第30話

藤堂家の屋敷は、寄る辺なき女の子どもにとって理想的な環境と思えた。どの子どもにも差別なく、一揃えの着物や履き物が与えられ、十分な食事が提供されている。


マサの言葉を借りれば「極楽に来たよう」な場所であると言えるだろう。

志乃は帰りの道すがら、糸の表情を盗み見ていた。

屋敷を見学している間も今も、彼女は下を向き、押し黙っている。


——どう考えても、あちらにお世話になった方が糸ちゃんのためになる。


それはあの屋敷にいた少女たちの表情が証明している。マサも、お姉様と呼ばれていた少女も、太陽のように明るく、生き生きとしていた。


御門家の生業は、人を呪うこと。

咲夜の言葉で言えば「コロシヤの家」。

日陰に生きる人間たちの居場所。


だが、貧民窟から拾われてきたばかりの彼女に、また宿を変えたほうがいいと勧めるのはどうだろうか。ようやく見つけた宿木からも、追い出されると感じてしまうかもしれない。


ふう、と息を吐く。考えなければならないのは糸のことだけではない。


——糸ちゃんのことは一旦置いておくとして、問題はあの声よね。


屋敷を見学している間に聞こえたあの声。

少女のものだったように思える。


羨ましさに、癇癪を起こしたような「ずるい」という声は、あの後すぐに消えてしまった。


「屋敷に何かがいるのは間違いない。だが、気配が薄い。出てくる気配もない。あれが子どもの失踪に関係しているとは断言できない。だが、無関係とも言えない」


屋敷から出る時、咲夜はそう志乃につぶやいた。


何も確証がないまま、ただ、十二という数字だけが頭の中を踊っている。


はっきりしない気持ち悪さを残しながら、志乃たちが小石川を発った翌日。


事件は、再び起こった。


◇◇◇


前日に買った食材を使い、志乃と糸、そして咲夜は、朝顔の指南を受けながら朝食の準備をしていた。

釜から香る白飯の香りに思わず頬が緩む。あとは焼き魚と味噌汁ができれば、膳が揃う。


ガラガラと引き戸が開く音がして、廊下をぎしぎしと無遠慮に鳴らす足音がする。はだけた着物に紋紋の入った体、筋肉質な大男の惣弥が外から帰ってきたのだ。


「御当主様。ほれ、今朝の新聞。見てみ」


大根を桂むきしている咲夜に向かって投げられたそれを、志乃が慌てて受け止める。


「ちょっ、惣弥さん! 危ないじゃないの。咲夜さん、今慣れない包丁を使ってるところなんだから」


「はよ見したほうがええやろと思て」


「せっかちね」


顎で指図され、志乃は咲夜に見せるように新聞を広げ、自分も覗き込む。


「小石川で……また、子どもの殺人……」


「また十二歳の子や。そいでな、わかってん。十二以外の共通点」


「さっさと言え、もったいぶるな」


新聞に目を落としていた咲夜が、惣弥を睨み上げる。


「これまで失踪したり、殺された子どもの名前が伏せられとったんやけど。圧力がかかっててん。いのうなったどの子ぉも、みいんな、あの藤堂家の子やった」


惣弥の発した言葉に、志乃は目をむく。

圧力。なぜ、どうして。

哀れにも失われた子どもの名を、わざわざ隠すとは、どんな事情があるというのだろう。


「そういうことか……」


「そういうことって……?」


咲夜は志乃を見、そして逡巡したのち、ふい、と顔を逸らした。


「志乃には、関係ない。この件にはもうこれ以上関わるな」


「なっ……!」


この話はもう終わりだ、とばかりに、咲夜が大根に視線を戻したのを見て、志乃は口をパクパクとさせる。


「どうして突然。だって、藤堂家にはマサちゃんだっているし。今回のことが藤堂家を中心に起きているものだとしたら、なんとかしないといけないでしょう? 私だって、何か力になりたいわ。それに、咲夜さんの左腕だって」


「俺たちの目的は」


咲夜の眉根がより、ため息が漏れる。


「左腕の奪還だ。藤堂家の事件は、俺たちが解決すべきことではない。ただ左腕のありかに関連しそうだということで調べているだけのこと。志乃は俺の体の痛みを癒してくれればいい」


「……何よそれ」


言っていることはわかる。わかるはずなのだが。


「あの子どもたちのことなんて、どうでもいいってこと?」


志乃の言葉を聞いた咲夜の顔が、苦しげに歪む。


「俺たちの本業はコロシヤだ。人助けではない」


「……コロシヤ」


その響きを、改めて噛み締める。

だって、でも。そう言いそうになって、言葉を飲み込んだ。


——私、とんでもない勘違いをしていたのかもしれない。


黒曜村で、村人たちのために咲夜が護符を書いていたのは、それが右腕の奪還に必要な作業であったから。


今回のことも、左腕のありかに関わりそうだから、子どもの失踪・殺人事件を調べていた。子どもたちを陥れる怪異の謎を解き明かし、解決するためではない。

あくまで腕を取り戻すための情報集めのために話を聞いている。


——咲夜さんは正義の味方なんかじゃ、ないのよね。


慈悲深い坊主でも、篤志家でもない。彼はあくまで、人殺しの呪術師。

そして自分は、彼の命を繋ぐために連れてこられた、仮初の妻。


志乃は、咲夜の体調を維持するために必要だったから黒曜村に連れて行かれた。

だが咲夜が自宅を拠点に動ける今、志乃は咲夜について歩く必要はないし、事件のあらましを知る必要もない。


藤堂家に足を踏み入れたのは、偶然糸の旧知であるマサに誘われたから。

志乃が咲夜に請われて調査に加わったからでは、ない。


「嫁はん、悪いけど。ご当主様の言うとおりやで。あんまり首突っ込まんとき。危ないで」


「そうよね。私、仮初の嫁だもの。余計な口を挟んでしまったわね」


「志乃……」


「朝顔さん、ごめんなさい。やっぱり朝ごはん、お願いしてもいいかしら。昨日あまり眠れなくて、もう少し横になりたいかも」


「かしこまりました」


志乃は咲夜の顔を見ないようにして、足早にその場を離れた。



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