副作用(一)前

 冬の冷気が漂う静かな部屋に、パチパチと暖炉の灯と薪が爆ぜる音だけが響いていた。日が沈み外が暗くなるほど、冷えた空気が壁に染み込んでくる。


 そこそこ広い煉瓦造りの家は、戦争で家主を失い廃墟となった建物を綺麗に直したものだった。自室には木製のベッドに椅子と机が置かれ、机の正面には大きめの鏡が掛けられている。

 埃を被った鏡は外しても置き場に困るので、家に来た当初からそのままそこに飾られていた。


 手入れし終わった銃と数本のダガーが机に置かれ、その横には空になったシレーナの袋が落ちている。

 燭台の灯りを頼りに、鏡は薄暗い部屋をぼんやりと映していたが、肝心の家主の姿が見当たらなかった。


 ……しばらくして、酷く重い足取りが部屋の外から聞こえてくる。

 ドアが開くと、青白い顔をしたセヴェーロが項垂れた様子で自室に入って来た。椅子に深く腰掛けながら、机の上に置いてあるシレーナの袋を睨見つける。


 ――どうして、飲めないんだ?


 先ほど自身に用意したシレーナを、水と共に飲み込んだ。

 シレーナを飲めば匂いや発情、Ωの本能的な症状を抑えることが出来る。身体との相性が良ければβとほとんど同じ状態まで持っていける。


 甘い香りが喉を通り抜け、ホッと一息付いた時。……覚えたのは強烈な吐き気だった。


 洗面所へ駆け込み、古桶にシレーナと飲んだ水以上の水分を吐き出した。肩で息をしながら、混乱した頭で震える手元を見つめる。


 ――薬への、拒否反応。


 元々シレーナは、自分のために作られた薬だ。何度もテストを繰り返し、この身体に適合するよう作られたと言っても過言じゃない。

 確かに一年ちょっと飲んでいなかったが、急に受け付けなくなるなんて……。


 薬の量を減らしても吐き出してしまい、結局貴重なシレーナと水と体力を失っただけだった。


 ……どうして。


 顔を上げれば、ぼやけた鏡に生気のない顔が映る。燭台に照らされた自身の姿をぼうっと眺めていたが、ハッ――と思い出したように机に寄ると、鏡に向かい手を伸ばした。


 埃で見えにくくなっていた面を拭えば、項から肩にかけて何度も噛み付かれた傷痕が痛々しく浮かび上がる。


 ――あぁ、そうか。

 エディに、噛まれた時……体質が変わったんだ。


 『番』はΩの頸をαが噛み、傷口にその唾液が入ることで成り立つ。Ωは自身のαだけを求め、受け入れるようになる。


 ズルズルとその場に崩れ落ちた。

 赤黒い噛み痕に手を置くと、虚しさに爪を立てる。


 ――この身体は……とうに、変えられていたのか。

 一年経ってもなお、消えることのない噛み痕は……殺した男の恨みが滲み出ている様だった。



━━━━━━━



「『フェクダ』って本当にマフィアなんでしょうか?」


 昼時頃。ベルティは大分見慣れてきたテナイドの街並みを歩いていると、隣について来たヴィラがボソッと呟いた。

 顔には王国で新調して来たのであろうトレードマークの丸眼鏡が、新たに掛けられている。


「少し調べてみましたが、ポリアンカを『ボス』と読んでいるのは『エンツァ・フラウ』と『オスカー・ディ・ゼッカ』の二人だけです。街の住人は彼のことを『オーナー』と呼んでいますし……。前ボスの『エディ・ゼネッタ』が率いていた時はかなり大きな組織だったみたいですが、部下が二人だけではマフィアとは言えません」


 確かに。それは俺も考えていたことだった。

 ここ数日セヴェーロの後を付いて回ったが、部下と呼べるのはあの二人だけで他に身を潜めている様子もない。


「でもそれなら……街のΩに売るだけのシレーナを一体どこで、誰が作ってる?材料や薬の生成にも金は掛かる……たった三人だけで大金を稼げるとは思えない」


 最初は娼館や縄張り内の店から『みかじめ』を徴収しているのかと思っていたが、話を聞く限りセヴェーロは納金を受け取っていなかった。シレーナも稼ぎになる様な値段では到底ない。

 間違いなく巨大な組織……それもかなり大口な取引先が存在しているはずだった。


「薬物でも売ってるんでしょうか」

「……どうだろうね。違法薬を扱ってる感じはしないけど」

「ベルティ大尉はポリアンカに調べを入れていたんでしょう。彼はどういう人物なんですか?」


 どういう人物……。

 ベルティは思い返すように綺麗な顔の顎下を指で撫でる。いつも薄ら笑いを浮かべている口元が、楽しそうにフッと緩んだ。


「部下や仲間達からはよく慕われてるね。味方には優しいけれど、敵には容赦ない。自分から話す方でもないけれど、でも寡黙ってわけでもないかな。……案外負けず嫌いで、あらかじめ身構えていないと嘘がつけない真面目なタイプだ」


 あと……意外によく笑う。仲間には。

 その笑った表情が柔らかくて、裏表の無い温かい雰囲気が好ましかった。


 ――俺には一切笑わないが。


 どれだけ機嫌が良さそうでも、俺が視界に入った途端いつもの険しい顔に戻ってしまう。

 娼館の従業員やそこらの仲間にはコロコロ微笑む癖に、運命の番である自分には愛想笑いの一つも遣さなかった。


 未だに俺のフェロモンも感じ取れていないみたいだし……ただ側にいればΩの本能が運命を求めてくれると考えていたが、もっと直接的に仕掛けた方がいいのかもしれない。


「へぇ……大尉とはほとんど真逆ですね」

「何か言った?」

「いえ。それで、その運命の番とはどうなんですか。手に入りそうですか?」


「いや、最近は凄い避けられてる」


 セヴェーロに近付いて好かれる手筈だったが、どうにも上手くいかない。王都にいれば勝手にΩがすり寄ってきたし、少し構ってやるだけで犬の様に喜んでいたのに。


「何故だろう」と呟くベルティに、ヴィラは(まあ、そうでしょうね)と心の中で頷いた。

 大体ベルティ大尉が人から好かれようとしているだけで、青天の霹靂である。実際どんな行動をしているかは知らないが。


 チラリと考えている大尉の横顔に目を向ける。

 ポリアンカのことを話している時は、軍にいるよりどこか楽しそうだった。いつもだったら、ことが上手く進まずイラついているところだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る