副作用(二)前

「大尉がどこに行ってもいる……」


 暖炉で暖められた店内に、セヴェーロの絶望混じった声が落ちた。木製のテーブル席に腰を下ろし、弱ったように左手で額を押さえる。

 両隣にはエンツァとオスカーが、同じような険しい顔で腕を組んで座っていた。


 三角屋根の小さなカフェ『カーメロ』は行きつけの店でもあり、三人にとって大切な情報交換の場でもある。アジトに集まっても良いのだが、ここに来れば店主であるベイドの美味しい珈琲が飲めた。


 普段は入り口のドアに店名が書かれたの木の板が下げられているが、今は『close』の文字が掛かっている。


「困ったねぇ……まさか彼らとのやり取りを見られるなんて」


 トレーに乗せた珈琲を三人の前に並べながら、ベイドは「どうしようか」と呟いた。


 娼館はもちろん、店先や縄張り内を歩いていても突然どこからともなく現れる。

 今度ガスサレムと大きな取引も約束していた。もし大尉に現場を見られて邪魔をまされたら……下手をすれば今まで築いて来た相手との信頼関係を失ってしまうかもしれない。


 絶対にそれだけは避けたい……。


「どうして居場所がわかるんだ」

「尾行されていたんでしょうか……。私たちで後を見張ってみますか」

「いや、俺もそう思って背後には注意してたが、付けられてる感じはしなかった」


 先ほど取引の相談中に現れたのも、ほとんど話が終わった後だった。付けていたなら最初からそこにいたはず……。まるで、自分の場所が大尉に筒抜けているようで気味が悪い。


 エンツァと一緒になって頭を抱え唸っていると、オスカーが組んでいた腕を解いてテーブルに乗せた。


「……もしかしたら、大尉はフェロモンの匂いを追ってきているのかもしれません」

「俺の……?そんなに、Ωの匂いがするのか」

「いえ、近くにいないと分かりませんよ。ですが『運命の番は惹かれ合う』と言います。大尉には何か感じられるのかもしれません」


「恐らくですが……」と最後に推測の言葉が貼られる。

『運命の番』自体滅多にない事なので、どれだけ仮説を立てても結局憶測でしか話せなかった。


「大尉は匂いに釣られているだけで、俺を探しているつもりは無かったとかは有り得るか?」

「いいえ、多分ボスのフェロモンだと認識していると思いますよ。じゃなきゃ花の蜜を探して飛び回る虫と一緒です」


 一瞬、蝶の羽が生えた大尉の姿を想像する。すでに見た目が派手だから似合うかもしれない。

 だがこれに追いかけられたくはないな。


「……何か、身を隠す方法はないか」

「そうですね……。違うαの匂いを身につけると、そのΩの匂いが分かりづらくなったりはします」


「それだ」


 αのオスカーが言うなら間違いない。

 丁度、珈琲に手を付けたチョコレート色の瞳をセヴェーロは見上げた。


「オスカー、お前のシャツを貸してくれ」

「はぇっ……!?」

「嫌か?」


 カチャンと音を立てたコップの中で珈琲が波打つ。

 普段、固く結んでいるような口から聞いたことのない高い声が漏れた。


 そんなに引かれると思ってなかった。やっぱりΩ臭いからだろうか……。

 セヴェーロは寂しげに眉を下げる。仕方がないとは言え、ちょっとショックだった。


「いえっ、そうじゃなくてっ!その……αが、Ωに対して自分のものをあげたり、着せたりする行為は、一種のマーキングなんですよ。他のαに対して、自分のものだから手を出すなっていう意味合いがあるんです」


 慌てて手を振りながら「嫌なわけじゃないですよ!」と顔を赤らめる。

 αの本能の一つである『独占欲』を満たす方法が、うなじを噛む以外にあるとは知らなかった。


 確かに……大尉に見つかった時、関係を勘違いされオスカーに敵意を抱かれても困る。

 何となくだが、大尉はヴィラ中尉以外のαを嫌っている気がした。製紙工場で初めて会った時も、オスカーがαだと分かった途端何の迷いもなく銃を向けている。


「嫌ではないんですけど、俺がするのはっ、その、おこがましいというか」

「なら止めておこう」

「あっ……は、はい」


 断られたら、断られたで少し悲しいものがあった。

 オスカーは大きな肩を落として、淹れたての熱い珈琲を啜る。


 そんなオスカーの気持ちを知ってか知らずか、エンツァが「そうだ!」と言って手を叩くと自身の名案に目を輝かせた。


「匂いが付けばいいなら、ハグでも良いんじゃない?家族ならハグぐらいするでしょ」

「ああ、そうだね。身につけるよりは効果が薄いかもしれないが、試してみる価値はありそうだ」


 博識なベイドからのお墨付きも貰い、「なるほど」とセヴェーロは席を立つ。ボスが立つなら、オスカーも立ち上がらないわけにはいかない。


 ……まぁ、ハグなら大した事じゃない。前にも体調を崩したボスを抱き上げたことがある。

 これは大尉からボスを守るための作戦なのだから、あまり自分が身構えるのもおかしな話だ。


 そう思い色白の整った顔に視線を落とした。

 セヴェーロは両手を広げると、オスカーを見上げ、スッと目を閉じる。


「ん」


 ――「ん」じゃない。それはどう見てもキス待ちの姿勢なんです。


「っ……ボス、目は閉じないでいいですよ」

「やりづらくないか?」

「閉じてた方がやりづらいです」


 緊張するからそっちから来てください。と言いたいが、何だかんだこの人は受け身なのだ。戦う時は真っ先に敵へ向かっていくのに。

 だが……このまま立ちっぱなしで何もしないというのも、部下として、αとしても駄目な気がした。やはりリードぐらいしなければ。


 そっと腕を上げ、ボスの細い肩に手を置いた。

 滑らかなラインをなぞって軽く二の腕を掴むと、前にアジトで感じた甘く優しい香りが頬を撫でる。

 ……この匂いが遠くに居ても感じるなら、探したくなる気持ちも分からなくなかった。上から覆い被さるように身を寄せると、小さな背中に手を回す。


 ――ギィッと背後からドアの開く音が聞こえ、驚いて振り返った。

 店の玄関側へ目を向ければ……麻袋を両手に抱えた小さな男の子が、その大きな目を見開いてこちらを見つめている。

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