第31話

「出てきちゃった……」


部屋でうずくまっていても、モヤモヤとした気持ちは収まらなかた。むしろ答えの出ない逡巡が加速する一方。それでこっそりと、志乃は御門家を抜け出してきた。


屋敷を出て通りを二本超えた先には、東海道本線のレイルが見える。新橋停車場は、人波で溢れかえっていた。


「私も列車に乗って遠くへ行けたらいいのに」


帰りたくとも、帰る場所はない。

実家の神社は存在すれど、今は御門家に守られている状況。それに帰っても志乃を迎えてくれる家族はいない。父は相変わらず姿をくらましたままだ。


手首に光る水晶の数珠を見る。

途端に母が恋しくなった。


必死に生きてきて、でもそれでも安定した生活が得られなくて、今は契約の楔を打たれ、コロシヤの家にいる。


初めは戸惑うことも多かった。

だが困難を共に乗り越えたことで、咲夜と分かり合えたつもりでいた。

心が通じ合った気がしていたのだ。


仮初の関係でも、許された時間はともに幸せを分かち合えるかもしれないと思っていた。だが。


価値観が決定的に違う。


彼の体を取り戻す手伝いをしたい。でも。

その過程ですれ違う人を、志乃は見殺しにできない。

だけど彼は、彼らは違うのだ。そういう正義感は持ち合わせていない。


一人で出歩くのは久しぶりだった。最近はいつも咲夜が隣にいた。

往来をゆく女性たちが、明るい表情で通り過ぎていくのが恨めしい。


「ねえ」


「わっ」


誰かに声をかけられるとは思っていなくて、飛び上がってしまった。新橋に知人はいない。振り返れば、そこに立っていたのは、小柄で痩せ細った少女だった。


「糸ちゃん」


「なんで一人ででてきたの」


彼女は、志乃の後を追ってきたらしかった。

なんと返答したものか、考えていれば。


「あんた、あそこが一軒め?」


「え……」


「自分の家以外で、いそうろうした家、あそこが一軒めかって聞いてんの」


ぶっきらぼうな言い方だが、志乃に喧嘩を売ろうというわけではなさそうだった。ただ彼女は淡々と、事実を聞いているように思う。


「そうね。一軒め、かしら」


「恵まれてるよ、あんた」


仏頂面の糸は、言葉を続ける。


「ちゃんとご飯食わしてくれて、言いたいこと言っても殴られなくて。いいもの着せてくれるし、働けとも言われない」


その言葉に、志乃は目をみはる。


「そう……そうよね」


「俺は殴られたよ。最初の家。働かされもしたし、奉仕もさせられた」


「奉仕……って、まさか」


「だから女のカッコするのやめたの。そういう目で見られたら怖いから」


途端に、血の気が引いた。こんなにもいたいけな少女に、そんなことを強要する大人がいるなんて。


それと同時に、自分がいかに恵まれていたかを実感する。糸の言う通りだ。無体を働かれることなく、何不自由ない生活を送らせてもらえている。


「私、すごくわがままだったかも。彼の都合がわかっているのに、あんな態度を取るべきじゃなかったわね」


糸からしたら、自分の存在はきっと腹立たしいのだ。


だけど。


「でも私、家でじっとしているなんてできないわ。やっぱり藤堂家の事件を放っておけないもの。このまま関わらないなんてことできない」


咲夜は、左腕の手がかりを見つけたのだ。

あの言い方から察するに、すぐにでも奪還できる糸口を見つけたのだろう。


怪異が彼の左腕を取り込んでいるなら、凶行は止まるかもしれない。だが、彼が左腕を取り戻したからといって、これまで失踪した子どもたちが戻ってくるかはわからない。殺された子は取り戻すことはできないが、手を差し伸べれば、消えてしまった子は見つけることができるかもしれない。


それにあの声。「ずるい」という悲しげで、悔しそうな声。

あの声の持ち主が、怪異そのものだというのなら。彼女がどうして子どもを隠したり、殺したりするに至ったのか。その理由を知りたかった。


できることなら、無念を癒してあげる道を見つけてあげたい。

そのためには、自分が動くしかないのだ。


「あんたはそういうと思ってた。だから追ってきた」


思いがけない言葉を聞き、志乃は顔を上げる。

てっきり、「お前はわがままだ。家に戻れ」と言いにきたのではないかと思っていたのに。


「あの藤堂ってやつ。うさんくさい。マサはああ言ってたけど、ぜったいあやしい。そういうふうに思うんだったら、てつだって」


糸は、ぐいと志乃の手を引いて、歩き出す。


「どこへいくつもり?」


「小石川へ行く」


「今から? 歩いて行ったら、日が暮れてしまう距離よ」


「俥屋にツテがある。むかしよく手伝ってたから。あんた、なんか思い当たることがあるんでしょ? オレにはさっぱりだけど、屋敷から出た時、あの不気味な男とこそこそなんかしゃべってた」


「あるにはあるけど……」


十二という数字。失踪する、あるいは殺された十二歳の子ども。

被害に遭ったのは皆、藤堂家の養子たち。


「マサが危ない気がする。あの家がどういう家なのかちゃんと知りたい。知って、怖い家だったら、助け出さないと」


「いきなり正面から行っても、追い返されるのではなくて」


「マサに今日来るように招待されてる。裏口を教えてもらってるから、かんたんに入れると思う」


いつの間に。


「今日、何かあるの?」


「お姉様の、十二歳の誕生日祝いがあるらしい」


——十二歳の誕生日。


ぞくり、と背中に悪寒がはしった。

嫌な予感がする。今までバラバラだったものが、そこに収束していくように。何か悪いことが、起こる気がして。


「わかったわ。一緒に行きましょう」


咲夜に言えば、きっと彼は自分が行くというだろう。

でも彼が行っても、マサは助けてもらえないし、藤堂家について調べてもらうことはできない。


ならば自分が糸と行くしかない。

そしてきちんと事実を把握した上で、できることをするのだ。


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