副作用(一)後

「……ところで、どこに向かっているんですか?」


 気が付けば迷路のような細道を歩いていた。

 テナイドは大通り以外、抜け道が多く覚えづらくて仕方がない。


「ここら辺にいると思うんだけど……ああ、見つけた」


 曲がり角で立ち止まると、ベルティは壁で身を隠しながら道先に目をやった。ヴィラも同様に後ろから覗き込むと、遠くの方にコートを羽織ったセヴェーロの姿が見える。


 背後には崩れかけた木製の家が建ち、その家を避けるように歪な形をした路地が二手に続いていた。


「どうして、ここにいると?」

「運命の感かな」


 ――なるほど。感というよりは番を求めるαの本能だろう。意識的に相手のフェロモンの匂いを追っている。……とは言え、ここまで正確に遠くにいるΩの場所を当てられるのは、相当αの血が濃くなくては出来ない芸当だ。


「あれ……誰だ」


 セヴェーロを見ていたベルティの目つきが変わった。

 その隣にいつもの部下の姿はなく、杖を付いた老人らしき男が立っている。茶色のキャスケットを被り、厚手のコートを口元まで覆っていた。

 この距離では二人の声は聞こえない。こんな人目から隠れた場所で、何の話をしているのか……。


 ベルティはセヴェーロの唇の動きに目を細めた。

 ――アルフェラッツ王国の言葉ではない。


「ヴィラ、どこの言語か分かるか」

「…………ガスサレム、でしょうか?」


 眉間に深い皺を寄せながら、ヴィラは眼鏡の位置を調整している。

 二人とも子供の頃から読唇術は取得していたが、特にヴィラは言語が好きで他国の言葉にも詳しかった。


 それでも、考えてもいなかった国の名にベルティは驚いて「本当か?」と聞き返す。


 ガスサレムはここから北にある小国で、辺りは砂漠で覆われている王政の国だ。

 他国との交流を好まず、独自に先進的な技術を生み出している不思議な国。だがその技術力の高さに、最も優秀なαが多いのでは無いかと噂されている。


 アルフェラッツも一度……α至上主義国として関わりを持ちたいと使者を送ったことがあるが『ガスサレム語を話さない者を国へ招くことはない』と一蹴いっしゅうされていた。それ以来、一切のやり取りはしていない。


 そんな閉鎖的な国の住人が、何故この街でセヴェーロと会っているんだ。


「会話の内容は分かるか」

「…………『二日に戻ります』……『……飛ばして……お願いします』うーん、読めないです」


 長いベージュの髪をガシガシと掻きながら、ヴィラは首を捻る。

 これだけ離れていたら正確に見えないか。


「あっ、ガスサレム……」


 ふと何か思い出したようにヴィラが声を漏らした。記憶の中を探るように、視線が右下から左下へと何度か往復する。


「どうした」

「いえ、少し気になったことが……うっ」


 狼狽えた声が喉を塞いだ。

 何の前触れもなく、パッと顔を上げたセヴェーロがこちらを見たのだ。


 その感の鋭さは、もはや獣だな。

 黒い瞳に一瞬困惑の色が浮かぶと、すぐに顔が強張りギッとベルティを睨み付けた。


 セヴェーロは老夫に何か呟くと、人を嫌う野良猫のように背を向け、ひび割れた裏通りの奥へと去っていく。


 ――いつもより、血色が悪かったような。

 青白い顔に浮かんだ目の下クマが、少しばかり濃く見えた。


 ベルティはしばらく離れていく背中を見ていたが、刺すような視線に気がつくと深々とキャスケットを被った老人に目を向ける。


 その茶色い帽子の奥から薄暗い灰色の目じっと覗いていた。ガスサレム人特有の奇知に富んだ暗い瞳。

 老夫は丸くなっていた背を伸ばすと、セヴェーロとは反対の小道へと消えていった。


 彼らは非常に賢く、仲間意識も高いと聞く。味方にするには頼もしいが、決して敵には回したくない相手だ。


「後を追いますか」

「……いや、やめておこう。あの国の住人と関わるのは国王陛下もいい顔をしないだろう」

 

 アルフェラッツ王国が欲しがったガスサレムとの関わりを、たった一人のΩが得ているとしたら……これほど興味深い話はない。一体何を企んでいるのか。


 ――面白いな。

 セヴェーロの後に再び目を向けたが、そこにもう姿はなかった。


 最後に見た辛そう表情だけが、嫌に脳裏に焼き付いている。

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