第2話 婚約破棄の翌日



 翌日。


 レブロン王国城内で行われた定例国議会は、荒れに荒れた。


 理由は、実質的な発言権のない第一王子から、まったく予定されていなかった議題を、急遽提言されたからだ。しかもそれは、王国の体制を揺るがす信じがたいものだった。


「ハリス、おまえは今、なんといった……」


 国王の声も、さすがに震えていた。


「形だけのものであったローゼンハイム公爵令嬢との婚約を破棄いたします。令嬢にもその旨を伝え、すでに了承を得ています」


「この愚息が……聖女とは、国を加護する要の存在。光陰の聖女であるローゼンハイム公爵令嬢との成婚は、国民の多くが望んでいることだ。それが、わからんのか」


「恐れながら、父上。王太子妃の条件が『聖女』であるというなら、わたしは花冠の聖女であるダイアナ・シファーとの婚姻を望みます」


「花冠の聖女? 聞いたこともない。なんだ、ソレは?」


 国王の顔に、明らかな侮蔑が浮かんだ。


「世界を救った【七耀の星】である光陰の聖女は、唯一無二。比類なき存在だ。そんな得難い公爵令嬢との婚約を破棄して、おまえは得体の知れない花冠の聖女とやらを妃に迎えたいというのか。なんと愚かな……」


「お聞きください、父上。花冠の聖女であるダイアナ・シファー伯爵令嬢もまた、神聖皇国から『聖女』の称号を授けられし者です。ましてや彼女は、わずか1年の修練で聖称号を得ています。こういってはなんですが……称号を得るまでに数年を要したグレイス公爵令嬢よりも、才能あふれる女性なのではないかと」


 ハリスの言葉がつづくなか、


「もう、けっこうです」


 広間に低い声がひびいた。


 国王ハインリヒの次席に座っていたローゼンハイム公爵が立ち上がると、議場内の空気が一気に張り詰めていく。


「ロ、ロイ……」


 レブロン王国の宰相であり、愛娘グレイスを溺愛していることで有名なロイス・ベッカー・ローゼンハイム公爵は、公の場でありながら、あまりの事態に思わずの旧知の間柄で自分を呼んだ国王を、死神のような視線で睨みつけた。


「陛下。火急の用を思い出しましたので、退席させていただきます」


 有無をいわせない威圧感で圧倒したローゼンハイム公爵は、第一王子ハリスを一顧だにせず、冷気をとおり越して、てつく空気をまき散らしながら議場をあとにした。


 公爵が立ち去ったあと。恐怖と凍気につつまれた議場内で、誰かがいった。


「……おわった。レブロンが今日、おわった」


 愛娘グレイスを案じたローゼンハイム公爵が、王城から急ぎ公爵邸へと戻ったとき。


 いつも心地よい静けさに包まれている屋敷は、いたるところで騒動になっていた。


 平素は何があろうとも眉ひとつ動かさず、粛々と仕事をする執事長が、乱れるグレイヘアもかまわず、


「ええいっ、離せえっ! わたしも行く! 傷ついたグレイス様おひとりで行かせるなどっ、そんなことできるものかっ!」


 齢70の老体の、どこにそんな力があるのか。老執事は数人がかりで押さえられていた。


「無理ですよ! だれがお嬢様に追いつけるっていうんですか!」


「お前たち、それでもローゼンハイム家の者か、この腰抜けどもめっ! グレイス様の御身に何かあったら、どうするのだあ~」


「何もありませんって、お嬢様に何かできるとしたら、【七耀の星】くらいなもんですから~」


「離せぇぇぇ! グレイス様、ただいま、ベッケンじいが参りますぞぉぉ」


 また別の場所では、グレイス付きの侍女が、オイオイと泣き崩れていた。


「お嬢様があぁぁぁ~~ わたしを置いていったあぁぁぁぁぁぁ! わたしが淹れる紅茶が、世界で一番好きだっていってたのにぃぃぃ!」


 そして、鬼の形相で門番に喰ってかかる。


「アンタはっ! なんで、お嬢様が出ていくのをお止めしなかったのよ! この役立たず! そんなんなら、カカシを立たせていたほうがマシよっ!」


 門番は門番で、ボロボロの姿になって訴えた。


「できるかっ! 俺は、雷がとおり抜けたのかと思ったんだぞっ! カカシだったら藁に着火して、いまごろ屋敷は大火事だっ!」


 ロイス・ベッカー・ローゼンハイムは、公爵家当主となってはじめて、だれにも気づかれないまま、書斎へと向かった。





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