副作用(三)前
ベイドに礼を言い、寂しがるニコに「また来るから」と約束をすると、三人は店を後にした。
大通りに向かい迷路のような小道を歩いていると、頭上をバサバサと騒がしい羽音が通り過ぎる。
見れば一匹の鷹が、冬の寒空を撫でるようにゆっくりと羽撃いていた。
灰色の翼に、長い尾羽。ここら辺に住み着いている小柄な若鷹だ。好奇心が高いのか、争い事を見るのが好きなのか……あれが旋回して長く留まる場所では、良くない騒ぎが起きている事が多い。
――暇そうに餌を探して飛んでいるところを見ると、今のところ異状はないのだろう。
後ろを歩くオスカーも鷹の姿に気が付くと、空を見上げたまま「そう言えば……」と呟いた。
「ルッソの……『ヘルクリス』の動きが大人しいです。少し前までよく縄張り内のΩに手を出していたのに、最近はめっきり減りました」
「確かに!前は娼館にも度々冷やかしに来ていたけど、部下の姿すらあまり見てません。奴ら……何か企んでいるんでしょうか」
ルッソの名にエンツァはギッと顔を歪める。呪いの文でも見てしまった反応だ。
……製紙工場の誘拐以来、しつこくΩを襲っていたルッソの手駒が羊のように皆揃って大人しくなった。時折、縄張りに入ってくる輩もいるが、今までと比べたら居ないに等しい。
――彼奴は目立つのが好きだ。何か事件を起こす前は、わざと身を潜めて事を大きく見せようとする癖がある。厄介な計画を目論んでいる可能性は高かった。
「……かも知れないな。街のΩも、この一年で随分増えた。いつ人攫い目的で乗り込んできても可笑しくない。
黒い瞳を伏せながら、胸ポケットから煙草を取り出す。
ライターに火を付け、咥えた煙草に移す綺麗な横顔をエンツァは眺めながら……その鋭い目の下に浮かんだ疲れが、昨日よりも濃くなっているのに気が付いた。
少しだが……ボスは色白だから分かりやすい。徹夜でもしたんだろうか……。
「ボス……昨日ちゃんと寝ましたか?」
「い、や……なぜ?」
「隈が濃くなってますよ。何してたんですか」
そう言いながら、ピッと立てた人差し指で目の下を指摘される。……いつだったか、エマにも同じような事を言われた気がした。目は見えるから問題ないのに。
――昨日の夜は、飲めなくなってしまったシレーナを何とか体に入れようと躍起になって……酷い吐き気とショックで、遅くまでベッドの端に
二人には伝えといた方がいいかと、口を開いたが……乾いた喉が引き攣り、声が出なかった。
飲んでいた抑制剤が受け付けなくなったなんて、体質が変わった以外あり得ない。エディに噛まれて……あの男のΩへと体を書き換えられた。そんな情けない話を、仲間に言いたくない。言ったところで、どうしようもないだろう……無駄に心配をかけるだけだ。
「少し、外に行って」
「……外へ?」
「どちらへ行ったんですか」
「西の森に」
「は?え……な、なぜ」
「狩りをしに」
「「何故!?」」
オスカーとエンツァは唐突の告白に絶えず「?」を浮かべている。
狩に行ったのは本当だ。一人でいる部屋の静けさと、暗闇の中で目を閉じていられず……気付けばそこから逃げるように、真夜中に家を出ていた。
自分でも突拍子のない事をしたと思う。
早朝に鹿を獲ったが……子連れの野犬に
まだ付き合いが長いエンツァは多少慣れていたが、王都出身で元軍人のオスカーからすると、夜の森に一人で行くなんて考えられなかった。
サッとその顔を青く染めると「危ないでしょうが!」と叱り付けたい気持ちを抑えて、小さいため息を吐く。
「ボス、夜中に一人で森に行くのは危険ですよ。寒いですし……どうしても行きたい時は自分を連れて行ってください」
「そうか……なら今度一緒に行こう」
「はい、そうしましょう。……え?」
「皆行くなら私も行きたいです!」
パッと振り返ってオスカーを見上げる、セヴェーロの表情は少し嬉しそうだった。エンツァも行きたがると「なら昼間にしよう」と目を細めてはにかんでいる。
――一人で狩に行きたかったわけじゃないのか。……全く、読みづらい人だな。
オスカーは軽く額を掻いた。その緩んだ笑みを見ていると、勝手に森へ行った不満も風に吹かれたようにどこかへ飛んで行ってしまう。
いや、元々……この聡明そうで、黙っていると冷たい雰囲気のある高貴な人は、間違いなく仲間が好きで根っからの寂しがりやだ。
何か他に……森へ行く理由があったのかもしれない。
――ボスに話す気がないのなら、本心を探るような考えは持つべきじゃない。
だが、不意にその鋭い目に不安の色が見えると……αの庇護欲がズクズクと刺激されて胸が痛くなる。頼ってもらえないもどかしさに、本能が嘆いているようだった。
……しばらく道なりに進んでいくと、二股の分かれ道で右に曲がり、廃墟の住宅街を通り過ぎた先に大通りが見えてくる。
大きな荷を背負った商人や、忙しなく車輪を回す馬車、馬に乗った旅人と……王都と他国を繋ぐこの通りは大抵騒がしい。
反対の通りに向かって歩いていると、後ろから、黒い布で覆われた小さな荷馬車が走り抜けていった。風で捲れた布の隙間から、一瞬ボロ布を纏った人の姿が見える。
――人買いの馬車だ。
「……Ωでしょうか」
同じように隣で見ていたエンツァが呟いた。
車輪で砂を散らしながら、荷馬車は変わらない速さで北へと向かい小さくなっていく。
「どうだろうな……」
Ωだったとしても、あれは親や親族から売られた商品で助けられる物じゃない。……人買いの馬車を襲えば、その報復はきっと街のΩに向かうだろう。救えるものには限度がある。全てに手は伸ばせない。
大通りから離れようとしたところ、広い煉瓦の道に騒がしい馬の足音が響いた。その硬い
土埃を巻き上げながら三人のすぐ目の前で馬はブレーキをかけ、甲高い鳴き声と共に立ち上がった。たてがみを振り回し、前足で宙を掻く馬の姿にエンツァは悲鳴を上げると、オスカーが素早く少女の肩を抱き寄せる。
「よぉ元気そうじゃねぇか。兄弟」
「……ルッソ」
先頭の馬に跨っていた人物を睨み上げた。
トカゲのような顔立ちに、ギョロっとした窪んだ目元。意地の悪い笑みを浮かべた男は、上機嫌に三人を見下ろしていた。
「何をしてる」
セヴェーロの険しい声が響く。ルッソは逞しい馬の背からその姿を嘲笑った。
「あぁ?見てわかんねぇか。出掛けてんだよ」
「ここは俺の縄張りだ。お前が入ることは許可していない」
「はっ!Ωの孕み袋が、テメェの殺した番から奪っておいてよく言うぜ。何時までもその座に居られると思うなよ!」
ニッと横に伸びた口が意味深げに笑う。
自信に満ちた物言いに、セヴェーロは奥歯を噛み締めた。
――何を企んでいる。
「お前が……俺を引き下ろせると」
左腰のホルスターから銃を引き抜いた。何とも言えない不安感が自然と焦りを募らせる。
「その黒馬はいくらだった?後悔したくなかったら今すぐ消えろ」
「チッ……相変わらず、血の気が多くて
――前のアジト?俺の部屋……?なんのことだ。
身に覚えのない話に眉間へ皺を寄せる。
「何を言って」
「もう、忘れたのか?Ωってのは本当にバカしかいねぇんだな」
ルッソは自身の荷物から何か黒っぽい物を手に取った。一瞬銃かと思ったそれはジャラッとした重い音を立てる。
「てめぇがエディとヤってた部屋だよ」
耳障りな鉄のぶつかる音が鼓膜を揺すった。見れば、足元に赤黒く錆びついた鎖手錠が落ちている。
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