これっぽっちもないのですが!?)
内心で頭を抱える私の姿を、礼拝堂の入り口から、アルフォンス殿下が、ただ、呆然と見つめていた。彼がそこに見たのは、もはや、ただの悪役聖女ではない。
この国の最強騎士団を、そのカリスマと奇跡の力で、完全に掌握した、一人の指導者の姿だったのかもしれない。
本当の戦いは、まだこれからだ。だが、私は、巨大な陰謀に立ち向かうための、最強の「剣」を、今、確かに手に入れたのだ。
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