第22話「死人に口なし」

「……ふー。これでよしっと!」


リューナは額を左腕で拭いながら、フーっと息を着く。その目の前では、血の紐で手脚を拘束されたラーゲンとゴルベラが壁に背をつけ、もたれている。ゴルベラは相も変わらず気絶し白目を剥いており、ラーゲンは下を向き俯いている。


「お?いい感じじゃん!」


俺はリューナの頭上からひょこっと顔を出し、彼女に声を掛ける。ラーゲンに切断された俺は自力で行動出来ない為、今は仮としてリューナの頭に乗っかっている。それ自体は人外の相棒と主らしく、微笑ましいやり取りなのだが、肝心の相棒枠である俺が右手そのものである為、その掛け合いは傍から見れば異様だ。切断された自分の右手を頭に乗っけるリューナの姿は、事情を知らぬ者から見ればかなり猟奇的に映るだろう。


「でしょー。今日だけでかなり血液操作上手くなったと思う!」


リューナは頭上の俺に向かって、得意げにピースサインを見せる。最早彼女自身、この奇妙な状態には疑問すら抱いていないらしい。そんな無邪気な少女を、微笑ましく思い見つめる。

 

「……嗚呼。お疲れ様リューナ……。帰ろう、俺達の家へ」


彼女のピンと立てた人差し指と中指に、そっと指先を這わせながら、そう呟く。目的は果たした。後は、屋敷で待つセバスに帰りを告げるだけだ。


「……うん!帰ろ、タカミチ!」


リューナは這わせた俺の指に、自身の指を絡めながらそう答える。この瞬間、まるで彼女と繋がったようなそんな感覚を覚えた。どこかむず痒くて、けど確かに幸せだと思えるそんなひと時だった。


「……さて、帰り道含めてアンタには色々聞くことがあるからな」


一呼吸置いた後、俺は奴に向き直る。この間に何を考えているのか、俯いているせいで顔色や表情までは分からない。だが、知らないとは言わせない。現に奴は、先回りして現れたのだから。


「……ラーゲン。聞かれたことには素直に答えた方が身の為だぞ」


周囲に血の玉を浮かべながら、そう釘を刺す。尋問なんてやったこと無いが、舐められない為にも勢いは大切だ。例えそれが虚勢だとしても、何も武装しないよりは幾分かマシだろう。


「尋問は初めてですかタカミチ君?どうにも言葉が薄っぺらいですが?」


ラーゲンは俯いたまま、淡々とそれだけ呟く。こちらの虚勢を見透かすようなその問いは、まるで俺の心の隙をガッチリと掴もうとしているかのようだ。思わず気圧されそうになる気持ちをグッと抑える。ここで負けては、魔王を支える右腕になるなど、夢のまた夢だ。


「質問するのは俺だ。まず、どうやってこのアジトまで来た。裏口があるはずだろ、教えろ」


血の玉を針状に尖らせ、それをラーゲンに向ける。あくまで会話の主導権はこちらにあるのだと威嚇する為に。


だが、ラーゲンはまるで動じない。俯いたまま顔も上げず、だんまりを決め込んだままだ。怯えた素振りすらまるで見せない。


「……黙秘かよ」

 

思わず苦い声を漏らす。こいつの神経はどうなっている。なぜこれほどまでに冷静でいられるのか。得体の知れない不気味さに、内心の動揺が再び襲いかかって来そうだ。


「ねぇ、タカミチ」

 

だが、その沈黙を破ったのは下にいるリューナだった。


「どうしたんだリューナ?」


思わず聞き返す。彼女は何を思い、今頭上に位置する俺に話しかけてきたのだろうか。


「……アタシが、変わるよ」


そう言い、リューナは左手で頭上の俺に触れる。まるで子供を撫でる母親のように、優しく慈愛に満ちた手つきだ。


「ありがとう、でも大丈夫。これは俺の仕事だから」


リューナは心優しい。だからこそ、任せられないのだ。優しい彼女に尋問や拷問なんて不向きだ。だから、これは俺がやらねばならないことなのだ――


「……無理してるでしょ?だって、タカミチ優しいから」


俺は何も返せなかった。図星だからだ。確かに今、無理をしている。緊張と圧迫感で、無いはずの胸がざわめき張り裂けそうになる。それすらも彼女にはお見通しだったわけだ。


「けど、これは俺がやらなきゃ……俺が右腕なんだから」


「…………ねぇタカミチ。右腕って、一人で全部抱え込むことじゃないんだよ?」


「……え?」


「アタシが魔王なら、タカミチは右腕でしょ? だったらさ――もっと、私を頼って」


言葉は穏やかで、けれど芯があった。彼女の瞳には迷いがなく、ただまっすぐに俺を映している。


「タカミチが無理するくらいなら、アタシも一緒に考える。一緒に背負う。……それが、二人で歩くってことなんじゃない?」


「リューナ……」


俺は返す言葉を失った。右腕だからこそ一人でやらねばと思っていたが、彼女は違った。右腕だからこそ、共に分かち合うべきだと。そう言ってくれていた。


その言葉に、胸のざわめきが少しだけ静まっていく。


コホンッとリューナは短く咳払いをする。


「“わらわ”の右腕、タカミチよ。お主に命を下す。今すぐ尋問を妾と変わるのだ!……なんちゃって」


冗談っぽく付け加え、クスッと笑う。表情こそ見えないが、彼女は今きっといたずらっぽい笑みを浮かべているのだろうと想像する。


「では、おうせのままに。魔王様」


同じようなノリで俺はそう返す。


俺の言葉に満足したのか、リューナはラーゲンへと向き直る。そして左手でパチンと指を鳴らす。瞬間、おれが浮かべていた血の玉が、力を失ったように崩れていく。そのままただの血となり、次々と地面へと落ちていった。

 

「ラーゲンさん。アタシはあなたを許すことはできない。でも、これ以上あなたを傷付けたりする気は無いの。ただ、帰り道を教えて欲しいだけ。それ以外は、何も要らないから」


リューナは、真っ直ぐな目と言葉でそう伝える。それに対してラーゲンは、尚も俯いたまま沈黙を貫く。無限とも思われる時間が、無意味に流れ続ける。果たしてこの呼び掛けに、此奴は答えてくれるのだろうか。


――今は信じよう。リューナの取った選択を。


彼女の真っ直ぐな気持ちに掛けるしかない。魔王じゃない。一人の少女であるリューナ・ドラキュリエルの言葉に。


そう思っていた瞬間だった。


不意にラーゲンはゆっくりと顔を上げた。顔を上げた彼の口角は僅かに上がっている。その表情は嘲笑のようであり、安堵のようでもある。


「……やはり愚かですね」


ラーゲンはそう呟くと、静かに息を吐いた。そして、諦めたように目を閉じる。


「アジトの出口への道には、僅かにですが目印をつけてあります。私の上着のポケットにそれを見極める為の魔道具が入ってるので、どうぞお使いください」


ラーゲンは、目を閉じたまま、ポツリと口を開いた。


「いや、急に素直じゃねぇかよ……」


あまりの素直ぶりに俺は驚き、ラーゲンを見る。


「……2回も命を救われた。その恩を返したまでです。尤も、タカミチ君は私を殺す気でいたみたいですが」

 

ラーゲンは、そう言い、静かに微笑む。その微笑みは、嘲りではなく、心からの感謝のようだった。

 

「……ありがとう、ラーゲンさん」

 

リューナは、その言葉に素直に礼を述べる。


正直、他にも聞きたいことは山ほどあるが、どの道それはブリュンヒルデの衛兵が聞き出してくれることだろう。


「ほんじゃ、出口も聞き出せたことだし、魔道具だけ貰って帰るとするか」


俺はリューナの頭から飛び降り、手首だけのままでラーゲンに近付く――


その瞬間だった。

 

「ぐっ、がはっ……!」


突如としてラーゲンの様子が激変した。急に激しく痙攣を起こし、かと思えば口から文字通り血反吐を吐き出した。


「おわっ!な、何だ急に!?」

 

降りかかりそうになる血反吐を慌てて避ける。上を見れば、ラーゲンは大きく目を見開いきながら苦悶の表情を浮かべている。それはまるで、内側から体を突き破るような痛みに悶え苦しんでいるようであり、その顔は恐怖に歪んでいた。

 

「……まさか……あの方が、近くに……」

 

ラーゲンは震えながら、か細くそう呟いた。

 

「おい!どういうことだ!?あの方って誰のことだよ!」


俺はラーゲンに詰め寄る。


だが、ラーゲンは、もはや、言葉を話せない。その瞳は、絶望に満ち、意思疎通すらままならない状態だ。身体は内側から破裂したかのように、血を噴き出し続けている。


「ラーゲンさん……!しっかりして!!」


「……う……い」

 

リューナが呼びかけるが、彼はただ苦しそうに呻くばかりだ。まるで鯉のように必死に口をパクパクさせ、苦しみに悶えるように声を漏らしている。


否、そうではなかった。


「……ひょっとして、何かを伝えようとしているのか……?」


俺の呟きに一瞬ラーゲンの目の色が変わる。そして――


「ど、れ、い、しょ、う、か、い、、、」

 

ラーゲンは、最期の力を振り絞り、掠れた声でそれだけを伝えると、そのまま息を引き取った。

 

その傍らで、未だ気絶したままのゴルベラに視線を向ける。白目を向いたまま、身じろぎ一つしない。彼に近付き、脈を測る。だが案の定、その命は既に終わりを迎えていた。


「……クソがッ」


外道な行為を繰り返したラーゲンとゴルベラ。死んで当然の外道であるという考えは今も変わりはしない。だが、その最期はあまりにも無惨だ。無い筈の背筋を這い上がるような悍ましい感覚が、俺の心に重くのしかかる。同情や憐憫ではない、どこか拭い去れない憤りが込み上げてくるのがわかる。


ふと彼女を見上げる。その瞳は遠くを見つめているようにも、目の前で無惨な最期を迎えた二人を見つめているようにも感じる。


「……帰ろうリューナ。気にしすぎちゃダメだ」


きっとこれから先、魔王として彼女は多くのものを失う。その先に残るものは、果たして何であろうか。


「……うん。帰ろうタカミチ。アタシ達の家へ」


帰る家を探す迷子のような口調で、彼女はそう言った。

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魔王の右腕~転生先は右腕そのものでした~ 星宮 司 @TukasaHosimiya

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