副作用(二)後

「あぁ、おかえり。ニコ、お使いありがとね」


 ベイドが話し終える前に、ニコの手から袋がボトッと床へ落ちた。

 ワナワナとキツく結んだ口を震わせ、可愛い顔を赤く染めている。


 ――しまった!とオスカーは身を固めた。

 ニコがボスを独占的に好きなのはよく知っている。そして俺のことはあまり好きじゃないのも分かっていた。


 その明るいオレンジ色の瞳は、嫉妬の熱がユラユラと揺れているみたいだ。


「うっ……オスカ、苦しい」


 思わず力が入ってしまった腕の中から、呻き声が聞こえる。

 「すみません!」と視線を手元に移した時、ニコはオスカー目掛け走ってくると、自分の腰ほどまであるすねを勢いよく蹴り付けた。


 一体どこで脛蹴りなんて覚えたのか。驚いて「痛ぁ!?」と声を上げながらボスから手を離すと、その隙にニコはセヴェーロの腰へと飛び付いた。


 愛らしい顔でボスを見上げている。急所を蹴ってきた表情とは大違いだ。


 そんな事は露知つゆしらず……オスカーの巨体で視界を阻まれ何も見えていなかったセヴェーロは、突然現れたニコの頭に手を乗せた。足元には、何故か脛を押さえてひざまづいているオスカーの姿がある。


 その流れを目で追っていたエンツァは、ニコの勝ち誇った顔とオスカーの何とも言えない複雑な表情に「ンフフっ」と吹き出してしまった。


 ニコはボスが拾ってきて助けた子だ。声が出せないのもあってボスも特別目をかけているから、中々ニコには強く出れないオスカーの気持ちも分からなくなかった。

 でも、ここまで嫌われているのはオスカーだけだ。


「ニコちゃんも、ボスにハグして欲しかったんだね」


 そう言えば、ボスの足にしがみつきながら小さな男の子はコクコクと素直に頷く。妖精みたいでとっても可愛い。

 セヴェーロはニコの手を取りその場にしゃがむと、小さな肩をそっと抱き寄せた。


「こっちの方が暖かい」


 トントンと軽く背中をさすられると、幼い頬がぽぽぽっと赤く色付く。

 うーん、これは……ボスには『純情無垢な可愛いニコ』としか映っていないだろうけれど。間違いなく、恋する乙女の獲物を狙った表情だ。


 完敗を察したオスカーは、フラフラとその場に立ち上がった。

 ニコを抱き上げながら、セヴェーロはオスカーの顔を見上げる。


「今ので効果はあるだろうか?」

「いえ……流石に時間が短いです。常に一緒にいるならまだしも、離れるならあまりないかもしれません」

「そうか……」


 ――待て、一緒にいるだけでも多少効果があるのか。


「それなら最初からオスカーも取引に付いてくれば、別に服も長いハグも必要ないんじゃないか?」

「ガスサレムとの取引に、俺もですか」


 オスカーは驚いて声を詰まらせた。ガスサレムは信用における『人物』を相手にしか取引をしたがらない。それは同じファミリー内でも『人』が違えば警戒された。

 それなのに、自分が付いて行って問題にならないだろうか……。


「ガスサレム語も勉強してるんだろ?」

「えぇ、まぁ……一応」

「俺から先に話を通しておく。オスカーなら問題ない」


 相当の信頼がなければ、ここまではっきり言ってはくれないだろう。部下としてこんなに名誉なことはない。その手を取って礼を言いたかったが……ボスの腕に抱えられた小さな護衛から睨まれ、おずおずと引き下がるしかなかった。



━━━━━━━



 ベルティは崩れかけた廃墟の屋根から、戦争の跡が残る街中を見ていた。

 恐らく、この家とその敷地の広さからかなりの豪邸だったのだろう。今は屋根や壁も所々破壊され、盗人に部屋の隅まで荒らされた室内は、そこらにある小さな廃墟よりボロボロで朽ちている。


 テナイドを支配する二大マフィア『フェクダ』と『ファイ・ヘルクリス』の縄張りに付いて調べを進めていた。

 興味も対してなかったが……国王と軍の上層部は元々国の一部だったテナイドの現状を知りたがっている。その内また共和国と再戦して、この街を領土に戻すつもりなんだろう。


 ――そしたら、街のΩは皆、王国の支配下に逆戻りだ。

 セヴェーロは……戦争になったらどうするんだろうな。


 スンスンと鼻を鳴らした後……ベルティは何かに気が付いて、辺りを探すように見回した。


「どうしたんですか。ベルティ大尉」

「いや……何か、さっきからセヴェーロの場所が分かりづらくて」

「鼻詰まってるんじゃないですか」

「違うよ。それにフェロモンは匂いだけで感じる物でもないだろ」


 へぇ、とヴィラは意外そうに呟く。自分はΩのフェロモンを匂い以外で感じたことがなかった。それとも、運命は他のΩと感じ方が違うのか。


「『運命の番』の居場所が分かるって、どんな感じなんですか?」

「……表現しづらいけど、相手の所まで糸が繋がって見えてる感じかな。でも、今は途切れて見えづらくなってる」


 ベルティは何もない場所を指差し、波打つような線を描いた。そこに『運命の糸』でもあるのだろうか。


「大尉から身を隠す、いい方法に気が付いたんじゃないですか。向こうにも丁度αがいますし」

「……セヴェーロが部下の服で身を隠してると?」

「それが一番有効でしょうね」

「これだから、近くに別のαがいるのは嫌だったんだ」


 レンガが割れた屋根の上で器用に立ち上がると、先ほど示した糸の方へと歩いていく。足元で砕けた瓦礫が、カチャカチャとしつこく音を立てた。


「街に出てくる」

「探すんですか?場所も分からないのに」


 いつも側にあった物が、不意になくなったら落ち着かないだろう。それが気に入っている物だったら尚更だ。

 ベルティはヴィラへ振り返ると、その顔に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「報告書までまとめといてくれ」

「ちょっ……ベルティ大尉!俺に全部押し付ける気じゃ」


 ――トン、と美しい金の髪をなびかせて屋根から降りると、大尉は別の屋根へと人間離れした脚力で飛び移っていく。まるで家々の間を飛んでいく鷹のようだ。


 ……とても自分の足では追い付けないな。

 すぐに見えなくなってしまった主人の姿に、ヴィラはその場へ腰を下ろした。まさかあの仕事人間が、軍の指令よりもΩを優先するなんて……これが『運命のΩ』が放つフェロモンの効力なんだろうか。


 大尉もよくΩとの見合の話が入る度に『理性よりもαの本能が上まるほどのΩと番たい』と愚痴っていたし……今の状況を結構楽しんでいるのかも知れない。


「――でもなぁ……ベルティ大尉。絶対、抑制剤飲む量増えたよな」


 肺の奥からため息を吐いた。

 あのΩを力尽くで番にしても、殺しに来かねないと踏んだ大尉の選択だが……可笑しな話だ。やっと本能が求める相手を見つけたというのに、逆に薬で抑えつけているのだから。


 ――元々αの性質が強い人だから、強い抑制剤しか飲んでいない。その量が増えたんだから体は相当辛いはずだ。

 いつか体調を崩すか、本能が暴走するか……面倒事になる前に、番に出来たら良いけれど。


 再び口先から息を吐き出す。

 それでも欲しがっているのだから、よっぽど良い匂いなんだろう……あのΩのフェロモンは。

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